震災を越えて ― 見据える本格操業、誇りとともに


小松諒平さん(35)は、東日本大震災後も請戸漁港(福島県浪江町)から海に出続ける漁師の9代目だ。相棒は、32年間大事に乗り継がれている效漁丸(こうりょうまる)。現在は週2回、4万件を超えるモニタリングの結果から安全が確認されている魚種を対象に、小規模な操業と販売により出荷先での評価を調査する「試験操業」(注1)を行っている。(取材・執筆・写真=松本雛)
<トップの写真は、小松諒平さん。震災後に住んでいる福島県相馬市内の漁港でお話をうかがった。>

 

東日本大震災の発生と命がけでの沖出し

2011年3月11日。アイナメ漁を終えて福島県浪江町の自宅に戻り、一息つこうとテレビを付けたときに緊急地震速報がなった。津波が発生した場合、沖に出て船を守ることが漁師の慣習となっていた。そのため小松さんは自身が所属する消防団の仲間に伝え、「沖出し」に出かけた。
「まさかあんなに大きい津波が来るわけがないと思っていた」と当時を振り返る。沖出しは正に命がけの作業。無我夢中、全速力で駆け抜けた。だが、請戸から沖出しした18隻のうち、戻ることができたのは15隻だった。
請戸漁港に小松さんが戻った3月12日午前8時半過ぎには、すでに浪江町の住民がほとんどおらず、白い防護服を着た警察官ばかりだったという。東京電力福島第一原子力発電所による事故が発生し、避難が始まっていたためだ。(注2)


その後、第一原発事故による放射性物質の汚染により、周囲10km圏内での漁業は禁止となった。第一原発から7キロのところにある請戸漁港は壊滅的な被害を受け、浪江町自体も2017年3月31日までは避難指示が解除されることはなかった。
トラックの運転免許をとって運送会社に勤めようと思ったこともあった。千葉県で船頭として友人の船を動かしたこともあった。だが、頭をよぎったのは、命がけで沖出しした船の存在と、「地元をきれいにして魚を獲りたい」という強い気持ちだった。小さいときから漁師である父親の姿に憧れ続け、22歳で船に乗った小松さん。震災前、26歳という若さで早くも世代交代となり、60・70代のベテランの漁師に囲まれながら船頭として舵を持つようになったという。「誰にも負けない思いでやっていた」と話す。

 

もどかしさ抱える試験操業

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請戸漁港の様子(2018年9月12日撮影)

それだけに、週2回の試験操業を余儀なくされた現状にはもどかしさを感じている。だが、現実的な妥協点として受け入れざるを得ない理由もある。1つめは、人手不足のため放射性物質の安全性検査が追いつかなくなってしまうことだ。震災後小松さんの船に乗っていた乗組員も、毎日漁に出られないと家族を養っていけないという理由で、現在は違う仕事に就いているという。2つめは、漁師を生業とする人々の避難先が漁港から遠いことだ。事実小松さんも現在は、請戸から約40キロ北にある福島県相馬市に住んでいるため、毎朝1時間かけて請戸に向かっている。そこから氷を積むなど船を出す準備に時間がかかる。そして3つめが、第一原発の半径10キロ圏内が試験操業の対象海域から除外され続けていることだ。震災前はよい漁場で、まさに小松さんたちの「ホーム」であった請戸周辺にいまだ船を出せず、その圏外での試験操業を余儀なくされているのだ。

だが、ネガティブな面だけでもない。試験操業によって規模が縮小している中でも、次第に“福島県の魚は安心”という認知がされ始めているようだ。震災後、何年も調査し続けているからこそ、仮に検知される放射線量が多かった場合には直ちにストップがかかる。逆にその基準が守られたもののみゴーサインがでるのだ。試験操業で獲られた魚は築地や名古屋にも卸されているが、業者の人からも「福島の魚は安心しておすすめできる」、「かえって福島の魚を使ったほうが安心と思える」と言われたと話す。風評被害に負けず、地道に試験操業を続けてきた賜物だ。

 

本格操業にむけて、一歩ずつ

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請戸漁港・復興への歩みは続く(2018年9月12日撮影)

東京や他県で仕事をしていた人も戻ってきている。特に請戸では若い漁師も増えているようだ。震災直後は請戸の漁師の中で最も若かった小松さんだが、現在は自分より年下の漁師が3、4人いる。身内の女性が手伝いに来て、船に乗ることもある。困難も多く残されているが、請戸全体で漁業が盛り上がってきている。

だが多くの請戸の漁師が望むのは、やはり本格操業。毎日沖に出ることで海の状況が把握でき、魚がどこに移動しているかといった感覚も掴むことができるのだと小松さんは言う。その反面、獲りすぎてもあまり売れないというジレンマも抱える。「コウナゴやしらすはまだいいけど、福島で獲れる他の魚は、まだ価格が安いんです」。

震災を超えて現在も海に出続ける小松さん。毎日沖に出て、本格操業したいとの思いを持ちながら日々を過ごす。「もしもここでやめたら、福島の漁業はだめになってしまう。生き残った者として恥ずかしくないようにやっていかなきゃ」。瞳に力がこもり、強く語った。
「確かに海は怖い。怖いけども、仕事している以上はそうは言っていられない。この仕事を誇りに思っているから、これからも海に出たい」。そう語る小松さんの目は未来を見つめていた。

 

 

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(注1)試験操業の流れ-福島県ホームページ
http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/65-1.html(2018/10/8参照)
(注2)避難区域の変遷について-解説-
http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/cat01-more.html(2018/10/8参照)