犯罪者の社会復帰を考える ― 更生はフィクションか?

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 はじめに

「更生は多分できない。クズはクズのままだと思う」―――これは、2020年の8月に福岡県の商業施設で凄惨な殺人事件を起こした、ある一人の少年の発言である。

事件当時15歳であった少年は、強姦を当初の目的に施設の女性トイレに侵入し、中にいた女性を包丁で脅迫した。しかし、自首をするように女性からなだめられた少年は逆上。トイレ内で首などを14か所刺し、女性を殺害した[1]。その後も少年の蛮行は止まず、トイレの外で6歳の少女に馬乗りになり、その母親にも包丁を突き付けたという[2]。15歳の少年が為せるとは思えないほどの残忍かつ卑劣な犯行であり、事件は多くの人々を震撼させた。私も過去に事件現場のすぐ近くに住んでいたことがあり、事件を知った当時は大変な衝撃を受けたのを覚えている。

その事件の初公判が、2022年7月に福岡地裁で行われた。上述の「クズはクズのまま」という発言は、公判中に弁護士から「更生の意思はあるか」と尋ねられた際、少年が述べたものであった。まるで反省の色が見えない少年の言い草に対して、「なぜ加害者である少年の姓名が公表されないのか」「二度と社会に出てきてほしくない」といった非難の声、また少年を厳罰に処するよう求める声がSNS上で相次いだ。

更生が叶わなかった少年

さらに着目すべきは、少年は殺人事件を起こす前、少年院と更生保護施設(第一章で詳述)に入所していたという事実である。少年院も更生保護施設も、罪を犯してしまった人物を更生させ、彼らを再犯防止や社会復帰へと繋げていく役割を持つ。当の少年も、事件の数日前までは少年院で指導を受けており、その後更生保護施設に移ってしばらく観察処分を受けるはずであった。しかし、少年は更生保護施設を入所した翌日に脱走。行方が分からなくなっているさなかに、今回の事件を起こしたのであった。

少年院にいる間も更生プログラムを休むことが頻繁にあり、時に職員の指示を無視することもあったという少年[3]。施設内での訓練を経て社会復帰を果たす人物がいる反面、少年のように更生のプログラムがほとんど意味をなさず、出所後も残忍な犯行に及んでしまう人物の事例は数知れない。そのような現実がある以上、再犯防止の意義、あるいは「更生」そのものの実現性について疑義を呈する人々は少なくないだろう。

「クズはクズのまま」という少年の言葉は、更生などたかがフィクションではないか、犯罪者の社会復帰など所詮理想論ではないか―――そのような暗く重たい問いを我々に突き付ける。

再犯防止の二つの潮流 ――作品の背景、問題意識

私が今回「犯罪者の社会復帰」を作品のテーマとして選定した背景には、再犯防止に関わる二つの潮流がある。一つは、近年における再犯防止政策の拡充である。2000年代に入って以降、政府などの公的機関によって再犯防止に関する法律は着々と整備されている。2007年の「更生保護法」、2017年の「再犯防止推進計画」の策定、そして2022年6月に国会で決定された「拘禁刑[4]」の創設などは、その大きな結節点である。また、犯罪者や非行少年を刑事施設に閉じ込めず、社会の中で自発的な更生や社会復帰を後押しする処遇、いわゆる「社会内処遇」と呼ばれる考え方が広がり、その流れに従って更生保護施設やNPO法人などの民間組織に付託される権限も拡大しつつある。その点、再犯防止の活動は官民に及んで確実に進展していると言えるだろう。

今一つは、政策の肯定的な流れとは真逆を行くような「再犯者率」の上昇傾向である。令和3年度版の犯罪白書によると、令和2年度の再犯者率は49.1%と、検挙人員数のおよそ2人に1人が再犯者であるというデータが示された(図1参照)。

図1:再犯者人員・再犯率の推移。(令和3年版「犯罪白書」、p234より引用)
図1:再犯者人員・再犯率の推移。(令和3年版「犯罪白書」、p234より引用)

グラフの推移を見ると、再犯者数そのものは減少している反面、再犯の傾向は年々浮き彫りになっていることが分かる。その背景には、「犯罪者は怖い」という世間のイメージ、ないしは犯罪者の社会復帰を容認しない雰囲気があるというのは、再犯防止に関わる多くの識者が指摘するところである。

再犯防止に関する諸政策の拡大、その傍らで進む再犯者率の上昇。相反する二つの現象が同時発生している現状を鑑みて、今、『再犯防止』の活動を取り上げることには大きな意義があるのではないかと直感した。本作品は、ともすれば理想論とも見なされがちな「再犯防止」の取り組みについておよそ半年間取材を続け、その結果をまとめたルポルタージュである。

果たして犯罪者の更生・社会復帰はフィクションなのか。再犯防止はただの理想論なのか。そのような疑問を検証すべく、まず初めに出所者の社会復帰を支援する施設である「更生保護施設」に取材を申し入れた。(取材・文 中村太一)

 

第一章:「寛容と共生の社会」を目指して ――更生保護施設「更新会」の取材

こんな場所にも更生保護施設があるのか―――自身にとって身近な場所であっただけに、初めはとても新鮮な驚きを覚えた。場所は、早稲田大学早稲田キャンパスの19号館。大学の中央図書館に隣接するビルの一角に、更生保護施設「更新会」は存在する。更生保護施設の活動の実態について、更新会に取材を行った。

更新会のエントランス。
↑更新会のエントランス。 撮影:中村太一

更生保護施設とは何か

「はじめに」でも少し触れた更生保護施設であるが、そもそも何をするための施設なのか。

更生保護施設とは、住居がない、あるいは家族などの頼るべき人がいないなどの理由で直ちに自立することが難しい保護観察の対象者を宿泊させる施設である(保護観察については注17を参照)。食事の給与、就職の援助、生活指導などを施設の中で行い、彼らの円滑な社会復帰を支援することにその役割がある[5]

2022年12月の時点で全国に103の更生保護施設があり(図1参照)、全て更生保護法人、NPO法人、社団法人などの民間団体によって運営されている[6]

図1:更生保護施設の分布(更生保護ネットワークより引用。)
図1:更生保護施設の分布(更生保護ネットワークより引用。)

 

「更新会」の概要

新宿区の西早稲田に施設を構える更生保護施設「更新会」。1950年に事業の認可を受け、1994年から現在の施設で更生保護の事業を開始した。「自立した人を一人でも多く育てる」という理念のもと、施設入所者の就労支援や生活指導、SST(社会生活技能訓練)[7]などの活動に精力的に取り組んでいる。また、早稲田大学との提携で「早稲田矯正保護展(第七章参照)」を開催するなど、独自の取り組みも行っている。

 

ディズニーランドから届くお米

施設を案内してくださったのは、更新会の常務理事を務める山田憲児さんである。「更新会を見に来たいと言った人は、今まで一人も断ったことがない」といい、施設の案内も手慣れた様子であった。

山田さんに連れられて、薄暗い廊下を歩く。施設全体は少々古びているが、目立ったゴミは少なく、清潔感がある。

最初に訪れた部屋は、テーブルと椅子がずらりと並んだ食堂である。冷蔵庫や電子レンジといった共用の設備もあり、その傍らには受刑者専用の求人雑誌である「Chance!!」も置かれている。

中でも目を引くのが、部屋の隅に置かれていたやや大きめの段ボール。その中には、インスタントの食品やお菓子が詰め込まれている。聞けば、それらの食品は全て外部から無償で提供してもらったものであり、欲しい人が各々で取っていく仕組みだという。「ディズニーランドからお米を貰うこともあるんだよ。この辺のはみんな貰い物」。そう山田さんから説明された。

この食堂からは、売買や取引といった忙しないやり取りの痕跡は感じられない。緩やかな「受け渡し」の文化が根付いている様子が、がらんとした空間の端々からも見て取れるようであった。

↑食堂の様子。奥の炊事場では、施設の方が食事を作っていた。
↑食堂の様子。奥の炊事場では、施設の方が食事を作っていた。撮影:中村太一

 

無料にできない洗濯機

続けて案内されたのは、洗濯機がある部屋。洗濯機を見ると、「1回200円」と書かれている。聞けば、「お金の事情が厳しいから、無料にすることはできない」のだという。

更新会は、過去にライブドアの元社長である堀江貴文氏が早稲田矯正保護展(第七章詳述)で講演を行った折に、堀江氏と交流を持った。それ以来、更新会は堀江氏から毎月10万円の寄付を受けているが、決して十分な額とは言えないようである。「第二のホリエモンが出てきてくれたらいいんだけどねえ」。そう山田さんは、冗談とも本音ともつかない言葉を口にした。

 

入所者の居室

最後に、実際に入所者の方が住んでいる部屋を覗かせてもらった。整理整頓がなされている部屋もあれば、物が散らばった部屋もある。フロアごとの部屋を一つ一つ見て回ったが、人がいる部屋はなかなか見当たらない。しかし三階の一室にだけ、座ってテレビを見ている人がいた。ドアを開けて「すみませんね」と山田さんが声をかけ、「あ、はい」と入所者の方は答える。特にこちらのことを気にする様子もなく、日が差した部屋の中で小型のテレビを眺めていた。

更新会では、半数以上の人が配送助手や足場組立工といった何かしらの職業に就いている。この日も、仕事で外出している人が多いようであった。

↑入居者の方の部屋。
↑入居者の方の部屋。撮影:中村太一

 

更新会の処遇実績

全国で年間1万人程度の人が入所しているという更生保護施設であるが、実際に更新会にはどのような人が在所しているのだろうか。更新会のパンフレットによると、2022年6月の時点で16名が在会している。年齢構成は中年者・高齢者が多く、40代以上の人々がおよそ7割を占めている(図2参照)。

図2:更新会の入会時年齢構成(更新会のパンフレットを基に、筆者作成)。
図2:更新会の入会時年齢構成(更新会のパンフレットを基に、筆者作成)。

また更生保護施設は、本来更生保護の対象とはならない満期釈放者も、場合に応じて「更生緊急保護」の措置で入所することができる(更生緊急保護については注18参照)。更新会においても、仮釈放や執行猶予といった保護観察の対象者のほか、更生緊急保護を受ける人物が多数在籍している(図3参照)。

図3:更新会の処遇の種別構成(更新会のパンフレットを基に、筆者作成)。
図3:更新会の処遇の種別構成(更新会のパンフレットを基に、筆者作成)。

また、入所者の罪状についても様々である。山田さんから渡されたパンフレットの「罪状」の部分には、窃盗、詐欺、覚せい剤、器物損壊、そして「強姦」と記されている。「性犯罪をした人はあまり更生保護施設では受け入れないんだけど、うちは受け入れています」。そう穏やかな口調で説明された。

 

山田憲児さんの経歴、永山則夫の一生

更新会の常務理事と保護司[8]を兼任する山田憲児さんであるが、今の仕事に行き着くまでにどのような経歴を辿ってきたのだろうか。

山田さんは東京大学の教育学部を卒業後、国家公務員の一つである保護観察官[9]の道へと進んだ。当時の周りは「大学教授を目指す人ばかりだった」というが、そのような環境の中でなぜ保護観察官になることを選んだのか。その理由について、山田さんは大学在学中に読んだ「無知の涙」という一冊が、自身に大きな影響を与えたからだと語った。

「無知の涙」を著したのは、1968年に連続殺人事件を起こして死刑囚となった、永山則夫という人物である。

戦争の爪痕が色濃く残る1949年に生を受けた永山は、壮絶な幼少期を生きた。彼の産まれた網走の実家では、父親が酒を飲んで博打に興じ、家族に対して日常的に暴力をふるっていた。その環境に耐えられなくなった母親は、永山が4歳の時に家を捨てる。兄弟と共に残された永山は、飢えと寒さに耐えながら厳冬の網走を生き抜いた。

のちに兄弟と共に母親と合流するも、母親は彼に対して常に無関心であったという。その後も同級生からのいじめ、飢えや貧困などの苦難が日常的に続き、永山は誰からも満足に愛情を注がれない日々を過ごした。青年となって上京してからも手に職がつかない日々が続き、同じく上京していた兄弟からも徐々に見放されていった。その経験は永山の精神を徐々に蝕み、彼を自殺願望へと駆り立てていく。永山が自殺を試みた回数は、精神鑑定を担当した医師が数えるだけでも19回にわたったという[10]

しかし、それでも死にきれなかった永山は、ある時窃盗を目的にアメリカの海軍基地に侵入し、その一室で拳銃を盗んだ。当初は拳銃を自殺に用いようとは考えておらず、誰かを殺すつもりもなかった。しかし、たまたま拳銃を持ち歩いていた際に警察官に呼び止められ、慌てた勢いでその場で警察官を撃ち殺してしまう。憔悴に駆られた永山は自殺をしようと考えるも、彼の中には家族や社会への憎悪が鬱積していた。それを晴らさなければと思い至り、永山は過去の恨みを清算するかのように連続で殺人を犯していく。半ば自首に近い形で警察に身柄を拘束されるのは、事件を起こしてしばらく経った後であった。

 

「無知」を脱した永山

逮捕された直後、永山は自殺のことばかり考えていた。しかし、三番目に殺めた人物に子供がいたということを知り、彼は強い自責の念に駆られることとなる。その時以前から、永山には獄中における胸の内を綴っていたノートがあり、それが「無知の涙」として刊行され、当時のベストセラーとなっていた。永山は、「本の印税を被害者遺族に渡してほしい」と弁護士に頼むようになった(実際に一部の被害者遺族は印税を受け取っている)。その後、獄中結婚などを経験する中で、永山は自己の行為についてはっきりと謝罪・贖罪の念を持つようになった。かつてのような自殺願望は消え、死刑執行の直前も刑務官に抵抗し続けたという。

「無知の涙」には、そのような彼の獄中での変化がはっきりと表れている。「無知の涙」の端々で見せる詩的な表現には、かつて恵まれない家庭環境で育ち、母や兄弟への恨みを募らせていた姿は感じられない。山田さんは「無知の涙」を読み、「学ぶことを通して人は変われる」ということに気が付いた。それをきっかけに、保護観察官になろうと決めたという。

およそ40年務めた保護観察官を退官後も、山田さんは大学やNPOなどの民間組織で積極的に更生保護の事業に関わってきた。更生保護に携わった年月は、官民併せて約50年にも及ぶ。

 

「人間は変われる」――更生保護が教えること

そのような山田さんに、更新会で働く中で更生保護の役割や意義を実感するタイミングがあるか尋ねてみた。すると、部屋の奥からいくつかの資料を持参し、このように続けた。「これは手紙なんだけどね、9回刑務所に入ったことがある人と文通をしている。彼はどうしようもない人間なのよ、9回も刑務所に入っているんだから。けど、そんな彼だって刑務所に入らないような人間になりたいって言いながら、こうやって僕を頼ってきてくれている」。

山田さんに手紙を差し出すその人は、幼い頃に親に捨てられて養護施設に入り、過去には少年院にも行った経験がある人物だという。これまでの自分を変えたいと主張する彼の手紙を見つめながら、山田さんは諭すようにつぶやいた。「人間は変われる。それは、更生保護をやっていればよく分かる」。

↑受刑者直筆の書。
↑受刑者直筆の書。撮影:中村太一

 

メディアが更生保護に与える影響

「これは私の持論なんだけどね、メディアが犯罪を取り上げれば取り上げるほど、社会は悪くなる」。メディアに対する山田さんの論調の強さに、私は少し面食らってしまった。

2014年の内閣府の世論調査によると、更生保護の取り組みを広げるために必要な手段として、新聞やテレビ、雑誌などのメディアを挙げる人々の割合は多い[11]。しかし山田さんは、「通り魔殺人みたいな重大な事件は、犯罪全体の0.1%にも満たない。けど、マスコミがわっと報道しちゃうでしょ。だから国民にアンケートを取ったら、8割の人が『犯罪は増えている』と答える。実際の件数は減っているのにだよ」と、苦々しい顔でメディアを批判した。

山田さんの主張は、「治安に関する特別世論調査」という、2012年の世論調査に裏打ちされる。調査が行われた2012年の時点で、犯罪の件数は年々減少の傾向にあったにも関わらず、世論調査の「最近の治安についてどう思うか」という質問に対して、「悪くなったと思う」「どちらかといえば悪くなったと思う」と回答した人は実に8割以上にのぼった[12](図5参照)。

図4:最近の治安についてどう思うかの調査結果(2012、内閣府世論調査より引用)。
図4:最近の治安についてどう思うかの調査結果(2012、内閣府世論調査より引用)。

一般の人々がそのように思う原因はメディアにある、というのが山田さんの見解である。日頃のメディアの報道を通して、人々はどうしても「犯罪者は怖いものだ」というイメージを持ってしまう。それが更生途上の人物にとって居心地の悪い社会を形成し、結果的に再犯の可能性が高まるという悪循環が発生する。

メディアについて終始苦言を呈していた山田さんだが、「メディアに期待する役割はあるか」と尋ねたところ、「刑務所をものすごく地道に取材している番組もあった。いい報道もなくはない」と述べる。単なる犯罪事実の報道に終始するのではなく、罪を犯してしまった人物の背景にもフォーカスし、可能な限り彼らの事情に理解を示した報道をすること。そのうえで、「犯罪者は怖い」という世論のイメージを少しでも払拭するような潮流を作ること。そのような姿勢や配慮を、山田さんはメディアに求めているようだった。

 

山田さんが目指す社会

取材中にも「このパンフレット持って帰っていいよ」「このジュースあげるよ」と私を気遣い、とても大らかな姿勢で取材に応じてくださった山田さん。更新会が特に重視する理念は何かと尋ねたところ、「寛容と共生の社会の実現」であると強調した。すなわち、犯罪者を差別し、隔離し、排除するのではなく、同じ社会の一員として受け入れられるような社会を目指すべきだという。

「犯罪者を皆死刑や島流しにできるわけがないんだから。いずれは社会に受け入れなければいけない。そのとき差別をすればするほど、犯罪者は追い詰められていく。そしたらまた再犯しちゃう。その悪循環をどこで食い止めるか。それは更生保護しかないのよ」。山田さん自身も認めるように、更生保護は一般人の理解を得ることが容易ではなく、その周知は発展途上の段階である。しかし、過去に犯歴のある人々も受け入れる寛容な社会を作ることが、結果的に犯罪や非行の少ない社会に繋がると強く主張する。

更新会では現在、ホームページを用いた広報活動や外部組織との提携を積極的に行うことで、更生保護の普及に努めているという。「一人一人理解者を増やしていくことが、更生保護を広める一番確実な方法。難しいことだが、地道にやっていくしかない」と山田さんは括った。

「寛容と共生の社会」を目指し、今日も更新会は活動を続ける。

 

第二章:公的機関による再犯防止の取り組み ――「コレワーク東北」の取材

 

「うちは『更生保護』ではなくて、『矯正』の施設ですが」―――電話口でそう告げられた瞬間、血の気が引いた。

民間の施設「更新会」の取材を終えた私は、公的な更生保護活動についても取材をしなければと考え、更生保護に関する政府の取り組みを探していた。その過程で、「仙台矯正管区矯正就労支援情報センター」、通称「コレワーク東北」という法務省の機関があることを知った。すぐに取材のメールをしたためたが、その時に調べていたのはコレワークの活動内容のみであり、どのような制度や法律に裏付けられた機関なのかについては十分に調査をしていないままであった。

そのツケはすぐにやって来る。メールを出した数日後にコレワーク東北から電話があり、「コレワークは『更生保護』の施設ではない」「更生保護と矯正では根拠法が全く異なる」という旨の指摘を受けたのである。再犯防止の活動が全て「更生保護」だと思い込んでいた私は、それを聞いて愕然とした。もっとちゃんと調べてからメールを出すべきだった。「勉強不足でした、大変申し訳ございません」と、ひたすら謝罪の言葉を述べる。すると、「法学部の方ではないので仕方ないことだと思います。矯正という観点からでもよければ取材にお答えいたしますが」と告げられた。なんて優しい方なのだろうか。情けなさを感じながらも「ありがとうございます、ぜひお願いいたします」と答え、電話を終えた。

矯正の取り組みについて、そして再犯防止の活動について、ちゃんと学ばなければ。この体験は、自らの再犯防止に対する不勉強を強く反省させるものであった (矯正と更生保護の違いについては、第三章で詳述)。

 

刑事施設の空気感

仙台駅からバスでおよそ30分。目的地のバス停を降り立つとすぐ、ひっそりとたたずむ東北少年院の姿を認めることができる。周りには住宅があるが、閑静で人の気配はほとんどない。乾いた落葉が舞う音、そして時折通るトラックの鈍い音だけが辺りに響いていた。

しばらく少年院に沿って道を歩いた先に、「コレワーク東北」の建物は存在する。刑事施設の放つ独特な雰囲気にいささかの緊張を覚えながら、ゆっくりと中に足を踏み入れた。

今回取材を行ったのは、仙台矯正管区矯正就労支援情報センター、通称「コレワーク東北」の室長を務める小出稔さんである。協力雇用主や再犯防止推進計画など、公的機関による再犯防止の取り組みについて幅広い観点からお話を伺った。

↑小出稔さんと、コレワーク東北の看板。
↑小出稔さんと、コレワーク東北の看板。撮影:中村太一

 

コレワークの活動内容

「コレワーク」とは、主に出所者の雇用を検討する事業主に対して、採用手続きの支援を行う公的機関である。全国の受刑者の資格、職歴、帰住予定地などの情報がコレワークの下で一括管理されており、出所者雇用を検討している事業主に対して条件の合いそうな受刑者の情報を提供することができる(図1左、「雇用情報提供サービス」参照)。一般の求職者には非公開となる「受刑者等専用求人」によって採用が進められる点などに、サービスの特徴がある。

それ以外にも、矯正施設や職業訓練の見学会を事業主に案内する「就労支援相談窓口サービス」や、出所者の面接・書類選考をサポートする「採用手続き支援サービス」などの業務があり、コレワークの活動は多岐にわたっている(図1右参照)。

図1:コレワークのサービス(コレワーク公式ホームページより引用)。
図1:コレワークのサービス(コレワーク公式ホームページより引用)。

また、出所者雇用については「職親プロジェクト」(第四章参照)のような民間の取り組みも存在するが、コレワークの活動の強みはどのような部分にあるのか。小出さんは次のように説明する。

「日本の刑務所は、刑期の長短、性別や年齢などによって扱う人が違うので、受刑者は全国の刑事施設に分散しちゃう。それだと、例えば仙台市の業者さんが出所者の人に地元で働いてもらいたいのに、じゃあ仙台に帰ってくる人はどこにいるのってなったときに、分かんないよね。なので、うちのデータベースを基にして、出所したらこっちに帰ってくる人が今どこにいるのか、というのを教えることができます。逆に言うとコレワークしか教えられない」。

また、形式的なマッチングになることを避けるため、出所者の居住地や過去の犯歴等も考慮した上で企業を探す場合もある。例えば、過去に性犯罪を起こした人物に対しては、敷地内に寮を持っている会社や、自転車で通勤できる範囲の会社を提案することが多いという。「やっぱり、電車の中で痴漢していた人を電車に乗せて通勤っていうわけにはいかないので。そういうことをやっています」。

受刑者のデータを基軸に、企業と受刑者の最適なマッチングを検討する。豊富な受刑者のデータベースを持つコレワークならではの取り組みだ。

 

コレワーク東北が出来た経緯

出所者雇用の促進を目指して法務省の矯正局に開設されたコレワークであるが、2016年に設立された当初は埼玉と大阪の2か所のみであった(コレワーク東日本と西日本)。しかし、たった2つの支所だけで全国の出所者雇用を管轄することには初めから無理があり、最低限ブロック別に支部を設ける必要性が生じた。より地域に密着した形でサービスを提供するという目的の下でコレワークは増設され、現在は各地方に一つずつ、全国に計8か所存在する(コレワーク東北は2020年7月に発足)。

コレワーク東北の開設後、景気の動向やコロナ禍の状況に左右されながらも「体制としてはかなり前進してきた」と話す小出さん。さらなる就労状況の改善に向け、コレワーク東北は保護観察所やハローワークとの密な提携を進めている。

 

矯正機関の難しさ

しかし、矯正施設は公的機関のネットワークを活用して再犯防止に取り組めるメリットがある反面、制度や法律の壁によって出所者へのフォローが難しくなる場合もある。「同じ法務省の機関でも、例えば保護観察所[13]だと保護観察期間に月一回二回とかは関われるんですけど、コレワークとか矯正の機関的にいうと、出所後のサポートがしづらいというのが事実としてあります」。小出さんは、矯正機関の難点をそのように述べた。

コレワーク自体、職業安定法の関係から出所者に対して直接仕事の紹介をすることはできず、ハローワークを介して職を斡旋するしかない[14]。また、小出さんは、「コレワークは全国の受刑者のデータベースを持っているが、そこに入力されたデータ以外は持っていない」ことがコレワークの限界だと説明する。制度の設計上、受刑者本人とコレワークは直接顔を合わせる機会が無く、個々の受刑者の特性や人格を把握することまでは難しい。制度や法律による活動範囲の限界が、公的機関には往々にして存在する。

しかし他方で、制度の改正などによって矯正施設の活動の幅が拡充してきた部分もあるという。小出さんは、少年院を例に説明する。「例えば非行少年って、相談できる大人が周りにいないことが多いんです。実際に出院した少年も、自分の面倒見てくれた先生を頼って少年院に相談しにくることがあったんです。当時それは法的に根拠の無い仕事だったんだけど、出院者がそういう窮状にあるから、事実上相談は受けていた。だけど少年院法が改正されて、出院者からの相談を正規に受けられるようになりました。本来矯正施設は一旦出てしまうとサポートは難しいんだけど、部分的にはそういった制度も出てきているところです」。

また、先に述べたコレワークの限界は、「現場の刑務官と密に連絡を取り合うこと」を通じて補うことが可能だという。「『なるほど君はそういうヤツなんだ、それなら前から取引のあるあそこの会社の社長に頼んでみよう』という感じで、現場の刑務官とお互い連携を取りながら、情報共有を図りながらマッチングの精度を上げていく形で、コレワークの限界は補っていこうと思っています」。

刑務所や少年院が法律で規定された施設である以上、その枠外で法的に根拠の無い活動をすることは難しい。しかし、矯正施設に求められる多様なニーズに、現行の制度が追い付いていない部分があるのも確かである。現場の声を踏まえて制度や法律を柔軟に運用・改正し、矯正施設の活動の可動範囲を広げていく姿勢が、今後も行政には求められていくであろう。

 

裏切られてもなお

犯罪者の社会復帰のために出所者雇用に協力する事業主、通称「協力雇用主」と呼ばれる国の制度がある(第三章で詳述)。協力雇用主は、厳密には保護観察所の所管であるものの、出所者雇用を進める上でコレワークが協力雇用主と接する機会は多い。

「事業主さんの中には、本当に社会貢献という感じで雇ってくれている方もいるんです。新品の作業服を用意したらそれを着たままいなくなっちゃったとか、会社のもの持ち逃げしていなくなっちゃうとか、何回裏切られてもなお続けてくれている事業主の方って、やっぱりいるんです。本当にありがたいなあと思っています」。協力雇用主について、小出さんは柔らかな口調でそう語った。

 

協力雇用主を増やすには

その上で、協力雇用主を増やすためには何か必要かという質問に対しては、「コレワークの相談件数が増えること」が一つ重要だと答えた。「労働条件が厳しい、給与の条件が良くないなどの事情で、求人を出し続けても応募がない事業主の方はいっぱいいます。その人たちに、ハローワークの方から『コレワークで出所者雇用をやってるので、よろしければご検討ください』と言うと、そのうちの何人かに一人はフリーダイヤルの方にかけてきてくれることもあります。コレワークへの相談件数が増えれば、間接的に協力雇用主を増やしていくことはできるんだろうなと思います」。

また、コレワークは日頃から計画的・主体的に事業所開拓に取り組み、協力雇用主の業種拡大、エリアの拡大に努めている。それらの活動の成果もあり、協力雇用主の数は年々漸増の傾向が見られる(第三章詳述)。しかし小出さんは、闇雲に成果を焦らない「ゆったりとしたスタンス」が、確実に協力雇用主を増やす上では重要ではないかと付け加える。「いきなり『出所者を雇うのか雇わないのか』という迫り方は、事業主さんとしても苦しい。そうじゃなくて、事業主さんに受刑者の前で自身の経験を話してもらうとか、職場体験の場を設けて『こんな仕事やってんだよ』って見せてもらうとかね。それぞれ事業主さんのできる範囲で少しずつやってもらって、その延長線上で出所者を雇ってもらうのがいいのかなと。そこはそういった、ちょっとゆったりしたスタンスで取り組んだ方がいいんじゃないかと思います」。

成果を急いで協力雇用主を「増やす」のではなく、矯正の取り組みに共感を覚えた事業主が自発的に「増える」ことを期する。「無理やり雇用主の登録数を増やすことはできるんだけど、やっぱりしっかり面倒見てくれる事業主さんじゃないと仕事が続かなかったりするので」。そのように語る小出さんの口ぶりは、大らかながら説得力に満ちている。

また、出所者の雇用に際し、コレワークは「受刑者の不都合な真実も全て事業主に伝える」ことを大事にしているという。「雇ったその日にいなくなるとか、持ち逃げするとか、色んな不都合があるんですけど、それを理解してもらった上で、事業主さんに信頼してもらうことが大事なんじゃないかなと思います」。

 

総論賛成、各論反対の犯罪者支援

更生保護に関する内閣府の世論調査の中に、「更生保護活動への参画意識」という項目がある[15]

図2:更生保護活動への参画意識(2014年、内閣府の世論調査より引用 )。
図2:更生保護活動への参画意識(2014年、内閣府の世論調査より引用 )。

参画意識とはすなわち、「犯罪をした人の立ち直りを支援し、更生保護活動に協力したい気持ち」のことを指す。その意識が「ある」と回答する人々の割合は4割に満たず、現状高いとは言い難い。「犯罪者へのサポート」は、常に総論と各論の判断が違う分野であり、「例え出所者のサポートに前向きな人も、いざ矯正施設が家の近くにできると猛烈な反対運動を起こすものだ」と、小出さんは苦笑いして語る。

そして、犯罪者の存在の裏には、必ず「被害者」の存在がある。小出さんはコレワークに勤める中で、被害者家族から非難の声を受けたことがあるという。「自分の娘さんが犯罪の被害に遭って、本当だったら就活をしなきゃいけないのに、就活どころか家を出ることすらできない。そんな状況にあるのに、『あなたたちは犯罪者の就職の面倒を見ているのか』って。もちろん、被害者の存在を我々も決して忘れてはいけないし、忘れてるつもりはないんだけど…」。

犯罪被害者を慮る心情から、犯罪者へのサポートは往々にして理解を得られにくい節がある。また、「犯罪者の生活が困窮するのは自業自得だ」という、ある種の自己責任論を語る人も少なくない。犯歴のある人々への就労支援は、障がい者や生活困窮者への支援とは一線を画する難しさがあり、コレワークは常に総論と各論、犯罪者と被害者の板挟みの中で活動を強いられている。

 

「怖い人」ではなく、「弱い人」

しかし、第一章で触れた永山則夫のように、犯罪を働く者の背景には幼少期の恵まれない成育環境がある場合も多い。コレワークを始めとして、そのような境遇について深く実情を知る矯正機関は、受刑者支援に対して前向きな姿勢を決して崩さない。「確かに恐ろしい、怖い犯罪者っていますよね。でもそれは一部であって、ほとんどが怖い人じゃなくて、『弱い人』なんですよ。人に助けてって言えないとか、どんどん孤立して選択肢が無くなって、最後犯罪をやっちゃうとか。そして彼らのことを調べていくと、虐待を受けていたりだとか、非常に生い立ちが不幸だったりという人が少なからず含まれているんです。そういった実情を正しく世の中に知らせることも必要だと思います」。

普段の暮らしで犯歴のある者と関わる機会が少ない以上、そのような境遇がスムーズに周知されていくとは限らない。しかし、「『そんな奴らもいるんだ、少し助けてあげたいな』って思ってくれる人が、何%いるか分かんないけど、必ずいると信じていますし、再犯防止によって新たな被害者を生まないのであれば、それはやはりやっていかなきゃいけないことじゃないかと。それは心に固く思っています」。小出さんは、まっすぐな面持ちでそのように語った。

 

公的機関に求められる役割

再犯者率の上昇が進む昨今であるが、再犯防止のために矯正機関は今後どのようなことに取り組むべきであろうか。「話が大きすぎて、コレワークとして回答できることではないんだろうなと思いますけど」と小出さんは笑い交じりに前置きしつつ、「『再犯防止推進計画』をそれぞれ所管の省庁や機関が一生懸命に取り組む形で、再犯率は下がっていくのかなと思います」と回答した。

政府が2017年に取り決めた「再犯防止推進計画」の115の施策目標は、非行少年の就学支援から地方公共団体との連携に至るまで、大小さまざまなものがある[16]。しかし、逆に言えばこれだけの施策が現時点で十分に達成されていないということでもあり、公的機関のきめ細かな努力が俟たれている。「潰していかなきゃいけない課題は色々ある」と、小出さんは真剣な表情で語った。

また小出さんは、著名な刑法学者であるリストの言葉を用いて、次のようにも述べた。「リストの有名な言葉で、『最良の刑事政策は最良の社会政策』というのがあって。やはり福祉などの諸制度が確立していることが、一番の刑事政策になるんだということを言っているんです。例えば、日本で受刑者の高齢化問題が出てきて、海外の状況も調べに行こうとなって北欧の施設に行ったら、そもそも高齢受刑者と呼ばれる人がいなかった。いたとしても、日本のように万引きとか無銭飲食で捕まっている高齢者はいないんですね。だってそういうことをしなくても、福祉があって生活ができるから。リストの言葉は本当にその通りだなという気がします」。

社会政策が充実していることが、巡り巡って一番の刑事政策となる。そして、「最良の社会政策」を生む主体は、他でもなく政府や地方自治体などの行政機関である。そもそも社会福祉の制度から締め出されて困窮する人々を生まないよう、そして、そもそも虐待やネグレクトに及ぶような家庭を生み出さないよう、より広い視点で政策の拡充を図る必要がある。それが長期的に見て、再犯を減らしていく最もラディカルな方法であろう―――そのような結論を胸中に得て、取材を終了した。

帰途に就く間際、小出さんから声を掛けられた。「コレワークの取り組みに関心を持っていただいたというだけでも、我々にとっては一歩前進ですので」。そう言って、温かな笑顔で施設の外まで見送っていただいた。

門の外に出ると、下校中の小学生が和気あいあいと喋りながら帰りのバスを待っている。時折周りを見遣れば、コンビニの袋を手に提げて自転車に乗る人、犬の散歩をする人などが目に入る。閑散としていたはずの通りには、先ほどとは違う生活感が溢れていた。

時計は16時半を回り、バスが定刻遅れでやって来る。夕焼けに照らされたコレワーク一帯の風景は、自分が普段見かける穏やかな住宅街の景色と何一つ変わらないものであった。

 

第三章:再犯防止を支える制度

 

更生保護と「コレワーク」は無関係?

第一章で民間施設の「更新会」、第二章で公的機関の「コレワーク」について扱った。しかし、その二つは同じ「再犯防止」を目的とした機関でありながらも、法律の規定上分野が明確に分かれている。簡潔に述べれば、再犯防止の制度は大きく「矯正」と「更生保護」の二つに区分されており、その役割や対象者、対応する機関・施設などは全く異なっている。例えば、先述したコレワークは「矯正」、対する更新会は「更生保護」の位置付けとなる。

この章では、現行の再犯防止の制度について「矯正」と「更生保護」の二点から概説する。小難しいテーマではあるが、可能な限り平易な解説を試みたい。

 

矯正は「施設の中」

「矯正」とは、主に出所前、すなわち「施設の中」にいる人物を刑罰等によって処遇する制度を指す。主な対象者は「受刑者」であり、施設内での作業や改善指導、教科指導などによって受刑者の更生が目指される。

矯正施設の種類としては、刑務所や少年院といった刑事施設が挙げられるほか、売春を犯して補導を受けた女性を収容する「婦人補導院」、第二章で詳述した「矯正就労支援情報センター(通称『コレワーク』)などがある。

 

更生保護は「施設の外」

翻って、更生保護とは何だろうか。矯正との最大の違いは、矯正が「施設の中」の処遇であるのに対し、更生保護は出所後、すなわち「矯正施設の外」に出た人物を処遇する制度ということである。ただし、その対象者は基本的に保護観察[17]を受ける人物に限られ、仮釈放になった人、執行猶予に付された人などがその対象である。そのため、満期の釈放者などは、更生保護の対象から除外される(満期釈放者は「更生緊急保護[18]」の対象。詳しくは注18を参照)。そのため、保護観察中の人々に対する「出所後の再犯防止活動」が、更生保護の大まかな定義となるだろう(図2参照)。具体的な更生保護の活動としては、出所者に対する就労支援や住居の提供、生活指導などが挙げられる。

図2:矯正と更生保護の流れを示す図(令和3年版犯罪白書、p28より引用)。赤枠が矯正、青枠が更生保護。
図2:矯正と更生保護の流れを示す図(令和3年版犯罪白書、p28より引用)。赤枠が矯正、青枠が更生保護。

更生保護に対応する機関や施設は、官民に及んで様々である。例えば、第一章で触れた更生保護施設は民間の機関であるが、国の機関である保護観察所、あるいはBBS会・更生保護女性会といったボランティアも更生保護の活動として存在する。

 

協力雇用主制度とは何か

また、今回の論文では、出所者雇用の取り組みについて多く扱っている兼ね合いから、そこに深く関連する「協力雇用主」という更生保護の制度についても補足的に説明しておきたい。

協力雇用主とは、犯罪者の社会復帰を支援するために出所者雇用に協力する事業主のことを指す[19]。その制度的な背景には、再犯をして刑務所に戻った男性のおよそ7割、女性はおよそ9割が無職であるという現状がある(図3参照)。収入源に乏しくなりがちな出所者に職場を提供し、再犯の防止に繋げることが協力雇用主制度の狙いである。

図3:入所受刑者の就労状況(令和3年版犯罪白書、p243より引用)。再入者の大半は無職(赤枠)。
図3:入所受刑者の就労状況(令和3年版犯罪白書、p243より引用)。再入者の大半は無職であることが分かる(赤枠)。

 

協力雇用主の現状、推移

令和3年版「犯罪白書」によると、出所者を実際に雇用する協力雇用主の数は、令和2年10月1日の時点では1391社であった[20](図4参照)。現在に至るまで、その数は漸増の傾向にある。

図4:出所者を雇用する協力雇用主・被雇用者人員の推移(令和3年版犯罪白書、p91より引用)。どちらも漸増の傾向にある。
図4:出所者を雇用する協力雇用主・被雇用者人員の推移(令和3年版犯罪白書、p91より引用)。どちらも漸増の傾向にある。

ただし、表に示されているのは、あくまでも「実際に」出所者を雇用している事業主の数であり、出所者を雇用していない事業主を含めた協力雇用主の「登録数」は、これよりも圧倒的に多いことに注意が必要である。関東地方更生保護委員会に問い合わせたところ、2022年10月1日時点で「実際に」出所者を雇用する事業主は、およそ1000社ある。それに対して、協力雇用主の「登録数」は、2022年10月1日時点で約25000社にのぼる。つまり、協力雇用主全体の中で実際に出所者雇用を行っている事業主の割合は、25000社中の1000社、数値にして約4%程度ということになる。「協力雇用主の登録は済ませたけど、実際に出所者を採用する気にはならないな…」と考える事業主が、大半を占めている状況といえる。今後は制度の周知を進めつつ、協力雇用主の登録数のみでなく「実際に」出所者を雇う企業の数を増やしていく努力が求められている。

 

連続性が高まる「矯正」と「更生保護」

以上に見た内容が、現行の再犯防止を支える二つの制度、「矯正」と「更生保護」である。

しかし、先ほど矯正と更生保護は「同じではない」と述べたものの、両者の一体化が促進されている潮流があることも極めて重要である。例えば、日本財団の運営する「職親プロジェクト」は、受刑者の「矯正」を担う刑務所、そして出所者の「更生」を担う民間企業などが一体となって、出所後の社会復帰を支援する活動である。矯正と更生保護の連続性が高まっているという意味で、再犯防止の活動は一枚岩になりつつあると言えるのかもしれない。

以下、第四章から第六章にかけて、官民合同の再犯防止活動である「職親プロジェクト」について取り上げる。

 

第四章:官と民を「つなぐ」役――日本財団「職親プロジェクト」の取材

 

矯正施設の出所者が再犯に及んでしまう理由として、「生活資源」の欠如が指摘される。例えば、安定した収入源がないために生活苦に陥る人、あるいは親類や知人といった人間関係に乏しく、誰にも頼れないまま社会的に孤立してしまう人は、生きる糧を得るためにやむを得ず再犯に及ぶ場合が多い。仮に矯正施設を出所しても、社会生活を営むための条件が整っていなければ、再犯を根本的に防ぐことは難しい。

そのような「収入」「人間関係」「住居」といった、出所者が社会生活を送るために必要な資源を「職場」を通じて提供する取り組み、通称「職親プロジェクト」と呼ばれる官民合同の活動が存在する。今回、職親プロジェクトを運営する日本財団[21]の中谷さん・榎村さん・福田さんの三名に、オンラインで取材を行った。

 

職親プロジェクトの概要

「職親プロジェクト」とは、「就労」「教育」「住居」「仲間づくり」の観点から、出所者の円滑な社会復帰を支援する活動である[22]。具体的な取り組みの例としては、少年院・刑務所在所中のインターンシップの実施、発達障害に関する企業向けの勉強会の開催などがある(図1参照)。受刑者の「矯正」を担う刑事施設と、出所者の「更生保護」を担う民間企業を連携させ、より柔軟かつ効果的な再犯防止を目指す点に特徴がある。

図1:職親プロジェクトが策定する「三年計画」の一部。出所前、出所後、出所後6ヶ月の三段階に分け、長期的な視点で受刑者の社会復帰を支援する(職親プロジェクト公式サイト「三年計画・中間支援」より引用)。
図1:職親プロジェクトが策定する「三年計画」の一部。出所前、出所後、出所後6ヶ月の三段階に分け、長期的な視点で受刑者の社会復帰を支援する(職親プロジェクト公式サイト「三年計画・中間支援」より引用)。

職親プロジェクトの起源は、政府が2009年から開始した「地域生活定着支援事業[23]」にまでさかのぼる。地域生活定着支援事業(以下「支援事業」)とは、主に高齢や障がいによって自立が困難な矯正施設の出所者に対して、福祉サービスを提供するという政府の取り組みである。その事業が開始された理由として、元受刑者の高齢者と障がい者が受けられる福祉サービスに制限があり、それゆえに彼らの再犯率が他の世代に比べて高いという現状があった。職親プロジェクトの成立以前から「再犯率の高さについて問題意識があった」という福田さんは、そのような状況を改善すべく、日本財団で再犯防止を研究するチームを立ち上げた。そして、支援事業を先行的に進めていた栃木県の地域生活定着支援センター、そして元受刑者の高齢者と障がい者に農作業を行わせるという取り組みをしていた福祉施設に、再犯防止のヒントを得るべくヒアリングを開始した。

 

「就労」を目的にしたプロジェクトを

ヒアリングの結果、「支援事業には再犯を防止する効果がある」という結論が研究チームの中で得られた。しかし、当時の支援事業は福祉の色合いが強く、出所者の「就労」を目的にしたものではなかった。福田さんは、「働ける人を福祉に閉じ込めておくのはちょっと違うんじゃないかな」と感じていたという。また、支援事業は高齢者・障がい者が対象であるため、当然ながら若い世代はサービスの恩恵を受けることができない。

支援事業の範囲を、福祉から就労支援にまで拡大できないか。また、支援事業をより若い世代の受刑者にまで拡大できないか。そのような福田さんの問題意識を念頭に、出所者雇用にフォーカスした企業探しが始まった。それが、「職親プロジェクト」の原型である。

プロジェクトの進捗は一筋縄ではいかず、東日本大震災によって研究が一時的にストップしたり、プロジェクトに賛同してくれる企業がなかなか見つからなかったりなど、数々の困難を経た。しかし2013年、福田さんの想いに共感したお好み焼きのチェーン店「千房」など7つの企業が中心となり、ついに職親プロジェクトが始動した[24]。そこから現在に至るまで、出所者雇用を請け負う「職親企業」は全国で176社にまで増加し、職親プロジェクトの活動の輪は大幅に広がっている[25]。昨今はコロナ禍の影響でインターンシップなどの取り組みが一時的に停滞したものの、受刑者が直接企業に出向いて職業を体験する「外部通勤制度[26]」などの仕組みを活用し、柔軟な出所者雇用の促進を図っている。

日本財団は、「みんなが、みんなを支える社会」という理念を軸に活動している。「世の中には、刑務所から出てきたことを隠して働いている方が数多くいらっしゃいますし、それが分かったがために解雇されたという事例もあります。それなら最初から出所者の方が自身の過去を偽ることなくオープンにしましょうと。また、会社がしっかりその人を支えましょうと。そういった態勢を取り続けています」。職親プロジェクトの発足に大きく関わった福田さんは、プロジェクトのスタンスについてそのように語った。

社会と受刑者のイメージギャップ――出所者雇用の難しさとは

先にも述べたように、職親プロジェクトを通じて受刑者は出所後に不足しがちな人間関係や収入源を得ることができ、より地に足の着いた社会復帰を目指すことが可能となる。しかし、職親プロジェクトによると、雇用後6ヶ月における職場の定着率は3割ほどであり(2020年時点)、目標値の80%にはかなりの隔たりがある[27]。実際、これまでプロジェクトを実行に移す上では多くの困難が伴ってきたと、中谷さんは語る。「まず、出所者の受け入れ企業がなかなか見つからないということがあります。出所者を雇っている企業は信用されるのかどうか、経営上に問題が出るのではないか。そういった部分を企業様は気にされています。社会全体の理解を図るというのも重要なんですけれども、そういったところで企業の受け皿がなかなか広がりません」。

また、実際に出所者を採用した後も、入社後数日でいなくなってしまったり、採用後も一切出勤して来なかったりというケースが見受けられるという。「初めは出所者の方を支援しようとプロジェクトに参加していた企業の方も、そのようなことがある中でどうしても続けていく気持ちを持つことができない。そこも一つの課題になっています」。

過去に罪を犯した人物を採用することで、企業のイメージが損なわれるのではないか。採用後に会社で問題を起こしはしないか。そのような心理的なハードルから、出所者の採用に踏み出せない企業は多い。また、出所後にいきなり受刑者が労働に従事することは、社会経験が十分でない受刑者にとっても負担が大きい。出所者と企業がそれぞれのハードルを乗り越えて職の定着に至ることは、容易ではない。

 

職場の定着率を上げるには

では、出所者の定着率を上げるには何が必要だろうか。中谷さんは、「必ずしも皆さんの想像されるような受刑者の方ばかりではありません」と強調し、まず社会の側が受刑者の実像を正しく把握することが必要だと話す。「実際に出所者の方を雇っている飲食店では、それはもう怖い人が出てくるんじゃないかと思っていたけど、行ってみたら本当に丁寧に接客して頂いた、後から聞いたら出所者の方だった、ということがあります。そのような方法で受刑者の方の実像を理解していただくのが、まず一つ大きなことなのかなと」。

他方、受刑者側が克服すべき課題も多くある。その一つとして、受刑者は往々にして「働く」ということに対する理解が無い点が挙げられる。「実際に採用された後、例え一般的な給料であっても『思っていたような給料がもらえなかった』と思われる出所者の方もおりますので、まずはそこの不一致をなくすことが重要だと思います。仕事に対する理解を適切に受刑者の方に持っていただくことが大切です」。

周りの人々や社会の適切な支えがあれば、「更生は十分に可能だ」と取材中に述べていた中谷さん。職親プロジェクトとして、今後は受刑者の正しい姿を周知する活動、また出所者の就労意欲を向上させられるような教育支援を推進していきたいという。社会と受刑者、双方の行き過ぎたイメージや先入観をいかに解消できるかが、長期的な出所者雇用においては重要である。

 

官と民を「繋ぐ」使命 ――職親プロジェクトに求められる役割

「はじめに」で述べた拘禁刑の創設に見られるように、近年の再犯防止に関する政策動向は、受刑者の社会復帰を志向したものになりつつある(拘禁刑については注4を参照)。そのような潮流の中、今後職親プロジェクトは再犯防止においていかなる役割を果たしていけばよいのか。榎村さんは、「更生保護の現場と法務省のつなぎ役になること」だと述べた。「拘禁刑の話なども出てきている中で、法務省と更生保護の現場を繋げている財団としては、『現場ではこういうリクエストがありますよ』とか、『現場ではこのようなことを考えているから法務省でもこのような動きがあるといいんじゃないか』ということを、法務省とのつなぎ役となって伝えていけたらと思っています」。

また福田さんは、「矯正施設での教育は現状不十分である」と指摘したうえで、受刑者の「立ち直り」の教育を充実化させることもプロジェクトの役割だと述べた。「本来であれば、矯正施設に入っている段階で立ち直りの教育を提供する必要があると思うんですが、それが出来ていないがために、出所した後に再教育の機会が必要となってしまう。矯正と更生保護のシームレスな教育というのが、財団が法務省、あるいは民間と一緒になって作っていく課題の一つなのかなと思っています」。

職親プロジェクトは、官と民の中間に位置する組織である。だからこそ、法務省と民間企業、そして矯正と更生保護の各機関をシームレスに媒介し、出所者の実地的な社会復帰を支援することが可能となる。拘禁刑などの新しい政策動向や、再犯防止における官民の融合が見られている昨今、職親プロジェクトが官民の架け橋として機能する場面は数多く出てくるだろう。

 

職場を提供する意義とは

出所者雇用には、再犯防止の観点から推進することが望ましい反面、現実には非常に多くのハードルが存在する。発達障害などの病気を抱えていたり、そもそも労働意欲が欠如していたりする出所者は、職場に長く勤めることが難しい場合が多い。また、企業による出所者の採用が努力義務である以上は、積極的に出所者を雇用する企業は少数派にとどまるであろう。職場定着率の目標値である「80%」という数字は、現状からみれば途方もなく遠い理想のように思える。

しかし、希望はある。中谷さんは取材の中で、「お好み焼きのチェーン店『千房』さんでは、出所者として採用した人物が店長にまで就任し、その店長が今度は刑務所に出向いて受刑者を採用する立場になりました」と、ある元受刑者のサクセスストーリーを語っていた。また、榎村さんは、「職親プロジェクトを通して結婚されていた方もいた」という事例を述べた。「女性の方なんですけど、出所後に同じ仕事場で働かれている男性の方と出会って結婚して、今子供を育てながら幸せに暮らしているというお話は聞いたことがあります。その方はプロジェクトを通じて、新しい人生の形を得ることができたのかなと」。例え全ての取り組みがうまくいくことはなくとも、出所者に「職場」を提供する意義は確実に存在するのである。

職親プロジェクトの使命は、「繋ぐ」ことである。矯正と更生保護の機関、法務省と更生保護の現場、そして今も昔も変わらずプロジェクトに求められているのは、出所者と企業をいかに繋ぎ、彼らを社会復帰に結びつけることができるかということである。結節点としての職親プロジェクトの意義は、今後ますます増大していくはずだ。

 

第五章:出所者雇用の最前線――職親企業の取材

 

官と民の連携によって、出所者雇用の促進を目指す「職親プロジェクト」。しかし、プロジェクトの中で実際に出所者と交流を持つのは、職親プロジェクトに登録された企業、通称『職親企業』である。

先述のように、職親企業は2021年5月時点で176社存在し、その範囲も北海道から沖縄まで幅広い。出所者雇用の最前線に立つ企業の思いを知りたいという思いに動かされ、職親プロジェクトに「職親企業様の取材をさせて欲しい」とメールで打診したところ、快く承諾を得ることができた。

今回取材を行った職親企業は、「ヒューマンハーバーそんとく塾」、「カンサイ建装工業」、「藤巻製作所」の三社である。オンラインにて取材を行った。

 

「職親企業」になる方法

そもそも、「職親企業」として職親プロジェクトに登録されるには、どのような段取りを踏む必要があるのだろうか。

職親プロジェクトへの入会を希望する企業は、まず保護観察所で「協力雇用主」の登録手続きを行わなければならない(協力雇用主については第三章を参照)。そこで反社会的な活動をしていないか、業績が安定しているかなどについて審査を受け、問題が無かった場合はハローワークに求人を登録する。その後、日本財団で年に三回開催される職親企業の連絡会議に出席し、そこで配布される入会申込書を提出した企業が「職親企業」の一員となる。

↑職親企業の登録用紙(職親プロジェクト提供の資料より引用)。
↑職親企業の登録用紙(職親プロジェクト提供の資料より引用)。

職親企業として登録された企業は、出所者雇用に際して様々な助成を受けることができる。例えば、刑務所・少年院にいる人物との面会に必要な交通費・旅費、また内定者の就労準備(家電製品、住宅確保、作業服の調達など)に必要な経費などが、上限30万円で日本財団から支給される。また、自動車免許など、就労に役立つ資格・免許を取得する費用が助成される制度もある(後述する「ヒューマンハーバーそんとく塾」が行う事業)。出所者雇用に伴って発生しうる困難に備え、職親企業には様々な補助が施されている。

 

「心の教育」による再犯防止

福岡市中央区に所在する「ヒューマンハーバーそんとく塾」。職親プロジェクトの九州事務局を務める職親企業である。元々は出所者や出院者の自立更生に携わる事業を行う「ヒューマンハーバー」という単体の株式会社であったが、2021年に社団法人として分社化し、出所者教育に重点を置いた「ヒューマンハーバーそんとく塾」(以下「そんとく塾」)が立ち上がった。現在までそんとく塾が関わってきた出所者・出院者は65名に上り[28]、年齢も10代から50代、罪状も窃盗から殺人に至るまで様々だという。

そんとく塾の最大の特徴は、就労支援などの取り組みに加えて「教育」という観点から再犯防止に取り組んでいる点だ。中でも、自社内で実施する「心のスポンジづくりプログラム」というカリキュラムが特筆に値する。

「出所者の特徴として、よく言われるのが『学力が低い』ということなんですが、学力が低いんではなくて、『学ぶための力』そのものが低いということを私は考えています。なので、『心のスポンジづくりプログラム』を使って、学ぶそのものの力を伸ばすという取り組みをしています」。そんとく塾の塾長を務める原田さんは、そのように語る。

 

「心のスポンジづくりプログラム」とは

ここで、「心のスポンジづくりプログラム」の詳細について触れておきたい。「心のスポンジづくりプログラム」とは、そんとく塾が独自に開発した再犯防止のための教育プログラムである。教育関連では全国で三例目となる、特許の取得も果たしている。

「心のスポンジづくりプログラム」が目指すのは、過去に罪を犯した人間が「自らの意思で」学習に取り組む姿勢を身に付けることである。そのため、過去に受刑者が学んだ国語や算数などの科目をあえて使用することで、自らの体験・知識を基に問題を解決する習慣を身に付けやすくしている。

具体例として、「言葉のバブル」という国語のプログラムがある。大まかな流れは以下の通りで、まず特定の感情を表す単語で語群を作る。例えば「喜び」という感情であれば、「歓喜する」「意気揚々」「天にも昇る気持ち」…という具合である。その中から、「自分が最大限喜んでいるときに用いる言葉」をいくつか選び、それを他の人と共有する。すると、個々人によって選んだ言葉は全く違うことに気が付く。

↑「心のスポンジづくりプログラム」の教材(そんとく塾提供の資料より引用)。
↑「心のスポンジづくりプログラム」の教材(そんとく塾提供の資料より引用)。

特定の感情を言葉で表現するとき、自分の選ぶ言葉と相手の選ぶ言葉が同じとは限らない。自分の選んだ言葉が相手に異なる受け取り方をされたり、場合によっては誤解を与えたり不快な思いにさせたりすることもある。そのような知見を「言葉のバブル」から学び、相手の気持ちを思いやる「心のスポンジ」の育成に繋げていく。

では、「心のスポンジづくりプログラム」の効果はどれほどか。原田さんによると、そんとく塾の発足以来約30名がプログラムを受けたが、未だに「再犯はゼロ」だという。また、一部矯正施設への導入も進んでおり、中でも佐賀少年刑務所では、プログラム導入によって再犯防止に大きな効果が出ているという。

 

出所者雇用の実情

「静岡はどちらかと言えば、のほほんとした雰囲気の人が多いです」。そう話すのは、職親企業の「藤巻製作所」に勤める原さん。藤巻製作所は、静岡県沼津市に本社を構える自動車部品の製造会社であり、主に自動車やトラック、農機などに用いるエンジン用配管を製造している。

職親企業となって以来少しずつ出所者の採用を増やし、これまでおよそ20名強の出所者を採用してきたという藤巻製作所。しかし原さんは、出所者の勤続状況については「長く続いて3年半くらい。短い方は0日と、働く前に逃げちゃったこともありました」と、出所者のモチベーションにはばらつきがあることを指摘する。「働く意義を持って働きたいという方ももちろんいるんですけれども、中には『一日でも早く刑務所を出ればあとはどうでもいいや』と考える方もいます。難しいのは、やはり本人たちに忍耐力というか、自分で目標を立てて頑張ろうという思いが無く出所してしまうことです。するとどうしても『やっぱいいや』となってしまう」。

働くことへの抵抗感を持つ出所者の心持ちは、出所後も簡単に変わるものではない。「言い方は悪いんですけど、詐欺などで楽をして50万100万を手に入れていた人たちは、地道にひと月働いて20万30万というのがどうしても割に合わないと感じてしまいます。何回かの面接だけでその方々の本心まで見切るというのは、なかなか難しいです」。原さんは、そう苦々しい口調で語った。

そんとく塾と同様、藤巻製作所は教育支援によってそのようなマインドの改善を試みているが、まだ発展途上の段階だという。長期的な再犯防止を見据え、教育支援の充実化が目指されている。

 

職親企業同士の「横ぐし」

大阪府岸和田市に本社を構える「カンサイ建装工業」。職親プロジェクトの関西事務局を務める職親企業であり、建物のリニューアルや耐震改修といった建築の業務全般を行っている。2013年に大阪で職親プロジェクトが発足した当初からメンバーとして加わっており、職親企業としての歴史は長い。

近年の職親企業の活動の特徴について、カンサイ建装工業の今中さんは「『横ぐし』の体制が特徴だ」と述べた。「横ぐし」とは、仮に出所者の就いた企業が自身に適していなかった場合、職親企業の間で融通を利かせ、出所者を他の業種に斡旋する体制のことを言う。「横ぐし」のネットワークについて、藤巻製作所の原さんも肯定的に述べる。「今までは職親の中でも企業単独で動くことが多くて、『うちでだめならさようなら』ということが多かったんですが、今は職親同士の企業の絆があって、『うちでだめなら、じゃあ飲食やってみようか』といって、そちら側に移ることがあります」。

原さんによると、協力雇用主のような制度の下で企業同士の繋がりを作るのは難しく、職種や地域をまたいで出所者を融通しあうことはほとんど不可能だという。しかし、職親プロジェクトの場合は、各地方の事務局を通して全国の企業とコンタクトを取ることができ、出所者の斡旋はもちろん、出所者雇用のアドバイスなどを企業同士で簡単に共有することができる。「再犯防止」という大きなテーマのもと、職親企業の間で連帯を目指す動きが見られつつある。

 

「現場感」の欠如 ――官民合同の問題点

職親プロジェクトの最前線に立つ職親企業は、官民合同の再犯防止活動についてどのような意見を持っているのだろうか。カンサイ建装工業の今中さんは、職親プロジェクトによって官と民の交流が促進されている部分があると述べる。「日本財団さんに支援して頂いて、官と民を繋いでいただくことがすごくできているなと。例えば、刑務所内での職業体験や、今年第二期に入った『公文を少年院の中で取り入れる』といった活動が、今年だと特に主流だったと感じるところです。そういうのを全国で広げていけたらいいなと」。

他方で、官民の連携は現状不十分だと指摘する声もある。そんとく塾の原田さんは、「再犯率や犯罪被害者がなぜ減らないのか、それを本気で考える『現場感』が官民の間には無い」と、厳しい意見を語る。

原田さんがこのようなことを言うのには理由がある。原田さんはこれまで刑務所を繰り返し訪れた経験から、受刑者を更生させようという意識が刑務所の現場には全く足りていないという実感を持ってきた。いわく、刑務所は日頃から怒鳴り合いと格闘が横行する場所であり、刑務官室ですら「受刑者に対する罵声がバンバン飛び交っている」ような状況があるという。「現場の刑務官たちは、受刑者を更生させようなんて思ってないですよ」。敢えてそのように言い切る原田さんの言葉には、矯正施設の非情な現実が滲んでいる。

また、藤巻製作所の原さんは、「本当に就労支援を頑張ってやってくれている刑務官の方はいます」と前置きをしつつも、「うちの元受刑者の方も、刑務所について同じようなことを言っていました」と語る。「自分が『就労したい』と言ったら、『お前はそんなことすることはない、刑務所にいる時はそんなこと考えないで俺の言うことを聞けばいいんだ』と刑務官の方に言われ、精神的にまいってしまったと。そのように聞きました」。

そのような刑務所の実態を置き去りにして、表面的な議論だけで官民合同の政策が促進されているのではないか。そのような問題意識が、一部の職親企業の中では存在する。

 

職親企業の役割、職親プロジェクトの役割

最も受刑者に近い立場にあるはずの刑務官や刑務所が、受刑者の更生について十分に考慮していない現状。職親プロジェクトとして、それを打破する方法はあるのだろうか。原田さんは熱を帯びた口調で、現場のレベルで官民が議論をする「本音の場」を設けることが重要だと話す。「僕が官民で一番連携が足りないと思うのはやっぱり『本音で話す』場。出所者たちを一人の人間として生きさせるためにはどうしたらいいかというのを、官と民が必死に議論して本音で戦わせないといけない。そういう現場のレベルでの議論を、刑務官たちと顔突き合わせていかないと、変わらないんですよね」。

そして同時に、「でも、なかなかそういう機会ってないんです。職親プロジェクトを通して、そのような『本音の場』が作られることを期待しています」とこぼした。

また、原さんは、「刑務所の歯止めになること」も職親プロジェクトの役割であると述べる。「刑務所の監督者が立ち会う以上、塀の中だけで受刑者の本音を聞くことは絶対無理。しかし、一度出所した人からそのような刑務所内での処遇を聞くことができれば、改めて『こんなことやって、お前ら何やってんだ』という風に刑務所にフィードバックできる。そうなると、『職親にばれたら俺たちもやばい』ということで、変な形ですけど刑務所の歯止めになってくれる。そこも我々職親の携わる部分かなと思っています」。

刑務所という閉鎖された空間に風穴を開け、刑務所ではなかなか明らかにならない出所者の意見を矯正施設に対して適切にフィードバックしていくこと。それが今後、職親プロジェクトに課された役割と言えそうである。

 

犯罪者を受け入れられるか

普段から出所者と接している職親企業は、「犯罪者」についてどのような認識を持っているのだろうか。藤巻製作所の原さんは、過去に大阪で催された再犯防止のフォーラムに出席した際、強く感銘を受けた場面があったという。「実際に出所して働いている方が発表する場があったんですけど、その方が『ここで一からやり直すんだ』と語っていた。出所者の方がそういうところを見せるっていうのがすごくインパクトがあったし、頷いている方もたくさんいらっしゃいました」。

そのため、原さんは一般の人々のイメージを変える方法として、あえて過去に犯歴のある人が「表に出る」ことを提案する。「『別に普通の人だよ、しっかり働いていますよ』という姿を見せることが、一般の人たちのイメージを変える上ではすごく大きいのではないかと思います」。原さんはそう意気込んで語った。

他方で、そんとく塾の原田さんは、「なぜ犯罪者を社会が受け入れないかって、そりゃ受け入れないですよ。受け入れてもらおうと思う方が無理だと思う」と、やや冷ややかな持論を語る。しかし、それは出所者の更生を諦めているがゆえの言葉ではない。「例えば犯罪の記事が出たりすると、『過去にヤンキーだったことを自慢するのはなんだ』とか、『うちは犯罪のせいで被害に遭って一家離散になったぞ』とか、そういう意見が出てくる。世間が受け入れないっていうのは、それほど当たり前なんですよ」。出所者の更生に長年携わってきた原田さんだからこそ、「犯罪者」に対する一般的な感覚がどのようなものか、それを肌身で理解しているようであった。しかし、原田さんは同時に、「唯一『差別はしない』ことは出来る」と強調する。

原田さんがそう述べる背景には、前科が付いた人物に対する様々な制約がある。例えば、一度前科が付くと諸々の資格は停止され、携帯電話やクレジットカードなどの契約は難しくなる。また、知人や友人との人間関係が疎遠になることは必至であり、最悪家族から見放されるケースもあるだろう。そのような犯歴のある人々が直面する困難を踏まえ、原田さんは諭すように語る。「例えつまずいた人であっても人権はあるわけです。その人が過去のことをやり直して贖罪しようと思っとうのに、ダメだといって差別されることは間違いなのかなと」。その言葉には、犯罪者の厳しい現実を認識している反面、出所者の未来を真剣に考える原田さんの思いが感じられた。

 

「本音」で語る職親企業

「刑務所にいる人たちの8割9割はもう手に負えない。更生するのはもう1%以下」。これは、「職親企業として活動していて良かったと思う瞬間はあるか」という質問に対して、原田さんが開口一番に述べた発言である。原田さんは、終始熱と勢いのある口調で取材に答えていた反面、その意見や持論は首尾一貫して現実的であり、時に冷ややかとさえ思う節もあった。しかし、「更生するのは1%以下」と答えた後、原田さんはおもむろにある青年のエピソードを話し始める。

17歳のときに殺人を犯したというその青年は、23歳の時に佐賀刑務所を出所し、その後そんとく塾に入塾した。塾で学び始めた当初は、「目つきが厳しくて、人を拒絶するような子だった」という。しかし、原田さんはこのように続ける。「その子が地元に帰ることになった時に、『本当にお世話になったんで、お礼を言いたい』って電話してきてくれたんですよね。それで、『もしここに学びに来なければ、僕はどうなっていたか分からない』と言われた。そのような更生の瞬間があるから、こういう仕事を辞められないのかな」。青年について語る原田さんの口調は、これまでになく温かさに満ちたものであった。

たとえ更生の可能性が数%であろうとも、出所者が自分の道を見つけ、社会復帰を果たす思いがある限りは万策を尽くす。出所者の未来を背負う職親企業の言葉は、厳しくも愛のある「本音」に満ちていた。

 

第六章:「変わる」ことの大切さ――出所者の方へのインタビュー

 

午前9時、伊豆箱根鉄道の田京駅。早朝から雨足は強まり、12月の冷え込みは一段と厳しさを増す。白い息が立つ駅前で、藤巻製作所の原さんが迎えに来るのを待っていた。

第五章で、出所者を雇用する企業である「職親企業」について取り上げた。今回はそのインタビュー相手の一社であった藤巻製作所から承諾をもらい、出所者の方にインタビューをさせてもらえることとなっていた。

実際に刑務所に服役していた人物と話をするのは、人生で初めてである。どんな人なんだろうか。何の罪を犯した人なんだろうか。怖い人じゃないだろうか―――行きがけの電車に揺られている間も、私の胸には期待と不安が充満していた。そわそわとしながら駅の入り口に立っていると、原さんの車が駅に到着した。「おはようございます、よろしくお願いします」。互いに挨拶を交わし、私は車に乗り込んだ。

↑田京駅の前。
↑田京駅の前。撮影:中村太一

車中での着信

取材現場に向かう途中、原さんの携帯電話に着信が入った。「はい、はい、そうですね。そういうのも含めてお話しできればと思っていますので、ええ…」。原さんはそう言いながら、神妙な面持ちで電話を切った。何の話をしていたのか尋ねたところ、近頃遅刻や寝坊が目立つ出所者についての話だった。どのように注意を促すか、社内で検討しているという。「仕事が出来るけど遅刻する人よりは、あまり仕事は出来なくても遅刻しない人を採りたいですよね。やっぱり仕事なので…」。車を走らせながら、原さんはそのようにつぶやいた。出所者雇用の実態は、やはり厳しいようである。

 

受刑者らしくない人物?

十分ほど山道を走り、車は目的地に到着した。場所は、静岡県伊豆の国市のはずれにある藤巻製作所の工場。着いてから初めに施設の中を案内してもらい、部品の製造から溶接までの工程をひとしきり見学させてもらった。大きな機械音が工場中に響き渡っており、耳を傾けなければうまく原さんの説明を聞き取れない。

溶接の現場を歩いている途中、原さんが一人の男性に目線を投じた。「あの人が、今日お話ししてくださる方です」。見ると、眼鏡をかけた中年の男性が、黙々と部品を溶接している。作業の途中で我々の存在に気づき、こちらにぺこりと頭を下げた。そして、再び溶接に取り掛かる。懸命に仕事に励んでいるその姿は、当初抱いていた「受刑者」のイメージとは程遠いものだった。

今回取材に応じてくださったのは、2022年の5月から藤巻製作所で働く小山さん(54・仮名)である。過去に四度犯罪をし、四回刑務所に服役した経験を持つ。雰囲気はかなり物静かで、取材中の受け答えも丁寧であった。とても過去に犯罪を重ねた人物とは思えなかったが、彼はどのような経緯で罪を犯し、そしてどのような形で社会復帰をするに至ったのだろうか。

↑藤巻製作所の工場の外観。
↑藤巻製作所の工場の外観。撮影:中村太一

転落

小山さんが初めて罪を犯したのは42歳の時。窃盗罪であった。当時は、派遣社員として電機屋の配送センターに勤めていた。「派遣社員だから時給が安く、交通費も自腹だった。楽してお金を稼ぎたいという思いはありました」と当時を振り返る。生活が困窮していたこともあり、ある時ついに魔が差して商品の家電を窃盗、換金してしまう。それまでの真面目な働きぶりも相まって、周りの人には「あの小山さんが」と驚かれたという。

最初は魔が差した程度だったが、その後坂を転げ落ちるように二度、三度と窃盗を重ねていく。元々頼れる親類がほとんどおらず、「出所しても行く当てがない。それが一番つらい」と語っていた小山さん。出所後に介護の仕事に就いた時期もあったが、女社会の現場にうまく馴染むことが出来ず、給料を削られるなどの仕打ちを受けたこともあった。いつしか頼れるのは受刑者の仲間だけという状況となり、そのコミュニティから「抜け出せなくなっていた」という。

初犯の場合、窃盗は微罪で済むことが多い。しかし、犯罪を重ねて「常習」が付くと、窃盗は懲役三年以上という重罰となる。小山さんは窃盗の常習犯となり、刑務所に四度入所、服役した年数は合計8年半にも及んだ。

 

「変わらなければ」と決意

「どうにかなるだろう」。刑務所に服役している間も、心の奥底ではそう思っていた。しかし、同じく収監されている周りの受刑者には、70歳、80歳、場合によっては90歳以上とも思われる人物もいたという。「私はこの人たちと同じレールの上を歩くんかな」―――そう思うと、たちまち言い知れない恐怖が襲うようになった。

手遅れになる前に、変わらなければ。そう決意した小山さんは、刑務所内に置かれていた受刑者専用の求人雑誌「Chance!!」を通して藤巻製作所に応募。刑務所ではインターネットや電話などは使えないため、藤巻製作所とは手紙でやり取りした。コロナ禍の時期とも重なったために、なかなか採用の段取りがスムーズに進まなかったが、無事出所前に藤巻製作所の内定を得ることができた。

「仕事はめちゃくちゃ楽しい。本当に藤巻製作所に来てよかった」と、小山さんは活き活きとした口調で話す。「朝は早いんですよ。五時半に起きて、六時半には車に乗ってくるんだけど、全然苦じゃないですね」。そのように言い切る姿からは、本当に仕事を苦にしている様子は見当たらなかった。

 

出所後の困難とは

インタビューの途中、ガチャリとドアが開き、一人の女性が部屋に入ってきた。工場の関係者の方だろうか。私は特に気に留めずに取材を続けようとしたが、小山さんはかなり大げさに振り返り、不審そうな様子でしばらく女性を眺める。「ああ、えーと…」。小山さんはそう呟き、再びこちらを向いた。

そのような挙動をとっていた理由について、取材の終了後に原さんから説明された。「小山さんは服役中に刑務官からいじめられていたそうです。初めて私と会った時も全然目を合わせてくれないから、『どうしたんですか』と聞いたら、『人が怖いんです』と答えていた」。刑務所での苛烈な体験が尾を引き、人に対する恐怖感が今も残ったままだという。

それは、取材中に小山さんが語っていた内容でもあった。「今は元通りになったけど、最初の頃は本当、怖くて人の顔が見れなかった。居丈高な刑務官がいて、力ずくで抑える、暴言吐く、怒鳴る、それで怖いから委縮してしまって。原さんの前でもずっと下を向いていた」。

他にも、銀行口座の申請が通らないなど、「出所してからの困難はいっぱいありますよ。ない方がない」と、小山さんは半ば苦笑気味に語った。例え社会復帰を果たしたとしても、出所後に強いられる生活は極めて厳しい模様である。

 

周りの人の存在

しかし、そのような中でも今まで再犯をせずに来られたのは、ひとえに周りの人の支えがあったからに他ならない。「小山さんにとって藤巻製作所はどのような存在か」と尋ねると、小山さんは「本当に、私こういう話すると涙が出ちゃうんだけどね」と答え、周りの人たちへの感謝を語り始めた。

最初の頃は要領よく仕事をこなすことができず、「向いてないな、センスないな」と、自身を卑下することが多かった。溶接で失敗が続いたことに嫌気がさし、無断欠勤をしたり、仕事の途中で帰ったりしたこともあったという。しかし、そんな小山さんに対しても、藤巻製作所の人々は温かくフォローしてくれた。「慌てなくていい、焦らなくていい」。そのように自分を諭してくれた藤巻製作所は、救い以外の何物でもなかった。「藤巻製作所さんは本当に蜘蛛の糸。それにすがって、やっと奈落の底から引き揚げてもらえた」。小山さんは、そう目に涙を浮かべながら語った。「何とかなる、何とかなるで来てたら、今頃どうなっていたか。今こうやって順風満帆に来れていて、もうそれを手放す理由がないんですよね」。

 

藤巻製作所で見つけたもの

そんな小山さんには、かけがえのない夢がある。「笑われるかも分かんないけどね、私コスプレがしたいんですよ」。その唐突な発言に、私は一瞬驚きを隠せなかった。

以前から、特撮のコスプレには関心があった。しかし、戦隊ヒーローのコスプレ衣装は概して高価であり、全身を揃えようと思うと25万円程度の額になるという。これまで荒んだ生活をしていた小山さんにとっては、望むべくもない金額であった。

しかし、今は藤巻製作所という勤め先があり、潤沢とは言えないながらも安定した収入がある。現在に至るまで少しずつお金を貯め、コスプレの衣装が「ようやく手が届くところまで来ている」という。淀みのない口調でコスプレについて語るその姿は、かつて行き場をなくし、路頭に迷っていた「受刑者」の頃の自分ではない。小山さんは藤巻製作所に来たことで、安定した収入、温かな人間関係、そして生きがいや将来の夢までも見つけることができた。「残業とかがあると、やっぱりしんどい。でも目標もあるし、仕事も楽しいし、残業はあんまり苦じゃないですね。これからも藤巻製作所さんで一生懸命やるのが一番かな」。小山さんは、まっすぐな瞳でそう語った。

 

変わることの大切さ

現在は溶接の仕事に邁進する小山さんであるが、「今でも誘惑は多い。街中でばったり受刑者の仲間に出会ってしまったら、その道に逆戻りしてしまうかも分からない」ともこぼしていた。地元を出歩く時は、かつて絡みのあった受刑者たちに見つからないよう、今も顔を隠して移動するという。過去の清算は、依然その途上にある。

しかし、出所から現在に至るまで、小山さんにはある一つの大きな変化があった。それは、あえて自身の経歴を「オープンにするようになった」ということだ。「その方が変なウソつかなくていいでしょう。嘘を嘘で糊塗すると、それが段々しんどくなってくる。オープンにするとやりにくいこともあるかもしれんけど、全部知っといてもらった方がやりやすいかなと思って」。

過去には犯歴を隠して履歴書も書いたことがあるが、すぐにバレてしまった。いずれ嘘がバレて信用を失うくらいなら、周りに対して正直に生きる方がよほど気が楽である。嘘で身を固めていた自分から脱却し、正直な生き方に切り替えたというその選択は、小山さんにとって大きな変化でもあった。「自分の中でスイッチを入れるだけでこんなにも違うということですよね。藤巻製作所は、自分が『変わろう』っていうきっかけになった。変わろう、改めようっていう気持ちがなかったら、人間進歩しない」。藤巻製作所を通じて社会復帰を果たした小山さんの言葉には、強い説得力が滲んでいた。

取材の終了後、インタビューの予定時間を超過していることに気が付いた。「すみません、ありがとうございました」と私は慌てて挨拶する。すると、「いえいえ、こちらこそ」と小山さんは緩やかに会釈を返し、いつもの足取りで溶接の現場に戻っていった。取材前に抱いていた不安や恐れは、いつの間にか消えていた。

しかし、帰途に就く間際、原さんからこのように忠言された。「個々で会うと小山さんみたいな人もいるけど、出所者の9割はそういう人じゃない。犯罪をした時点で『普通ではない』ということは認識しておいて欲しいです」―――犯罪をした人に盲目的に寄り添うことも望ましくない。そのような原さんのメッセージもまた、私にとって現実味のある言葉であった。

帰りは再び原さんに車で送ってもらい、車は三島駅へと到着した。「ありがとうございました。またよろしくね」。原さんはにこやかに別れを告げ、再び工場へと向かっていった。雨はいつの間にか上がり、気温も心なしか上がっているような気がする。不要になった外套を片手に抱え、私もまたいつもの足で大学へと向かった。

 

第七章:学生主体の再犯防止活動――早稲田矯正保護展の取材

 

「それじゃあ、第二章の報告から始めていきます」。その言葉で、先ほどまで和気あいあいとしていた教室は徐々に静まり返る。場所は早稲田大学8号館、法学部キャンパスの307教室。そこでは毎週「犯罪学研究会」のサークル員が集い、矯正と更生保護の取り組みについて議論を交わしている。

しかし、議論といえどもプツンと糸が切れるような張り詰めた緊張感はない。時折笑い声などもありながら、議事の進行に則って誰もがフランクに発言している。再犯防止という重々しい議題を感じさせない、とても明るい雰囲気の中でサークルの活動が行われていた。

今回取材を行ったのは、早稲田大学の公認サークルである「犯罪学研究会」、並びにサークルに所属する上原さん、丒田(うしだ)さん、根本さんの三名である。学生として再犯防止にどのような思いを持っているのか、取材を行った。

↑丒田さん(左)と根本さん(右)。
↑丒田さん(左)と根本さん(右)。撮影:中村太一

 

「早稲田矯正保護展」に向けた準備

教室で毎週活動を行う犯罪学研究会であるが、その目的は何なのか。それは、毎年秋から冬の時期に開催される「早稲田矯正保護展」に向けた発表準備である。

早稲田矯正保護展(以下「保護展」)とは、犯罪者や非行少年の立ち直りについて早稲田大学の学生が主体となって研究・報告するフォーラムであり、これまで早稲田大学構内の施設である小野記念講堂や大隈講堂などで開催されてきた。参加する主体は様々で、犯罪学研究会の他に「早稲田大学広域BBS会」などの学生団体、早稲田大学法学部・文学部の一部ゼミ、また第一章で扱った「更生保護法人更新会」などの外部団体も数多く関わっている。その中でも、犯罪学研究会は毎年フォーラムの中枢を担っており、2022年の保護展では上原さんは実行委員長、丒田さんは副委員長を務めた。

2022年の保護展のテーマは、「犯罪をした人の社会復帰を支える地域の繋がり」。そのテーマに沿った議論が、この日も進められていた。「この章で取り扱う施設の主旨がブレている、そこを直したいかな」「第三章では出所後の話は要らないと思う」「パワーポイントは図と表メインでお願い」―――発表原稿の完成を目指し、緻密な話し合いが続いていた。

↑サークル活動の様子。
↑サークル活動の様子。撮影:中村太一

 

早稲田矯正保護展当日

そして、2022年11月11日、保護展は当日を迎えた。プログラムは二部構成で、第一部では現奈良県知事の荒井正吾氏による基調講演。そして第二部では、犯罪学研究会を始めとする学生の研究発表が行われた。

研究の内容は「地域の繋がり」というテーマでまとめられているものの、発表の中で扱うトピックは農業と福祉の連携、矯正施設と地域の繋がりなど多岐にわたっている。これまでのサークル活動の総決算ともいえる研究発表は、およそ一時間半にもわたった。

「犯罪をした者が再び社会に戻りやすい体制を整えていくことが、犯罪をした者の社会復帰を支える地域の繋がりを生むのではないでしょうか」―――そのような上原さんの言葉で括られ、学生発表は終了。保護展は拍手に包まれながら幕を閉じた。

↑講演の様子。
↑講演の様子。犯罪学研究会より提供。
↑スピーチをする上原さん。
↑スピーチをする上原さん。犯罪学研究会より提供。

その後、上原さん、丒田さん、根本さんの三名に改めて取材の機会を設け、保護展についてインタビューを行った。

 

サークルに入ったきっかけ

保護展の運営を無事に務めきった三人であるが、彼らが犯罪学研究会に集った経緯は様々である。

上原さんと丒田さんは、刑事政策を専攻する法学部小西ゼミに所属している。「小西ゼミの人は犯罪学研究会に参加することが決まっています」と伝えられたため、二人には小西ゼミに入ったきっかけについて語ってもらった。

丒田さんは、2001年に大阪市で発生した「附属池田小事件」が、小西ゼミに入るきっかけの一つになったという。附属池田小事件とは、犯人の男が出刃包丁を持って小学校の教室内に侵入し、児童8人を刺殺した無差別殺人事件である。丒田さんは、その事件現場である池田小学校にかつて通っており、「学校で事件について繰り返し教えられた経験がありました。犯罪者との関わりについての教育が、結構身近にありましたね」と当時を振り返る。そのような経緯から刑事政策に関心を持ち、小西ゼミに入ることを決めた。

上原さんは、小西ゼミの「実社会に即した」雰囲気に惹かれたと語る。「小西ゼミは判例の研究云々をやるよりは、『今、困っている人』、『今、悩んでいる人』に寄り添った研究というところが大きい。私はそこがすごい良いところだなと思って入りました」。小西ゼミの研究は、「格差や貧困などの社会問題が犯罪の発生源となっている」という視点が基底にあり、保護展はそれを検証する機会でもあるという。

 

法曹志望として保護展に参加

他方、根本さんの所属する法学部吉開ゼミは、保護展の参加は任意だという。さらに、取材中根本さんは「法曹志望である」と語り、検事を目指す意気込みを見せていた。法曹と再犯防止の関係は薄そうに思えるが、根本さんはなぜ保護展への参加を決めたのか。そこについて、彼女は明瞭な理由を語った。「もし自分が検事として犯罪者を刑務所に送り込む当事者になったら、『この人はどうやってこの後の人生を歩んでいくのか』っていうのを、考えながら仕事ができるんじゃないかなって」。

犯罪者に刑罰を科すことが検事の仕事の第一義であるが、無論その裁量によって犯罪者の人生は大きく左右されることになり、そこには多大な責任が伴う。「刑務所から出所した人たちを、保護展を通して間接的にでも見てきた。そういう人たちを検事とは違う視点で見ることができたという意味で、とても勉強になりました」。自身の将来を見据え、根本さんはそのように語った。

法律に堅いイメージを抱いていた私は、「誰かの役に立ちたい」という思いで保護展に参加する人が多いことに意外さを感じた。「人に寄り添うという観点から早稲田矯正保護展に取り組む方が多いんでしょうか」と尋ねると、根本さんは「そうですね、優しい人が多いかな」と答えた。

 

「早稲田矯正保護展」を振り返って

保護展の実行委員として、犯罪学研究会でおよそ一年にわたって再犯防止の研究活動を行ってきた三人。その過程でどのようなことを学び、そして感じてきたのだろうか。

根本さんは、「本当に自分で考える力が付きました」と保護展を振り返る。「やっぱり複数人で研究すると、ちょっとずつ意見が違うんです。そういうところで色んな考え方に触れることができました」。また、今回取材した施設や団体は特色に溢れるものばかりで、「まとめたら逆に個性が無くなってしまうのではないか」という不安も感じたという。「その辺のバランスというか、都合よくまとめられない難しさも痛感できたかなと思います」。

丒田さんは、「犯罪被害者の支援とか、行政学とか、他の視点を勉強する余裕がないところが弱点だなと思いました」と、ややストイックに保護展を省みる。しかし、「内容がどうしても足りないところ、厚いところが出てきちゃって。それを帳尻併せながら本番に漕ぎつけるのも、委員長は大変だったんじゃないかなと拝察します」と、実行委員長を務めた上原さんを気遣う一面も見せていた。「いやいや、この二人も大変だったと思いますよ」と上原さんは笑い交じりに返答する。その微笑ましいやり取りからは、保護展を通して培われたサークルの絆が感じられた。

 

学生だからできること

研究発表にあたって、犯罪学研究会は毎年様々な団体に取材・調査を行っている(今回は17団体)。しかしその過程で、学生ゆえの限界を感じる瞬間も少なくなかったという。根本さんは、「何重にも大人を介さないと取材先に辿り着かないこともあって。学生の情報網、連絡網が少なくて致し方ないところもありました」と、サークル活動の難点を語った。また、取材を行った三人はいずれも大学三年生。大学の授業や就職活動が立て込む時期であり、その傍らで保護展の運営に携わるのはかなりハードだった模様である。

しかし、学生という身分だからこそ、再犯防止に携わる人々から好意的に受け止められる機会も多かったという。丒田さんは、「大人同士だったら当たり障りのないことを言うこともあると思うんですけど、学生相手だったら自分の本音とかをぶっちゃけてくださる機会が多かった」といい、学生だからこそ再犯防止に携わる人々の思いの丈に触れられたと話す。

上原さんも、「民間に関しては、多分取材を断られたところなかったんですよね。なんなら『うち来てくださいよ』みたいな。すごいウェルカムでしたね」と、これまでの活動を振り返る。「取材先でも色んな方がすごく快くお話してくださいました。取材に行くと『何でこの分野研究してるの?』ってすごく聞かれるんです。学生が興味を持つというところが、どうやら一つ価値があるみたいなんですよね」。自身の体験を交え、そう活き活きと話した。学生の主体性を歓迎する風土が、再犯防止の取り組みには存在するのかもしれない。

 

「地道に広げる」再犯防止

「更生保護?何それ、聞いたことない」―――大学四年生となってから、私は周りの友人と卒業論文の話をする機会が増えた。しかし、現在に至るまで「再犯防止」の話が通じた試しはほとんど無く、そこに一抹の寂しさを覚えることも多かった。保護展を通じて再犯防止を深く学んだ三人であれば、恐らく私と似たような体験を持っているだろう。そして、犯罪者支援の考え方を学生に広めなければという思いがきっとあるのではないか。取材前は、そのように思い込んでいた節があった。

しかし、三人は決して「再犯防止を周知しなければ」という義務感に駆られているわけではなかった。「再犯防止を広めるには何が必要か」という質問に対して、上原さんはまず「黙認」の状態を目指すことが現実的ではないかと答えた。「再犯防止について知ったから、『じゃあ支援しよう』というのはなかなか難しいと思うんです。犯罪に対する嫌悪感がある人もいると思うので。理解まではいかずとも、そういう取り組みがあることを受け入れる『黙認』の状況くらいまで持っていければ、それで万々歳かなと」。

また、丒田さんは、現在は再犯防止が受け入れられる途上にあると分析した上で、「受刑者支援の考え方が大事であると、一貫して言い続けること」が重要だと述べた。「例えばSDGsとかも、最初はみんな馬鹿らしいと思いながらやっていたと思うんですけど、今はどの企業でも形式上は真面目にやっている。そんな感じで、再犯防止を常に掲げ続ければ、『受け入れるのが当たり前』という考えになっていくんじゃないかと思います。理想論かもしれないですけど」。

再犯防止は、着実にステップを踏み、周りの理解を地道に得た上に、その考え方は広まっていくものである。「再犯防止を広めなければ」という私の姿勢はいささか性急すぎたかもしれないと、彼らの意見を聞いて思わされた。

 

早稲田矯正保護展の意義とは

早稲田矯正保護展は例年、県知事レベルの人物を講演会に招いたり、日本全国の刑事施設・福祉施設に取材を行ったりなど、学生主催のフォーラムとしては申し分のない規模と内容で行われている。しかし、保護展に参加する人のほとんどは法学部の学生であり、若干「仲間内」な部分は否めない。「他の学生にも聞いてもらえれば関心を持ってもらえるとは思うんですけど、聞いてもらうまでのアクセスは悪いかなと…」。根本さんも、そのように自身の所感を語っていた。

しかし、学生への周知が課題ではありつつも、フォーラムを開く意義は確実に存在する。上原さんは、「学生が犯罪者の背景を考えるきっかけになる」という部分に、保護展の意義を見出す。「何か凄惨な事件が起きてしまった時に、思考停止状態で犯罪者を批判するんじゃなくて、その背景に思いを馳せていく一助になればいいと思っていて。保護展の意義としては、それで十分なんじゃないかなと思います」。上原さんは今回の研究発表について、犯罪者支援そのものの意義を問う「そもそも論」の段階から研究を始めたという意味で、良くも悪くも初学者らしい研究が出来たと感じているという。その研究が、「実務家の方が原点に戻って考えるきっかけになったり、学生にそういう活動があることを知ってもらうきっかけになっていれば」と、再犯防止を一から学んだ学生ならではの視点で語った。

また、丒田さんも、「人の考え方や視野が広がる」ことが保護展の意義であると述べる。「学生の時にたまたま保護展に出会って、犯罪者支援の実態を一歩踏み込んで知った。そうすれば、社会に出て矯正保護に出会ったときに、頭の中にちょっとくらいよぎると思うんですよ。『そういえば学生の時に聞いたな』とか。それで社会が大きく変わるわけではないですけど、一人一人の考え方に色んな視点が加わってプラスだし、そういう人が増えていくことが意義なのかなと思ってやっていました」。

例え人目には付きづらくとも、フォーラムに参加した人々の考え方に「何か」が加わればいい。学生が再犯防止について一考する機会になり得るという部分に、疑いなく保護展の意義がある。

再犯防止には、学生主体の活動も存在する。来年度の早稲田矯正保護展の開催に向け、犯罪学研究会は今日も教室で議論を交わす。

 

第八章:終わりに ――なくてはならない「再犯防止」

 

以上、再犯防止の活動について取り上げてきたが、いかがだっただろうか。ここで作品の結論として、「更生は必ずしもフィクションではない」という主張を添えておきたい。

半年間の取材で特に印象に残るのは、再犯防止に携わる人々の「温かさ」である。第七章で取り上げた犯罪学研究会の上原さんが、再犯防止に携わる人々から「何でこの分野を研究しているの?」と聞かれる経験が多かったのと同様に、私自身も取材先の方々から「再犯防止に興味を持つなんて珍しいね」と声をかけられることが多かった。しかし、その言い方は決して奇異な目を伴うものでも、よそ者を訝しがるようなものでもなかった。むしろ、「再犯防止に興味を持ってもらえて喜ばしい」という調子でどの方も気さくに取材に応じてくださり、その温かさやフランクさは作品の執筆を進める上で本当に励みになるものであった。この章を借りて、改めてお礼を申し上げたい。

当然のことではあるが、犯罪者が全員更生することはおよそ現実的ではない。中には目を覆いたくなるような凶悪な事件を起こす人物もいれば、大小さまざまな犯罪を繰り返しながら生涯刑事施設に収監される人物もいる。彼らのような受刑者に対して、にわかに更生を期待することは難しいだろう。また、仮に社会復帰の意志を持つ受刑者が一部いたとしても、その成否は彼ら自身のモチベーションやその時々の社会情勢、また人間関係や周囲の環境などにも多分に左右される。その点、「再犯の防止」ないし「犯罪者の社会復帰」は幾多のフィクションの体系の上に成り立つものであり、法律や制度として規定するにはあまりに多くの困難を抱えた活動と言えるのかもしれない。

しかし、それは再犯防止が決して無意味な営為であることを意味しない。「はじめに」で取り上げた「クズはクズのまま」と発言した少年に対して、その事件の裁判を担当した裁判長は、判決文の朗読後に少年をこのように諭した[29]

 

「あなたは『クズは変わることはない』と言ったが、変わらなければならない。被害者や遺族の壮絶な痛み、苦しみに正面から向き合い、心からの謝罪ができることを願っている」

 

更生は可能か不可能か、という話ではない。犯罪をした者は、「変わらなければならない」のである。そのために、矯正・更生保護という制度は現実に存在し、また社会復帰の道のりを整備する取り組みは全国に数多存在する。そして、それらの活動によって未然に防がれる犯罪があり、実際に社会復帰を果たす人物がおり、それが安全な社会の構築に与しているとするならば―――再犯防止は、疑いなく社会になくてはならない活動と言えるのではなかろうか。

 

作品で目指したこと

「はじめに」でも述べたように、今回の作品は「更生はフィクションか否か」を検証することに一つの目的があった。しかし、それにもまして今回の作品では、世の中の再犯防止活動について、一人でも多くの人に「知ってもらう」こと―――時に犯罪被害者や一般市民からの厳しい目線にさらされ、時に犯罪者自身からの裏切りにも遭いながらも、再犯防止の活動に対して責任と矜持を持ち、犯歴のある人々のために日々奔走する人々がいるということ。それを少しでも多くの人に伝えることに、本作品の筆を執る実地的な目的と意義があったようにも感じる。

また、それは「犯罪者」そのものについても同様である。我々は普段、犯歴のある人々と関わる機会は稀であり、それゆえに過剰な恐れや偏見を抱きがちである。しかしそのイメージは、つまるところ犯罪者の実態を「知らない」ことに起因する部分が大きいのではないか。無論、犯罪被害者の存在を考慮すると、犯罪者の全てを容認することは難しい。だが、実際に犯罪を働く者の中には、虐待やネグレクトなどの不幸な生い立ちがあったり、貧困や格差などの問題に直面していたりなど、彼らの恵まれない境遇が犯罪に先立っているパターンが多いことも事実である。そのような背景にも焦点を当て、「犯罪者」の正確な実像を読み手に伝えることも、可能な限り本作品で目指すところであった。

それらの目的を十分に達成できたかどうかは分からない。しかし、もしこの作品を一読した読み手の方が「更生は必ずしもフィクションではないんだな」と感じる一助となっていれば、そして、再犯防止のために日々尽力している人々に思いを馳せる一助となっていれば、筆を執った身としてそれにまさる喜びはない。

追記2023年3月14日

・作中で用いていた「再犯率」の語句を「再犯者率」に訂正いたしました。また、「はじめに」で記載していた「検挙人員数のおよそ2人に1人が再犯に及んでいるというデータ」という表現を、「およそ2人に1人は再犯者であるというデータ」に改めました。

・第一章の永山則夫の記述について、「太平洋戦争の渦中に生を受けた」の部分を「戦争の爪痕が色濃く残る1949年に生を受けた」と改めました。

追記 2023年3月11日

・第二章「協力雇用主を増やすには」で用いていた「非自発的なスタンス」という表現を、「ゆったりとしたスタンス」という表現に改めました。

・第二章「矯正機関の難しさ」で用いていた「コレワークの弱点」という表現を、「コレワークの限界」という表現に改めました。また、「コレワークの限界を補う方法」についての記述を追加しました。

追記 2023年3月8日

・第七章の早稲田矯正保護展の開催場所についての記述を、「例年大隈講堂で開催されている」から「これまで小野記念講堂や大隈講堂などで開催されてきた」に訂正しました。

 

参考文献

・更生保護ネットワーク「更生保護施設の概況」、最終閲覧日2022年9月22日

< https://www.kouseihogo-net.jp/hogohoujin/institution.html >

・厚生労働省公式ホームページ「地域生活定着促進事業」、最終閲覧日2023年1月12日< https://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/dl/kyouseishisetsu01.pdf >

・コレワーク公式ホームページ「コレワークの3つのサービス」、最終閲覧日2023年1月12日<https://www.moj.go.jp/KYOUSEI/CORRE-WORK/pdf/CORRE-WORK_pamphlet.pdf>

・職親プロジェクト公式サイト「活動実績」、最終閲覧日2022年11月2日

< https://shoku-shin.jp/project/archievement/>

・職親プロジェクト公式サイト「三年計画・中間支援」、最終閲覧日2022年1月15日 < https://shoku-shin.jp/project/plan/>

・職親プロジェクト公式サイト「職親プロジェクトとは」、最終閲覧日2022年11月2日 <https://shoku-shin.jp/about/>

・鳥海美朗(2020)「日本財団は、いったい何をしているのか」、木楽社

・内閣府(2014)「更生保護に対する認知の向上の方策」、最終閲覧日2023年1月12日

< https://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-houseido/2-3.html >

・内閣府(2012)「『治安に関する特別世論調査』の概要」、最終閲覧日2023年1月5日 < https://survey.gov-online.go.jp/hutai/h24/h24-chian.pdf >

・日本財団公式ホームページ「日本財団について」、最終閲覧日2023年1月12日

< https://www.nippon-foundation.or.jp/>

・ヒューマンハーバーそんとく塾ホームページ「教育支援」、最終閲覧日2023年1月12日 < https://sontokujyuku.com/sien>

・法務省(2017)「再犯防止推進計画」、最終閲覧日2022年12月15日、

< https://www.moj.go.jp/content/001322221.pdf >

・法務省公式ホームページ「保護観察所」、最終閲覧日2023年1月12日

< https://www.moj.go.jp/hisho/seisakuhyouka/hisho04_00040.html >

・法務総合研究所(2022)「令和3年度 犯罪白書」

< https://www.moj.go.jp/content/001365724.pdf >

・堀川惠子(2013)「永山則夫 封印された鑑定記録」、岩波書店

・毎日新聞「福岡・女性刺殺:福岡刺殺、少年に懲役刑 10~15年 『保護処分で更生困難』地裁判決」、2022年7月26日、西部朝刊26頁

・読売新聞「出所者の就職 支援拠点 企業との橋渡し役 来月大阪に開設」、2016年10月4日、大阪夕刊

・読売新聞「福岡女性殺害公判 自首促され『逆ギレ』当時15歳 『更生 多分できない』」、2022年7月8日、西部朝刊、29頁

・読売新聞「福岡女性殺害 少年の内心気付けず 矯正教育休みがち…『問題行動なかった』」、2021年1月28日、西部朝刊

・読売新聞「福岡女性殺害 懲役10〜15年 保護処分『許容し難い』 犯行時15歳」、2022年7月22日、西部朝刊、35頁

[1] 読売新聞「福岡女性殺害公判 自首促され『逆ギレ』当時15歳 『更生 多分できない』」、2022年7月8日、西部朝刊、29頁

[2] 毎日新聞「福岡・女性刺殺:福岡刺殺、少年に懲役刑 10~15年 『保護処分で更生困難』地裁判決」、2022年7月26日、西部朝刊26頁

[3] 読売新聞「福岡女性殺害 少年の内心気付けず 矯正教育休みがち…『問題行動なかった』」、2021年1月28日、西部朝刊

[4] 懲役刑と禁固刑を一元化し、受刑者の年齢や特性に合わせて刑務作業と指導を組み合わせた処遇を行えるようにした刑。出所後の再犯率を低下させる狙いがある。拘禁刑の創設に伴い、懲役刑と禁錮刑はいずれも廃止。刑法が改正されるのは明治40年(1907年)の制定以降初めてのことで、施行は2025年の見込み。

[5] 法務総合研究所(2022)「令和3年度 犯罪白書」、第5章6節2「更生保護施設」、p88、最終閲覧日2022年11月19日 < https://www.moj.go.jp/content/001365724.pdf >

[6] 更生保護ネットワーク「更生保護施設の概況」、最終閲覧日2022年9月22日

< https://www.kouseihogo-net.jp/hogohoujin/institution.html >

[7] 社会生活を送るうえで必要となるスキルを学び、適切な生活習慣や対人行動を身に付けるための訓練。Social Skill Trainingの略。

[8] 保護司法に基づき、法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員(実質的には民間のボランティア)。給与は支給されないが、活動内容に応じて実費弁償金が支給される(法務省HPより引用)。

[9] 犯罪や非行を働いた少年に対して、その円滑な社会復帰のために指導・監督を行う「社会内処遇」の専門家。失敗から立ち直ろうとする人の社会復帰を助ける一方、必要と認められれば、再犯を防止するために保護観察を受けている人の身柄を拘束し、矯正施設に収容するための手続きを行うこともある(法務省HPより引用)。

[10] 堀川惠子(2013)「永山則夫 封印された鑑定記録」、岩波書店、p214

[11] 内閣府(2014)「更生保護に対する認知の向上の方策」、最終閲覧日2023年1月12日

< https://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-houseido/2-3.html >

[12] 内閣府(2012)「『治安に関する特別世論調査』の概要」、最終閲覧日2023年1月5日

< https://survey.gov-online.go.jp/hutai/h24/h24-chian.pdf >

[13] 出所者の保護観察を行う国の機関。全国50か所(各都府県1か所・北海道は4か所)に存在する(法務省HPより引用)。< https://www.moj.go.jp/hisho/seisakuhyouka/hisho04_00040.html >

[14] 読売新聞「出所者の就職 支援拠点 企業との橋渡し役 来月大阪に開設」、2016年10月4日、大阪夕刊

[15] 内閣府(2014)「更生保護活動への参画意識」、最終閲覧日2023年1月12日

< https://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-houseido/2-3.html >

[16] 法務省(2017)「再犯防止推進計画」、最終閲覧日2022年12月15日、

< https://www.moj.go.jp/content/001322221.pdf >

[17] 保護観察対象者の再犯・再非行を防ぎ、その改善更生を図ることを目的に、保護観察官と、法務大臣から委嘱を受けた民間のボランティアである保護司が協同で実施する活動。対象者が自立した生活を営めるよう、住居の確保や就職の援助などを行う(令和3年版犯罪白書、p71より引用)。

[18] 満期釈放者、少年院退院者・仮退院期間満了者などの申し出に基づいて、彼らに対し食事、衣料、宿泊場所などの供与を行う措置。更生保護施設などに業務が委託されている(令和3年版「犯罪白書」、pp84-85より引用)。

[19] 法務総合研究所(2022)「令和3年版犯罪白書」、第2編5章6節(4)、「協力雇用主」、p91

< https://www.moj.go.jp/content/001365724.pdf >

[20] 法務総合研究所(2022)「令和3年版犯罪白書」、第2編5章6節(4)、「協力雇用主」、p91

< https://www.moj.go.jp/content/001365724.pdf >

[21]「みんなが、みんなを支える社会」を活動理念に、主に海洋・船舶支援や福祉・ボランティア支援事業などを行う財団。「日本船舶振興会」が前身で、現会長は笹川陽一氏。(日本財団公式ホームページより引用 < https://www.nippon-foundation.or.jp/>)

[22] 職親プロジェクト公式サイト「職親プロジェクトとは」、最終閲覧日2022年11月2日

<https://shoku-shin.jp/about/>

[23] 高齢や障がいにより自立が困難な矯正施設退所者に対して、出所後福祉サービス等を提供し、地域生活に定着を図るための事業。各都道府県の「地域生活定着支援センター」と保護観察所が協働して進める。具体的には、地域生活定着支援センターで入所中から帰住地調整を行ったり、退所後の福祉サービス等についての相談支援業務を一体的に行ったりすることで、高齢者・障がい者の社会復帰と再犯防止を目指している(厚生労働省ホームページより引用https://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/dl/kyouseishisetsu01.pdf)。

[24] 鳥海美朗(2020)「日本財団は、いったい何をしているのか」、木楽社、pp34-52

[25] 法務総合研究所(2022)「令和3年度 犯罪白書」、第2編4章3節4「就労支援」、p60、最終閲覧日2022年11月19日 < https://www.moj.go.jp/content/001365724.pdf >

[26] 法務総合研究所(2022)「令和3年度 犯罪白書」、第2編第4章第3節2-(2)「作業の内容など」、p57-58、最終閲覧日2022年11月16日 < https://www.moj.go.jp/content/001365724.pdf >

[27] 職親プロジェクト公式サイト「活動実績」、最終閲覧日2022年11月2日

< https://shoku-shin.jp/project/archievement/>

[28] ヒューマンハーバーそんとく塾ホームページ「教育支援」、最終閲覧日2023年1月12日

< https://sontokujyuku.com/sien>

[29] 読売新聞「福岡女性殺害 懲役10〜15年 保護処分『許容し難い』 犯行時15歳」、2022年7月22日、西部朝刊、35頁

 

このルポルタージュは瀬川至朗ゼミの2022年度卒業作品として制作されました。