自閉症と生きる〜求められる理解・支援とは〜


はじめに

2016年7月26日、相模原障害者施設「津久井やまゆり園」で戦後最悪とも言われる事件が起きた。入所者19人を殺害し、職員3人を含む27人に重軽傷を負わせた植松聖死刑囚は、神奈川県警の調べに対して「障害者は不幸だと思った」と説明した1。彼が引き起こしたあの凄惨な事件は、当然看過されるべきものではないが、社会で暮らす私たちは、彼の思想に通ずるものを持ってはいないだろうか。SDGsなどを呼び水に、多様性を認め合う社会構築が推進されているが、本当の意味で障害を持つ人と暮らしていくことを想像できているのだろうか。

あの事件が起きた時、テレビや新聞で植松死刑囚の残虐性が報じられる一方で、SNS上では彼の思想に共感する声もしばしば見られた。彼がしたことと同じくらい、ネット上で彼を肯定する声が上がっている状況に、私は恐怖を覚えた。やまゆり園で障害者を殺傷したのは一人の男だが、それは「障害者が社会のお荷物」という社会の声を体現しただけではないのか、そしてその責任の一端は私たち一人ひとりにあるのではないか、私にはそう思えてならない。

事件から5年。過去の反省を踏まえて社会は変わったのだろうかと問うてみるが、残念ながら大きな変化は見られない。それを象徴するかのようなことが2021年4月に起きた。車いすで生活する伊是名夏子さんが、無人駅を利用しようとした際、「案内できない」と事実上の乗車拒否をされた旨を綴ったブログが炎上した、というものだ。ブログに対して、「もっと早く連絡すべき」「理不尽な要求に対応出来なかっただけ」「断るに決まっている」など、批判的な声が相次いで寄せられた2

菅前首相の所信表明演説でも「自助・共助・公助」という言葉が使われるなど、新型コロナウイルスの蔓延により誰もが助けを必要とする中で、障害者を含むマイノリティーに対して自助を求める声はますます強まっている。伊是名さんのブログ炎上は、その表れとも言えるだろう。

果たして障害がある人は自助努力を怠っているのだろうか。その答えを探りたいと思い、このルポでは川崎市で暮らす自閉症当事者家族の日々に迫った。(取材・文・写真=山田雄大)

 

第1章 太田親子との出会い

ルポの主人公である親子に出会ったのは、2021年3月27日。川崎市自閉症支援団体NPO法人「くるみー来未」(以下、くるみ)1主催の『みんなの学校』2上映会だった。この団体で理事長を務めているのが太田修嗣さん(45)であり、その息子で中度知的障害と自閉症を持っているのが、太田直樹さん(20)である。この時はまだ、太田親子に取材をしようなどとは考えていなかったのだが、当時から別の場所で発達障害に関する取材をしていた私に、「きっと良い経験になるから」と話す友人に手を引かれ、この上映会にボランティアスタッフとして参加した。

この日上映された『みんなの学校』は2014年に公開された、大阪市立大空小学校の日常を収めたドキュメンタリー映画である。大空小学校には特別支援学級はなく、様々な児童が同じ教室で一緒に学ぶ。しかし、多様な児童が一堂に会すれば、当然、いろんな問題も発生する。教室を急に飛び出してしまう子、同級生に暴力を振るってしまう子、そんな児童一人ひとりと、木村泰子校長(当時)をはじめとする教員らが真正面から向き合い、さらに地域の人たちや他の児童らがともに支えていく姿が描かれている。

昨今、「差別のない包括的な枠組み」を指す「インクルーシヴ」や「ノーマライゼーション」という言葉を耳にする機会が増えたが、今の社会を見ていると、残念ながら言葉だけが一人歩きしているように思えてならない。「絵に描いた餅」だと思っていたインクルーシヴを実践する学校が実在することに、私は大きな衝撃を覚えた。

上映会を終えて参加者全員を見送ったあと、ボランティアスタッフが集まって輪になって、一人ひとり上映会の感想を述べていった。その中で、「(大空小学校だけでなく)くるみもインクルーシヴ社会のモデルだ」という声があった。

くるみは「自閉症スペクトラムのように多様な特性のある本人と家族のQOL(生活の質)を向上し、一人ひとりがその人らしく豊かに生きることができる社会を創る」という理念を掲げて活動している。この上映会には、多くの発達障害当事者やその家族もスタッフとして参加しており、それぞれの特性などに配慮しながら来場者を迎えていたのだと知った。この日2度目の衝撃だった。

この日の衝撃は上映会終了後も消えることはなかった。上映会から1ヶ月ほど経った5月1日、ぜひくるみの活動にもっと間近で参加したい、太田親子の話をもっと聞きたいと思い、その旨を修嗣さんに伝えた。修嗣さんはくるみのインターンスタッフとして、そして取材者として私を快く受け入れてくれた。この日から私は多くの週末を川崎で過ごし、くるみの活動に参加するようになっていった。

太田親子のこれまで

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くるみのイベントで前に出て話す修嗣さんと直樹さん=2021年5月23日撮影

今でこそ様々な場に登壇して、自閉症やインクルーシヴについて発信している修嗣さんだが、昔から自閉症やインクルーシヴな社会に関心があったというわけではない。

学生時代、修嗣さんは世界を股にかけるビジネスマンになることを夢見ていた。1年間の留学を経て、大手精密機器メーカーへの就職も決まった。入社後すぐに大学時代から交際していた女性と結婚し、2001年1月には直樹さんを授かる。さらに3年後には夢だった海外赴任も決まり、修嗣さんは順風満帆な人生を送っていた。

念願だった海外生活が一変

しかし、赴任先のドイツでは苦労も多かった。言葉や文化の壁があり、家族で孤立した。大きな環境の変化からか、直樹さんはしばらく家から出ることができず、そんな直樹さんに母親もつきっきりという状態だった。

ドイツに赴任する1年前、スポーツ教室で集団行動が取れなかったことなどを理由に、教室の先生から「直樹さんに何らかの障害があるのでは」と指摘されたことがあった。はあったものの、日本にいた時点では直樹さんが自閉症であるという診断はされていなかった。

しかし、赴任先であるドイツの現地幼稚園で、直樹さんに言語の遅れがみられたことなどから、事情を説明してドイツの日本人幼稚園に転園を申し込んだところ、「診断を受けてください」と言われた。この時、診断した医師から直樹さんが自閉症であることを告げられた。2005年、直樹さんが4歳半の時だった。

念願だったはずの海外生活は一変した。夫婦の間で教育方針の違いが顕在化し、2人の衝突も増えていった。

2人の教育方針は、例えば、直樹さんが車の走行経路に対するこだわりを示した時、できる範囲で直樹さんのこだわりに合わせるようにしていた修嗣さんに対して、直樹さんのこだわりをやめさせようとするのが当時の母親のやり方だった。「彼女はとても苦しかったと思う。(直樹さんの自閉症を)受け入れられなくて、変えようとするけど上手くいかない。そういう悪循環だった」と回顧した。

こうして少しずつずれていった2人の足並みは、次第に家庭の崩壊を招いた。ある時、職場にいた修嗣さんに、直樹さんが通う幼稚園から「息子さんがすごい勢いで車道に出ようとして…」と連絡があった。詳しく事情を聞くと、直樹さんは「僕は悪い子だから車に轢かれるんだ」と話したという。

「子どもにここまで思い詰めさせてしまっていたのか」

大きなショックを受けた修嗣さんは離婚を決意した。

帰国後、修嗣さんは離婚して、川崎という新天地から父と子の二人暮らしを始めた。二人の暮らしは日々忙しないものであったが、修嗣さんの愛をたくさん受けて育った直樹さんには少しずつ笑顔が戻っていった。

くるみ立ち上げの経緯

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くるみのおうちの黒板に描かれたくるみのシンボルマーク=2021年5月29日撮影

修嗣さんがくるみの前身である「さくらの会」を立ち上げたのは2010年、直樹さんが小学四年生になった時だった。発足のきっかけは、当事者親子が互いに理解を深め合うための交流の場が少ない、と感じていたためだ。太田親子の場合、父子家庭ということもあってか、そういった場に誘われるということがあまりなかった。このことを他の保護者に相談したところ、彼らも交流の場の少なさを感じていたことを知った。特別支援学級の名前が「さくら級」だったことから、「さくらの会」として活動を始め、月に一度、公共施設などで交流の場を設けた。

「さくらの会」では一定の成果があったものの、問題の根本解決には専門家やボランティアの力添えが不可欠だった。そこで修嗣さんは直樹さんとともに福祉関係者らに協力を求め、2014年にNPO法人「くるみー来未」を立ち上げた。

くるみ立ち上げから5年。川崎市を中心に自閉症当事者とその家族、支援者らに向けたイベントを行っていく中で、当事者やその家族の中には、「周囲の目が気になる」、「子どもが人の多い場所が苦手」などの理由から公共施設に来づらい人がいるという課題も見えてきた。

それらを解決するため、独自の活動拠点であたたかい居場所を作りたい。その思いから、修嗣さんは川崎市中原区に自宅兼コミュニティスペースとして古い一軒家を購入し、「くるみのおうち」と名付けた。

くるみとして活動を始めてから、今年で8年目となる。くるみではイベントを行うにあたって、

  • みとめあい、いきていく
  • ゆるく、たのしく
  • 「あったらいいな」をみんなでつくる
  • できるひとが、できるときに、できるだけ

という4つのコンセプトを掲げている。

実際、月に数回行われるイベントは、小規模ではあるものの参加者一人ひとりに配慮したものになっている。そのため、イベント前の会議では毎回、何時間もかけて入念な話し合いが行われる。イベント前日から前泊しているインターンスタッフの私も一緒に話し合いに参加するのだが、毎度「そこまで気にする必要があるのか」と思うほど、細かなところまで気を配る。しかし、この細やかな思いやりこそ、くるみのイベント参加者の多くがリピートを希望しているのだろうと私は感じた。

くるみのイベント

くるみのイベントはさまざまなものがある。定期開催しているイベントとしては、活動に参加している青年が「一人暮らしを始めたものの、自炊に困っている」と話したことから始まった時短料理教室「はらぺこキッチン」や川崎市内のシェアスペースで週に一度出店される「カレー工房 和KAZU」の店主・有井幸弘さんを招いて、みんなにカレーを食べてもらう「有井さんのカレーを食べる会」などがある。また、コロナ禍でも障害のある子どもを持つ父親の交流の場を持つため、2ヶ月に一度「オンラインオヤジの会」を開催している。日頃の苦労の共有や、自閉症の特性であるこだわりに関するあるある話で盛り上がる。

どのイベントも参加者のニーズに応えて、誰にとっても居心地の良い場所と思ってもらえるような準備をしており、どのイベントもすぐに募集人数に達するそうだ。

その他にも、くるみの活動を支援してくれる団体に向けてくるみの活動報告を行ったり、11月には公共施設に出向いて発達障害に関する講座を開催したりと、活動は多岐にわたる。

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くるみのイベントで調理する直樹さんと筆者=2021年11月14日、太田修嗣さん撮影

 

第2章 こだわりの障害

発達障害の1つである自閉症は、「こだわりの障害」と言われることがある。精神科医・本田秀夫氏は『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』の中で、「こだわり」は、「自閉症当事者に共通してみられる特徴であり、自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先したいという本能的指向が強い」と述べている1

しかし、理解はできても納得はできないという人は少なくないだろう。私自身、取材を始めたばかりの頃は、「なぜこだわりが障害になるんだ?」というのが本音だった。誰でも一つくらいはこだわりを持っているものだ。私自身、歯磨きの際、右下の奥歯から順に磨いて最後は必ず左上の奥歯で終わるというこだわりがある。多かれ少なかれ、誰にでもある「こだわり」が一体なぜ障害と呼ばれるのか。

くるみで活動を通じてさまざまな自閉症者やその家族と出会う中で、そして何より直樹さんと一緒に過ごす時間が増えるにつれて、なぜ「こだわりの障害」と言われているのかが少しずつわかってきた。

川崎散策

「今日は1時間で全部回るよ」。

6月上旬、川崎駅周辺にある商業施設ラゾーナ川崎の前。直樹さんに向かって修嗣さんはこう言った。直樹さんは週に3度ほどこの場所を訪れる。ここは直樹さんの「こだわり」を満たすもので溢れ返っている。

今の直樹さんの「こだわり」の対象は、専ら「液晶画面の撮影」だ。家のテレビ画面、固定電話の液晶画面、家の近所にあるパーキングの精算機の液晶パネルやスーパーのレジなど、あらゆる液晶画面を触って、画面を点灯させてからその様子を持参したデジカメに収める。

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筆者に精算機の液晶画面を撮るよう求める直樹さん=2021年12月5日撮影

この日はまず、ラゾーナ川崎の中にある家電量販店に向かった。液晶画面が好きな直樹さんにとって、家電量販店という場所はまさに遊園地のような場所だ。修嗣さんに声をかけられるまで、飽くことなく液晶画面の商品を見たり触ったりして回った。

後日、私と直樹さん2人で川崎に出かけた際には、直樹さんはテレビの売り場に1時間近く滞在した。この日、川崎には13時から17時までの滞在予定であったため、直樹さんの気になる場所を全て回り切るにはテレビ売り場だけに長居するわけにはいかない。私が「直樹さんそろそろ行くよ」と声をかけるも、直樹さんは販売されているテレビの全チャンネルをザッピングし、好きな番組の録画予約や前回来た際に予約したであろうアニメなどの視聴を続けた。直樹さんの「こだわり」は、私が知るものとは似て非なるものであった。

自閉症の特徴であるこの「こだわり」は、必ずしも永続的なものではない。障害がない人と同じように、自閉症を持つ人のこだわる対象も「マイブーム」が盛り上がり、しばらくすると冷めていくということを繰り返す2

例えば、直樹さんは幼少期、ピンク色に対して極度の嫌悪感を示していた。「毎年、春になると桜が舞い散るのを嫌がって逃げていた」と修嗣さんは振り返る。修嗣さんは仕方なく、嫌がる直樹さんを抱えて走り抜けていたそうだ。それほどまでにピンクを嫌っていた直樹さんだが、ここ2年、ピンクを基調とした衣装やキャラクターが登場する「キラッとプリ☆チャン」というアーケードゲームに熱中している。毎週欠かさず遊んでおり、すでに費やしたお金は10万円を超えている。直樹さんに「ピンクはもう苦手じゃないの」と尋ねると、「まあね」と短く答えた。

この事例からも分かる通り、こだわりの対象は成長とともに移ろいで行くこともある。しかし、「『何かにこだわりを持つ』ということのエネルギーそのものは保たれて、その対象が他に向けられる」と本田氏は著書の中で指摘している3

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ピンク色のアーケードゲームを楽しむ直樹さん=2021年6月11日撮影

合理的配慮

家電量販店でさまざまな液晶画面を見た後、私たちは映画館に向かった。一般的に、映画館に行く理由は、映画を観るためだろう。しかし、直樹さんの場合はそれだけに限らない。この日の目的も映画を観ることではなかった。映画館のフロアに着くやいなや、あたりを見渡し、上映チケットの券売機の元に行き、カメラを構えた。

ここでの目的も、「液晶画面の撮影」だ。家電量販店では、たくさん並ぶテレビを見たり、触ったりしてもさほど気にはとめられないが、チケット購入を目的として設置されている券売機では、チケットを買うために並んでいる人もいる。そのため、直樹さんの様子を怪しんだ映画館の職員が、すぐに怪訝そうな顔をして近づいてきた。その視線に気づいたのか、修嗣さんは「すみません、液晶画面を撮影しているだけなので」と謝った。

太田親子の川崎散策に同伴すると、こういった場面をしばしば目にする。毎週直樹さんの川崎散策に同伴する度に、修嗣さんは各所で「すみません」と言って直樹さんの特性について説明をする。当然、映画を観に来た人への配慮は必要だが、障害がある人に対する「合理的配慮」も考えなければならないだろう。

わがまま?配慮不足?

「合理的配慮」とは、一体どういった配慮のことを指すのか。2006年12月に国連で採択された障害者権利条約では、「障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は負担を課さないものをいう」とされている4。しかしながら、この合理的配慮の適用については曖昧な部分がある。障害者権利条約をもとに、2013年6月に成立した障害者差別解消法では、合理的配慮は「『実施に伴う負担が過重でないとき』に限って、国や自治体などでは法的義務、民間企業・事業者は努力義務」とされている5。本来なら民間企業や事業者にも努力義務が課されているのだが、多くの場合、障害者の「わがまま」と捉えられてしまうのが現状だ。

ここで2つの事例について紹介したい。もし自分がその場に立ち合ったら、どのように思うだろうか。

「レジでの会計の際に持ち金が不足しており買いたいものが買えないときは、不満が折り合えるまで会計を待ってほしい」という要望があったとする。この要望に対して、「家族があきらめるように説得していたが、順番を待っている他のお客から『早くしてくれ』と催促があったため、事情を説明した上で他のお客は別のレジで対応した」。この対応に対してどのように感じるだろうか。

あるいは次のような事例はどうだろうか。

「長時間並んで待つのが苦手という発達障害児者に対して、長時間並ぶことが難しい乳幼児や高齢者と同様に、別途配給する対応をした」。この対応に対してはどのような感想を抱くだろうか。もしかしたら、伊是名さんのブログに対して寄せられたコメントのように、「何様だ」「弁えろ」と思う人もいるかもしれない。

実はこれら2つは、内閣府が2017年11月に発表している「障害者差別解消法【合理的配慮の提供等事例集】」の中に書かれている合理的配慮の提供事例から引用したものだ6。自分が長時間待つ中で、「特性上長時間並ぶのが苦手だから」と言われても納得ができないと思う人もいるかもしれないが、ここまでしてようやく合理的配慮と言えるのだ。

この合理的配慮だが、あまり周知されていないのが現状だ。東京都が行った令和元年度第5回インターネット都政モニターアンケート「東京都障害者差別解消条例等について」の調査結果を見ると、「合理的配慮の提供」の認知度は、「名前も内容も知っている」という回答はわずか11.3%で、「知らない」と「名前のみ知っている」と答えた割合は合わせて約80%という結果が出ている7

2021年5月には障害者差別解消法の改正案が参議院本会議で可決、成立した。改正後は、これまで努力義務とされてきた企業や民間事業者にも合理的配慮が「義務化」される。合理的配慮の義務化を徹底するためにも、言葉と内容両方の認知を促進していく必要があるだろう。

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映画館の券売機を撮影する直樹さん=2021年6月11日撮影

川崎散策をしている中で、直樹さんの「こだわり」に理解を示し、合理的配慮をする施設もあった。その一つが、川崎駅構内にある行政サービス施設「かわさき きたテラス」だ。この施設内にも多くの液晶画面がある。ここで働いている職員は、「いらっしゃい」と暖かく迎え、他の利用者に迷惑になったり、問題が起こったりしない限り、直樹さんの様子を静かに見守ってくれる。映画館では直樹さんの近くにいた修嗣さんも、「かわさき きたテラス」では、自動ドアの外から軽く会釈して笑顔で見守っていた。その様子に、その場にいた私自身の緊張も緩んでいくのを感じた。「かわさき きたテラス」のように、合理的配慮をする場所が増えることで、当事者家族の精神的負担も減っていくだろう。

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「かわさき きたテラス」内で、筆者に液晶画面の撮影を求める直樹さん=2021年11月7日撮影

将来は誰が同伴?

この日の川崎散策は、翌日のくるみのイベントの買い物もあったため、1時間で済ませたが、長い日には修嗣さんが8時間付き添うこともある。今は修嗣さんが若いから可能かもしれないが、高齢化したら付き添うことは難しくなるだろう。将来について、修嗣さんはどう考えているのか。

「彼は今、私があれこれ世話を焼いたり、わかってもらうのが、ある意味当たり前な状況になっていて、『父ちゃんがいれば安心だ』っていうところはある。でもそうではいられない時が来る。そこをどう考えているか…」。修嗣さんはしばらく考えたのち、少しずつ言葉を紡いだ。「こう考えています、みたいなのは今のところないな。今を一生懸命にやるのが精一杯だから。けれど、彼が自分の人生に納得して生きていってほしいし、そのために必要なサポートを彼自身が納得して選んでほしい。彼らしく生きていけたらいいなって思う」。

くるみで掲げられている「自閉症スペクトラムのように多様な特性のある本人と家族のQOL(生活の質)を向上し、一人ひとりがその人らしく豊かに生きることができる社会を創る」という理念は、他でもない修嗣さん自身が誰よりも切望している社会だった。

 

第3章 自助の限界

行き過ぎた自己責任論

すでに述べた通り、コロナ禍で自助を求める声がこれまで以上に強まっている。私の友人の中には、障害者手帳があると路線バス半額割引や公共施設の利用料免除などのサービスを利用できるという理由から、「障害者は甘えている」と話す人もいた1。もちろん、そういった声ばかりではないが、一定数あることもまた事実だ。

このような批判の根底には、「自助・共助・公助」の考えがある。菅・前首相も度々口にしていた「自助・共助・公助」と言う言葉。これらは一体何を指しているのか。

2006年、小泉内閣時代に公表された「今後の社会保障の在り方について」という報告には、「社会保障についての基本的な考え方」として次のように書かれている2

「我が国の福祉社会は、自助、共助、公助の適切な組み合わせによって形づくられるべきものであり、その中で社会保障は、国民の「安心感」を確保し、社会経済の安定化を図るため、今後とも大きな役割を果たすものである。
この場合、全ての国民が社会的、経済的、精神的な自立を図る観点から、

  • 自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本として、
  • これを生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完し、
  • その上で、自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生活水準・家庭状況などの受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う工程扶助や社会福祉などを「公助」と位置付ける

ことが適切である。」

果たして、障害がある人たちは公助の上にあぐらをかいているのだろうか。当事者家族の苦労は自己責任論だけで片付けられる問題なのだろうか。太田親子と共に過ごす時間が増え、2人の生活を間近で見ていた私には、「自助努力が足りていない」や「甘えている」とは到底思えなかった。

実は、新型コロナウイルスが蔓延する以前は、修嗣さんが直樹さんの外出する度に同伴していたわけではない。修嗣さんは同伴せずに直樹さん1人で出かけることもしばしばあった。しかし、コロナ禍に起きたある事件をきっかけに、直樹さんへの同伴が不可欠となった。

事件の発生

その事件について尋ねると、修嗣さんは重い口調で語ってくれた。

事件が起きたのは2020年6月6日。この日、修嗣さんの元に一通の電話があった。

「息子さんは警察にいます」

電話口の相手はそう告げた。慌てて警察署へ駆けつけると、そこで警察官から直樹さんが公務執行妨害で現行犯逮捕されたことを聞かされた。

事件の経緯は次の通りだ。

液晶画面へのこだわりを持っている直樹さんはあるマンションのロビーで、インターホンから同じ部屋番号の呼び出しを繰り返し行なっていた。この行為が、5日間続いたため、不審に思った住民が警察に通報した。直樹さんが捕まったその日は、警察官がちょうど付近で見回りをしており、マンションの監視カメラに映っていた人物とよく似た人物がいるとして、直樹さんに職務質問をしたところ、直樹さんはパニックに陥りその場から逃げ出そうとしたが、捕まってしまった。直樹さんはいっそうパニックになってもがき、その際警察官に肘が当たって、公務執行妨害で現行犯逮捕された。

「聞いた時はびっくりした気持ちが半分、『あーやっぱりこうなっちゃったんだな』という気持ちが半分。でもやっぱり悲しかった」と修嗣さんは涙ぐんだ。

直樹さんが警察に捕まるというのは初めてのことだったが、過去には警察に保護された経験がある。高校生の頃、直樹さんが高いところに登り、降りられなくなっているところ、住民からの通報によって警察に保護されていた。ストレスが溜まった時、反動的にいろんな行動が現れやすい。今回の事件も、直樹さんに過度なストレスが溜まっていた状況下で起きてしまったといえる。

事件発生当時、川崎市も例に漏れず緊急事態宣言下だった。そのため、直樹さんのこだわりには大幅な制限がかけられていた。休日の楽しみだった映画館は全て閉鎖され、「キラッとプリ☆チャン」のアーケードゲームもできなくなっていた。自身のこだわりが制限されていたこの頃、ストレスが溜まっていた直樹さんには、ADHDの特徴である注意欠陥や多動も目立つようになり始め、家の中では、テレビの画面を撮影するために1日に何度も1階と2階の行き来したり、テレビのボリュームを急に大きくするなどの行為を繰り返すようになっていた。

私がくるみの活動に参加し始めてからも、直樹さんの落ち着きのなさは増していった。取材を始めた当初は、修嗣さんに注意にされた時、向き合って話を聞いていた直樹さんだが、最近は色々と気になるのか、注意している間あまり修嗣さんの方を向かず、まだ話が終わらないうちにその場を去ろうとする、といったこともしばしば見られた。テレビのボリュームを急に大きくするというこだわりも、取材を始めたばかりの頃にはなかったものだった。

事件以前から、直樹さんの苛立ちを間近で感じていた修嗣さんは、仕事終わりに直樹さんをランニングやサイクリングに連れて行くなど、なんとかストレスを発散できるように力を尽くしていた。「直樹からは『ランニングに父ちゃんが付き合ってくれるけど、 俺はゲームセンターに行きたいんだ!』っていうのがすごく伝わってくるわけ。それでも、できることをするしかないからやっていたんだけど、彼からしたら『そんなんじゃ全然ダメだよ!』って感覚だったんだろうなぁ」。そう話す修嗣さんの表情には、やるせなさが滲み出ていた。

新型コロナウイルスの蔓延に伴う行動制限は多くの人を苦しめたが、人一倍強いこだわりを持ち、日々のルーティーンを崩すことが難しい直樹さんには、より大きな負荷がかかっていた。

こだわり保存の法則

今回、なぜこのような事件が発生してしまったのか。本田氏の著書の中で書かれている「こだわり保存の法則」が事件を紐解く鍵となる3。この法則は本田氏が医師としての経験から得た法則で、「ある人が有しているこだわりは、経験上、トータルの量としては一定であると思われ」るというものだ。

このコロナ禍で、図らずも映画館巡りやゲームセンターでの遊びを抑圧された直樹さんのこだわりは、「こだわり保存の法則」に則り、他が抑圧された分、液晶画面へのこだわりが強く発現した。

「直樹が仕事終わったからといって、父ちゃんが付き添えるわけじゃないしさ、彼は単独行動にならざるを得ない。そうすると、いろんな問題が起きるって場面は分かってはいたんだけど、どうすることもできなかったんだよね」。

もし、マンションに住んでいたのが自分だったら、住民と同じように怖いと感じていただろう。そして、同じように警察に通報していたかもしれない。解決の糸口を見いだせない修嗣さんの話に、自閉症理解の難しさをまざまざと実感させられた。

転んで渡されるつえ

しかし、修嗣さんが常に直樹さんの付き添いをしていなければならないのだろうか。第4章で詳しく説明するが、障害者総合支援法にある地域生活支援事業の一環で、「移動支援」というサービスがある4。言葉の通り、「障害のある人の余暇移動などにヘルパーが付き添う」というものだ。

私は修嗣さんに「なぜ移動支援のサービスを利用しなかったのか」と尋ねた。

修嗣さんはこれまで度々支援を訴えてはきたが、「ヘルパーが見つかりません」の一点張りだったという。たとえヘルパーに空きが出たとしても、利用を希望する人が事業所に通い続けなければヘルパーをつけてもらえることはない。

「事業所にお願いしても、運良く人員に空きがあれば良いけれど、そんなことはめったになくて、いつ空くかわからない。どこかのタイミングで、諦めの感情が出てくる」。毎日の仕事や家事に加え、直樹さんの付き添い、NPO法人の運営を行なっている修嗣さんにとって、ヘルパーが見つかるまで通い続けるということは不可能に等しかった。そんな最中起きたのがあの事件だった。ところが事件を機に支援の優先順位が上がったのか、事件から約一ヶ月半が過ぎた頃、ヘルパーが見つかった。

修嗣さんは東京新聞川崎版の連載「くるみのおうち」の中で、日本の障害者福祉は「転ばぬ先のつえ」ではなく、「転んで大けがをして、やっとつえが差し出される」と実感しました」と綴っている5

「直樹からすると、全く悪気もなく、意識もなくやっている行動が逮捕につながっちゃうってことになると、親は絶対に先に死ねないんだよね」とぽつりと呟いた。「親が子より先に死ねない」。修嗣さんの一言は、限界まで自助を行っている当事者家族の悲痛の叫びだった。

太田親子の1日

自助が限界までなされている、というのは事件の話だけを根拠にしているわけではない。

取材をもとに筆者が作成した「太田親子の一般的な1日」
取材をもとに筆者が作成した「太田親子の一般的な1日」

上表は、「太田親子の一般的な1日」を表にしたものだ。見て取れるように、朝6時の起床から就寝まで、修嗣さんには余暇と呼べる時間がほとんどない。

「パーキングやスーパーの見学」には私も同伴することがあるが、スーパーの前にある液晶画面で流れてくる星占いと天気予報をカメラに収めるまでは、直樹さんは決してその場を離れようとはしない。しかし、それらが流れるのは約5分に1度。夏場には、液晶画面の前で大汗をかきながら待つこともある。また、同伴した日は修嗣さんの会社は休みだったが、いつもは直樹さんに付き添った後、自転車にまたがって大慌てで会社に向かっている。朝の付き添いは、時間にしてみれば30分程度だが、これを出勤日問わず毎日1人でやっていくのはかなり大変だ。

また、直樹さんは通っている就労継続支援B型事業所(第4章で詳しく扱う)から帰宅して夕食を食べた後にも、毎日近所のパーキングの精算機やスーパーのレジを見て回る。私も何度も直樹さんに付き添ったが、私が「そろそろ帰ろう」と言っても、なかなか帰らなかった。結局、30分を予定していた付き添いは、1時間以上かかってしまった。

加えて、休日は川崎に行って8時間も一緒に歩き回ることもあるのだから、修嗣さん1人が毎日付き添いをするというのは、体力的にも時間的にも難しいということは明らかだろう。

 

第4章 公助の現状

太田親子の自助はすでに十分になされているということは、第3章で述べた通りだ。では、自閉症者に対する公助の現状はどのようなものなのだろうか。

増加し続ける自閉症

そもそも自閉症児者の数はどのように推移しているのだろうか。

図1は、文部科学省「特別支援教育行政の現状及び令和3年事業について1」よりに筆者が作成したものだ。通級指導を受けている児童・生徒数の推移である。ちなみに、通級とは「軽度の障害をもつ児童生徒が、通常の学級に在籍しながら、障害の状態に応じて特別な指導を受ける教育形態」2のことを指す。

平成18年から計上されるようになった通級指導を受けている「自閉症」の児童生徒数は、計上開始から令和1年までおよそ6.5倍に増加している。

図1 通級による指導を受けている児童生徒数の推移(障害別)(文部科学省「特別支援教育行政の現状及び令和3年事業について」より筆者作成)
図1 通級による指導を受けている児童生徒数の推移(障害別)(文部科学省「特別支援教育行政の現状及び令和3年事業について」より筆者作成)

また、特別支援学級における自閉症・情緒障害の児童生徒数の推移を見ても、平成14年から平成25年までの約10年間で、約3.5倍に増えており、通級による指導を受けている児童生徒数と同様に増加傾向にあることがわかる。

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図2 特別支援学級在籍者数の推移(自閉症・情緒障害の児童生徒数のみ抜粋)(文部科学省「データ集」3より筆者が作成)

自閉症児者の数が増加傾向にある理由として、2014年4月のハフポストの記事「「自閉症の子供」が急増している理由とは?」では、専門家によって①診断基準の改訂により軽度なものも診断されるようになったこと②自閉症に関する意識の高まりから、家族が早い段階から行動を起こすようになったことの2点が指摘されている4

障害者総合支援法

障害者に対して国や市区町村がどのような支援を行うかをまとめた法律に、「障害者総合支援法」というものがある。その名の通り、障害者の日常生活や社会生活を総合的に支援するための法律だ。障害者総合支援法は、2003年に施行された障害者支援費制度を原点としており、障害者自立支援法(2006年施行)を経て、2013年に施行された。

この障害者総合支援法の施行により、法律上では、まさに障害者を総合的に支援する体制が整ったと言える。障害者支援法に基づく給付・事業については図3の通りである。

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図3 障害者総合支援法に基づく給付・事業 (『逐条解説障害者総合支援法第2版』より筆者が作成)

地域生活支援事業

障害者自立支援法と障害者総合支援法では変更点がいくつかあるが、とりわけ大きな違いといえば、障害者個人に対する福祉サービスである「自立支援給付」に加え、地域の実情を考慮した上で自治体が障害がある人に対して柔軟な福祉サービスを実施(委託の場合も含む)する「地域生活支援事業」が加えられたということだろう。

介護や就労訓練といった個別の明確なニーズに対応した給付である「自立支援給付」に対して、「地域生活支援事業」は地域の実情や利用者の状況に応じて、自治体が柔軟な対応をすることを可能としており、個別給付では対応できない複数の利用者や突発的なニーズに臨機応変に対応する余地を持たせている。

障害福祉サービスの予算は妥当か?

図3を見てみると、障害者総合支援法で示されている支援は、かなりの部分をカバーしているように思える。しかし、そこには十分な予算が振り分けられているのか。

厚生労働省が発表している「障害児及び障害児支援の現状」には、「障害福祉サービス関係予算額は義務的経費化により10年間で2倍以上に増加している」とある5。実際、障害福祉サービス等予算の推移を見てみると、4000億円ほどだった予算は、平成26年度案では1兆円を超え2倍以上にはなっている。

図1・図2を見ると、平成18年から平成26年にかけて、通級指導を受ける障害児者数、特別支援学級に在籍する自閉症・情緒障害の児童数ともに約2倍に増加しており、予算の推移は適当であると言える。

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図4 障害福祉サービス等予算の推移(厚生労働省「障害児及び障害児支援の現状」より筆者が作成)

しかし、地域生活支援事業に限って言えば、平成21年度あたりから予算はほぼ横ばいである。地域生活支援事業にかかる費用の負担割合は、国が1/2以内、県・市が1/4以内で補助をし、残りが利用者の負担となっているため、予算の頭打ちは地域生活支援事業の利用があまり伸びていないことを意味している。

実際、太田親子はサービス利用を求めていたにもかかわらず、そのサービスを利用することが叶わないまま、直樹さんが警察に逮捕されてしまう事件が起きた。

なぜ、サービスを利用したくても利用できない、というようなことが起こってしまうのか。地域生活支援事業の一つ、移動支援の現場で働く人の声を聞いた。

移動支援の現場から見えた課題

(1)人手不足

「毎日現役で働いています」。

ハキハキとした口調でこう話す女性は、川崎市で移動支援事業を行っているNPO法人「わになろう会」理事長・新井靖子さん(83)だ。

新井さんは、37年間特別支援学級の担任を務め、その後も長年川崎市を中心に障害者支援に注力してきた。

私も10月からわになろう会でヘルパー登録をして直樹さんの移動支援を行っている。現在、私のようにわになろう会でヘルパーとして登録している人は約100人おり、利用者もほぼ同数だ。1人の利用者に複数人のスタッフがつく場合や、1人のスタッフが複数の利用者を担当する場合もあるが、「やっぱり利用者さんは毎月必ず何人かはご希望があるけれど、近くに本当にその方に合った対応ができるスタッフが居ないとお断りする場合もある」と希望者にサービスの利用が行き届いていない現状を認めた。太田修嗣親子が移動支援の利用を望んでもできなかった要因の一つが、「ヘルパーの人手不足」だと言えるだろう。

これまで直樹さんの移動支援に従事したヘルパーは私を含め3人いるが、そのうちの2人(私を含む)は、利用者側である修嗣さん自らが探して声かけをしている。本来、地域の利用者の要望などに対して柔軟に内応できるようにと設けられた地域生活支援事業だが、人手不足とあっては、各利用者への細やかな対応はおろか、基本的な福祉サービスの提供すらままならない。

利用者自身が移動支援従事者にしたい人を探してくることについて尋ねると、新井さんは「それが1番手っ取り早い。利用者さんとその支援スタッフとの互いの関係もとりやすい。太田さんの場合は、常にお父さんが一生懸命動いて見つけてくるという珍しいケース」と答えた。障害のある子を持つ親の周りには、同じような境遇の人が多いため、周囲の人間にヘルパーをお願いするということは難しいという。

(2)量と質の両方が必要

では、移動支援従事者の数が増えれば課題解決となるかと言えば、そうとも言えない。障害に対する理解がない人がついてしまうと、自閉症者のこだわりを無理矢理抑制しようとして、利用者をパニックに陥らせてしまうケースもある。

「それぞれの特性に配慮してお付き合いしなくちゃ駄目っていうことを支援していただく方には言っています。対応の難しいお子さんに対して、自分の常識では理解できない、受け入れられないタイプの人をつけるわけにはいけないから」と新井さんは話す。ただ、「今いるヘルパーの中でも意識の差は大きい。障害を理解しているつもりでいろいろ対応されている人も、本当に大丈夫なの?っていうことはあるし、私も長年付き合っているけれども、未だに分からないことなんていっぱいある」と難しさも口にした。

長年、障害児者の支援に携わってきた新井さんでも、障害をきちんと理解するということは難しいという。

研修方法は各自治体によって異なるが、川崎市の場合、3時間半の講座を受け、後日3時間半の実習を行い、実習の体験報告書を出すだけで、どんな人でも移動支援のヘルパーになることはできる。そのため、ヘルパーの質はまちまちだ。知的障害には理解があるが、自閉症には明るくない、という人もいる。資格の取得こそ難しくはないが、ヘルパーの質を一律に担保するには、ヘルパーになった後の教育制度を整える必要があるだろう。

そのためには研修の機会などが増えることが望まれるが、新井さんは「自分たちのやってきた経験とか、実績をもとに良い従事者を育てるっていうことで、対応して研修してくれるところが増えるといいなと思っているんですけど、手を付けるところは少ない」と、ヘルパーの教育に対して後ろ向きな移動支援業界の実情を話した。

(3)ヘルパーの年齢

以前、修嗣さんへの取材の中で「ヘルパーさんになってくれる人は定年退職した後のシニアの人とかが中心。あとは地域活動をしていた民生委員の女性の方とか。そうするとヘルパーの年齢が5、60代なので、直樹みたいに走り出した場合、とても無理ですってなっちゃう」と話していた。利用者のニーズに応えるためにも、若いヘルパーの人員確保も必要だろう。このことについて、新井さんは「若い人たちがどんどん自発的に考えて行動していけるようになるといいと思うんですけどね」と語った。

就労継続支援B型

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就労継続支援B型事業所で働く直樹さん=2021年8月2日撮影

就労継続支援(A型・B型)とは、「通常の事業所に雇用されることが困難な障害者につき、就労の機会を提供するとともに、生産活動その他の活動の機会の提供を通じて、その知識及び能力の向上のために必要な訓練その他の厚生労働省令で定める便宜を供与すること」を指す6

その就労継続支援には、A型とB型がある。A型の利用者は事業所と雇用契約を結び、最低賃金以上を得ることができる。一方、B型では、利用者との雇用契約は結ばず、利用者は生産活動の事業収入から必要経費を除いた金額を工賃として受け取る。

太田親子にとっての就労継続支援B型

直樹さんが今の就労継続支援B型事業所に通い始めて2年になる。

この就労継続支援B型事業所を利用するメリットについて話を聞くと、修嗣さんは「あくまで親の立場から」とした上で「行ける場所があるということ」だと話した。「もしなかったら家にいることになるけど、ずっと留守番してなさいっていうわけにもいかないし、人に一日見ておいてとか言うわけにはいかない」。就労継続支援B型事業所がなかった場合、修嗣さんは会社に出勤しづらくなってしまうため、親にとっても必要不可欠な場所だ。

「行ける場所がある」というのは、修嗣さんが考えるメリットだが、それは直樹さんにとってもそうであるようだ。直樹さんは自己紹介の際、必ず「(就労継続支援B型事業所名)○年の太田直樹です」と言う。会社員が自己紹介の際に勤め先を言うのと同じように、直樹さんも今の就労継続支援B型事業所に強い所属意識を持っている。また、学校を卒業した後は障害者の居場所が減ってしまうため、直樹さんにとっても就労継続支援B型事業所は数少ない居場所となっているようだ。

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事業所では、スピード重視で雑に紙を折ってしまう直樹さんに考慮して、紙と同じサイズの箱を用いて丁寧に紙を折れる工夫をしている=2021年8月2日撮影

その他のメリットとして、修嗣さんは「社会性を学ぶ機会が得られること」、「働くことの練習や経験が積める」をあげたが、直樹さんにとっての最大のメリットは、「自分で稼いだお金を自分の好きなことに使える」ことだろう。「キラッとプリ☆チャン」のアーケードゲームは1プレイ100円かかる。週に3度川崎に行き、その都度異なる2箇所のゲームセンターでプレイするため、少なくとも毎週600円はゲーム代にかかっている(実際には1日に数回プレイするためもう少しかかっている)。修嗣さんは、「1万円前後のお金を自分の努力で稼いで、世間的に見れば少ないかもしれないけど、自分で何に使うかを考えて決めるのは生きる上で大きなモチベーションになっていると思う」と話した。

就労継続支援というサービスは利用者にとって居場所であり、生きがいになっているようだ。そんな就労継続支援(とりわけB型)には一体どのような課題があるのか。

就労継続支援B型の現場から見えた課題

11月9日、冷たい雨が降り頻る中、私は直樹さんが通う就労継続支援B型事業所を訪ねた。事業所の入り口で、以前一度話を伺ったことのある主管支援員の男性の方が私を迎え入れてくれた。

ひとくくりに就労継続支援B型事業所と言っても、作業内容は事業所ごとで異なっている。直樹さんの通う事業所では、医療器具を輸送する際に使うクッション材(スペースパルパ)の作成や、難しい作業としてはレシートや領収書を項目ごとに仕分ける伝票仕分作業などがある。その他にも、マンションや駐車場、墓地の清掃活動も行っており、生産活動の機会だけでなく、福祉関係者以外の地域住民と触れ合う機会も設けられている。

(1)一般就労への移行の難しさ

就労継続支援B型のサービス内容は、就労や生産活動の機会を提供することに加えて、一般就労に必要な知識、能力が高まった人には一般就労に向けて支援を行うこととされている。

しかしながら、取材した事業所の主管支援員は「(一般就労に移行した人が)7、8年で5人しかいない」と、就労継続支援B型から一般就労への移行の難しさを語った。

一般就労への移行の難しさは、直樹さんの通う事業所に限った話ではない。厚生労働省「説明資料(障害福祉サービスによる就労支援)」(平成31年2月12日)の「一般就労への移行率の推移」を見てみると、就労継続支援A型は微増傾向にある一方で、就労継続支援B型事業所から一般就労への移行率は平均1.3%でほぼ横ばいとなっている7

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図5 一般就労への移行率の推移(事業別)(厚生労働省「説明資料(障害福祉サービスによる就労支援)」(平成31年2月12日)より筆者が作成)

「企業が何をどんな人を求めているかというと、まず第1休まない人、それから自分のことがある程度自分でできる人。(何かトラブルがあっても)本人が自己完結して、また戻って来られる、そういう人を求めていて、仕事のできる、できないってあまり気にしていない企業が多いんです」。企業が求める人物像について、主管支援員の方はこのように語った。

しかし、就労継続支援B型事業所に通う多くの人はこれらのことを苦手にしている。そのため、実際には一般就労に向けた訓練の場というよりも、居場所としての役割が大きいようだ。

(2)利用者の高齢化

その他にも、直樹さんが通う事業所では、「利用者の高齢化」が大きな課題となっている。

「1番長い方だと、もう40年以上ここで働いているんですね。で、15年くらい働いている方が3/4ぐらい」と主管支援員の方は話した。現在、利用者の平均年齢は48歳くらいだと言う。一般企業で働く人の平均年齢も40代で、「高齢化」と言うほどのものではないように思っていた。しかし、話を聞くと、課題の全容が見えてきた。

「入ってきた当時は18歳とかで、バンバン仕事をしていた人たちが5、60代になってきて、やっぱり作業の能力がすごく下がっている。今ある約10種類ぐらいの作業のうち、2、3種類ぐらいしかちゃんとしたものが作れなくなってきているんです」と事業所の悩みを吐露した。

現在、直樹さんは月に1万円程度の工賃を得ているが、直樹さんがしている作業だけでは月に1万円もいかないという。「利用者の1/4の人たちが、伝票の整理をするような高度で難しい作業をやっていて、その収入を利用者全体に分配している。実際に3/4の人たちの収入は、合わせて大体10万いかないぐらい」。

利用者が約30人いて、一人に1万円の工賃を支払うためには、事業所で月に30万円の収益を出す必要がある。利用者全体が高齢化してできる作業が減ってしまうと、現在の工賃水準を維持することは難しくなるだろう。

多くの利用者が「居場所」として捉えているため、自ら今の事業所からよそに行きたいという人は多くない。限られた定員の中で利用者の「居場所」を守ろうとすると、新しい世代の利用者が入る余地はなくなり、必然的に高齢化は進んでしまう。就労継続支援B型事業所では利用者の年齢制限がないことも高齢化を後押ししていると考えられる。今の工賃を維持するためには高齢化の問題は解消されなければならないが、その問題の解消は高齢の利用者から今ある「居場所」を奪うことにもなりかねない。

主管支援員の方は「難しい仕事ができる1/4の人たちをどうやって就職や就労へと繋げるか。尚且つ、就労を希望していない人たちに、ここでどれだけ工賃は提供できるか、っていうところがこれからの課題なのかな」と話した。その上で、一般就労に向けた具体的な支援が現状できていないことから、「個人としてのアイデアだけど、例えばマンションの1室借りて、今実際就職を目指している7人、8人には難しい仕事や単価のいい仕事、それから就職に向けたカリキュラムを提供していって、ここでは今と同じように軽作業をやっていくという方が良いのかなという気はしますね」と就労継続支援B型の今後の展望について語った。

 

第5章 求められる理解・支援とは

第4章では、移動支援と就労継続支援B型の2つを取り上げて公助の現状を見てきた。取材を進めれば進めるほど、今ある課題が直ちに解決できるものではないと感じるようになった。もちろん支援が足りていない部分もあるが、現行の制度が全く整っていないというわけでもない。そんな中で、どのような支援・理解が求められているのだろうか。

繋がりたい時に繋がれる場所を

「どんな社会でも制度には限界がある。とはいえ、みんなが困っているより、一部が助けられる方がいいに決まっているわけだから、制度に則って支援をしてくださる人たちの力はもちろん大切」。その一方で、「直樹みたいに、制度じゃどう考えても、カバーしきれませんっていう人も絶対にいる」と指摘し、そこをカバーするには「公助をより柔軟にするか、共助しかない」と修嗣さんは話した。

修嗣さんが代表を務めるくるみは、公助ではなく、共助を選んだ。その理由について、「公助って補助金は貰えるけど、縛りもきつい中でやらざるを得ない。直樹もそこにハマんないわけだし、その不自由さがちょっと違うなって思った」と話し、「繋がりたい時に繋がれる、くるみはそんな団体でありたい。きっとそこに存在意義があるし、我々は制度に縛られてやっていく以外の道を探りたい」と修嗣さんは語った。

想像力と思いやり

では、私たち一人ひとりが今日から実践できることは何だろうか。約1年間、くるみでさまざまな当事者と関わる中で、「想像力を働かせ、相手を思いやること」が肝要であると私は感じた。

「想像力と思いやりが大事」。これは修嗣さんも常々口にしていることだ。

私が直樹さんの移動支援で川崎に行って感じたのは、周囲の不寛容な目線だった。直樹さんが「キラッとプリ☆チャン」を遊んでいる時、隣で子どものゲームに付き合っているお父さんは、「なぜ成人男性がこんなゲームをしているんだ」と言わんばかりの冷たい目をしていた。また、テレビ売り場では、売り場の人が長居する私たちを迷惑そうな顔で見続けていた。会計中の女性は、レジの液晶画面を覗き込もうとする直樹さんを怪訝そうな眼差しを向けていた。

修嗣さんは自身のブログで、直樹さんとの暮らしの中で「『仲間』と『居場所』があれば、何とかやっていけるものだ」と気付かされたと書いている。

移動支援をしている時に向けられたあの目の中では、「居場所」と感じることはできない。しかし、その目が変わるだけで、何もせずとも太田親子や他の障害がある人の家族にとっての「居場所」に変わるのだ。

 

おわりに

3月に初めて「みんなの学校」を観て、太田親子とくるみに出会った。その時の感動は冷めることなく、太田親子への取材とくるみの活動への参加をお願いし、5月には初めてインターンスタッフとしてくるみの活動に参加した。それから、ほとんどの週末はくるみのおうちでイベントを手伝いに川崎を訪ね、イベント前日は、修嗣さんのご好意に甘えてくるみのおうちに何度も前泊させてもらった。取材やイベント以外のプライベートの時間も一緒に過ごし、修嗣さんの思いを聞くのと同じくらい、私の中にあった思いも幾度となく聞いてもらった。

そして2021年12月11日。今度は私が発起人となって再び「みんなの学校」の上映会を行った。今回は、私の希望で、上映会後に映画の感想やインクルーシブについて意見を交わす茶話会を設け、多くの方に満足していただけたと感じた。茶話会を終えて、参加者からは「まずは半径5メートルにいる人から伝えていきたい」「微力だけど無力じゃない。自分のできることをやっていきます」「児童福祉施設の職員なので、職場での支援に活かしたい」などの感想をいただき、インクルーシブの実現に向けて歩み出そうとする人たちの誕生に立ち会うことができた。

くるみの活動に参加するようになって、今更ながら気づいたことがある。社会問題に対してアクションを起こすべきは「誰か」であって、くるみに関わる以前の「私」は、その「誰か」に含まれていなかったということだ。

今回書いたルポは私の未熟さゆえ、障害者を取り巻く課題を論うことにとどまる、あるいはそこにすら到達していないものだったかもしれない。しかし、くるみでの活動を通して、「私」が社会を、とまではいかないが、直樹さんやくるみに来る当事者、その家族の人生の一部に寄り添い、生きづらさの解消に僅かばかりだが貢献できたと思う。私はアクションの中にいたのだ。この感覚は決して忘れてはならないものであり、これからの人生を歩む私にくるみがくれた宝物だ。

 

謝辞

このルポの執筆にあたって、多くの人にお世話になりました。太田親子をはじめ、くるみの活動でたびたびお世話になった礒尚子さん、大嶋親子、町田真由美さん、佐藤由加里さん、わになろう会の新井靖子さん、直樹さんが通う就労継続支援B型事業所の主管支援員の方、その他多く方々にご協力いただいてこのルポの完成に至りました。この場を借りて、感謝の意を表します。

 

参考文献

発達障害者支援法ガイドブック編集委員会編『発達障害者支援法ガイドブック』(河出書房新社、2005年)

下野新聞編集局取材班『ルポ・発達障害 あなたの隣に』(下野新聞社、2012年)

本田秀夫『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(SBクリエイティブ、2013年)

千住淳『自閉症スペクトラムとは何かーひとの「関わり」の謎に挑む』(筑摩書房、2014年)

朝日新聞取材班『盲信 相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞出版、2017年6月30日)

岩波明『発達障害』(文藝春秋、2017年)

発達障害者支援法を考える議員連盟『改正発達障害者支援法の解説~正しい理解と支援の拡大を目指して~』(ぎょうせい、2017年)

姫野桂著・五十嵐良雄監修『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス、 2018年)

本田秀夫『発達障害 生きづらさを抱える少数派の「種族」たち』 (SBクリエイティブ、2018年)

姫野桂『発達障害グレーゾーン』( 扶桑社新書、2018年)

障害者福祉研究会編集『逐条解説 障害者総合支援法第2版』(中央法規出版、2019年)

梅永雄二『発達障害の人の「就労支援」がわかる本』(講談社、2019年)

竹中均『「自閉症」の時代』(講談社、2020年)

 

___________

脚注

はじめに

1 朝日新聞取材班『盲信 相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞出版、2017年)

2 朝日新聞「車いすだと「乗車拒否」 投稿したらわがままとの批判」、2021年4月10日

第1章 太田親子との出会い

1 川崎市の自閉症支援団体NPO法人くるみー来未

2 映画『みんなの学校』公式サイト

第2章 こだわりの障害

1 本田秀夫『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(SBクリエイティブ、2013年)

2 同上

3 同上

4 外務省、障害者の権利に関する条約(略称:障害者権利条約)、2019年12月9日

5 障害を理由とする差別の解消を推進に関する法律、e-GOV法令検索、2016年4月1日

6 内閣府、「障害者差別解消法【合理的配慮の提供等事例集】」、2017年11月

7 東京都、「Q6「合理的配慮の提供」の認知度」、2020年1月23日

第3章 自助の限界

1 厚生労働省、「障害者手帳について」

2 首相官邸、「今後の社会保障の在り方について」

3 本田秀夫『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』(SBクリエイティブ、2013年3月25日)

4 『逐条解説障害者総合支援法第2版』、障害者福祉研究会編集、中央法規、2019年3月10日

5 東京新聞、「〈くるみのおうち〉(10)コロナ禍の日々 今こそ触れ合いの場を」、2021年5月30日

第4章 公助の現状

1 文部科学省、「特別支援教育行政の現状及び令和3年事業について」、2021年2月

2 デジタル大辞泉より引用

3 文部科学省、「データ集」、2015年3月15日

4 ハフポスト、「「自閉症の子供」が急増している理由とは?」、2014年4月2日

5 厚生労働省、「障害児及び障害児支援の現状」

6 障害者総合支援法第5条より引用

7 厚生労働省、「説明資料(障害者福祉サービスにおける就労支援)」、2019年2月12日

(最終閲覧日:2022年1月13日)

 

このルポルタージュは瀬川至朗ゼミの2021年度卒業作品として制作されました。