「ヒヨコ鑑別師」はファンタジーな職業なのかー高橋香織さんの人生から学ぶー

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はじめに

就職活動の息抜きで、「珍しい職業」と検索した際、「ヒヨコ鑑別師」という職業が目に留まった。そもそも、ヒヨコすら生で見たことが無い。ましてや鑑別をする人なんて本当に存在するのだろうか。大手、ベンチャー、市場価値などという言葉に嫌気がさしていた私としては、その名前が醸し出すファンタジーさにどうしようもなく惹かれた。何のためにヒヨコの鑑別をするのか、収入は確保できるのか、どうしてその仕事をしようと思ったのか、ファンシーで楽しそうな職業なのになぜ知られていないのか、将来性はあるのか。疑問はたくさん浮かんだが、ネットの情報だけでは限界があった。「珍しい職業があるんだな」で終わらせたくない。そう思った私は、本ルポを通して謎に包まれた「ヒヨコ鑑別師」がファンタジーな職業なのか、探ることに決めた。

取材当初、鑑別師の仕事場である孵化場や鑑別師になるための養成所での密着を企画していた。しかし、孵化場は鳥インフルエンザの感染を防ぐために、関係者以外の出入りを厳しく禁止していた。養成所では例年、見学を受け付けていたが、コロナの影響で入学希望者の見学も中止している状態だった。困った私は、ネット上で「ヒヨコ鑑別師」の方が取材を受けている記事を探した。そこで見つけたブログ記事[1]で紹介されていた鑑別師の一人が、高橋香織(たかはしかおり)さんだったのだ。

本記事を執筆するにあたって、zoomと新潟で対面取材を行った[注1]。新潟では高橋さんが運転する車の助手席に乗せてもらい、普段働かれている孵化場や友人と描いたという壁画、行きつけのパン屋さんなどを見て回った。よって、本記事では事前のzoom取材と新潟取材で得た情報を合わせて記述している。

(取材・文=吉田七海、写真=高橋さん、山崎さん提供、吉田七海)

トップの写真は、高橋さんが実際に鑑別をする様子。高橋さん提供。

 

1章:自分にしかできないことをするために百貨店員から初生雛鑑別師へ転身

 

高橋さんとの出会い

2021年9月22日の朝10時、新潟県長岡駅大手口のロータリー、昨夜は中秋の名月が拝めたが、今日はどうやら午後から雨が降るらしい。薄曇りの空のもと、まだまだ暑いなと思っていると、遠くからこちらを呼ぶ女性の声がした。「ヒヨコ鑑別師」の高橋香織さんだ。秋風になびくタッセルのピアスと、ラベンダー色のロングスカートが上品なお姉さんという感じで思わずドギマギしてしまう。マスク越しでも分かる爽やかな笑顔と、ほのかに香るさっぱりとしたオーガニックな香りがそれを少し落ち着かせる。そのまま高橋さんの愛車に案内されると、私は少し驚いた。高橋さんの車は、駅前のロータリーにたくさん駐車されているものの中では比較的大きくて車高は低め。白くてスポーティなその車は、持ち主の印象とは違って勇ましい。きっとこだわりがあるに違いない。駅のロータリーから発進して早々、慣れた手つきでハンドルを操作する高橋さんに尋ねてみた。「私、年間で2万5000キロとか走るんですよ。完全に愛好ですね。この車を生産しているところがもう無いので、メンテナンスにめちゃくちゃお金がかかるんです。でも、そのために働いているとまでは言い過ぎですけど、それを楽しんでいます」。

愛車SAABを運転する高橋さん
愛車SAABを運転する高橋さん=2021年9月22日筆者撮影

 

高橋さんと愛車のSAAB(サーブ)

高橋さんと愛車SAAB(サーブ)との出会いは10年以上前になる。その当時は鑑別師としてスウェーデンで働いていた。それまでは先輩から譲り受けたボロボロのアコードやプリメーラのステーションワゴンに乗っていた。好きなものに乗りたいと探していた時に、インターネットでたまたま見つけたのが今乗っているのと同じ形のSAABだった。当時住んでいた場所から1000㎞以上北に位置するストックホルムの車屋に1台目当てのものがあった。実物は一度も見ないまま、スウェーデン語で銀行と車屋に電話でやり取りをした。車を引き取るために初めてストックホルムまで電車の旅をしたこともあったそうだ。フリーランスとしてハンガリーやフランス、ポーランドを移動して働いていた時や、11日間かけて9か国周った時もこの車だった。周りからは止められたが、スモークを貼ってもらい、スペインで路上駐車をして寝たこともあったという。「目指しているのは30万キロなんです。車は使い捨てじゃないし、もともとそういうポテンシャルがあるから、ちゃんと一つを愛用したいと思っているんです」。助手席に座る私は、勘が当たったことに嬉しさを嚙み締めつつ、最初に感じていた車と持ち主のギャップが、いつの間にか無くなっていることに気が付いた。SAABから感じる勇ましさは、高橋さんのパワフルさをよく表していた。

スウェーデン時代に高橋さんが乗っていたSAAB=高橋さん提供

 

動物に触れていたくてムツゴロウ王国で働くのが夢だった

取材当日は家でお留守番をしてもらっていたが、いつもは車の後ろに愛犬のパグ、「ボノ」を乗せている。ヒヨコ鑑別師は必ずしも動物好きとは限らないそうだが、高橋さんは昔から動物好きだった。「結構私人間不信だったんですよ。幼稚園の頃に幼稚園の先生に可愛がられていなくて、大人って信じられないみたいな(笑)そういうのがあったから、動物が凄く好きだったのはあるんですよね」。

高橋さんの実家では、モルモットやウサギを飼っていた。インコも飼っていたが、小学生の時に日曜大工好きのお父さんが作ってくれた小屋から20羽のインコが共謀して突然飛び立っていった。目撃した時は凄くショックだったと高橋さんは笑い交じりに話す。小学校でもウサギや鶏、ヤギの飼育係をしていたそうだ。当時、『ムツゴロウ王国』がテレビで1年に何度か放送されていた。高橋さんの家では、テレビを観ることを良しとしていなかったが、それは見させてもらえたそうだ。「私、ムツゴロウ王国で働きたかったんですよ。小学校の時の卒業アルバムには『ムツゴロウ王国で働くのが夢』と書いているんです。でも、動物と働くことは可愛いことだけではないと中学生の頃に気が付いてからは、動物と働くことは考えていなかったんです」。

高橋さんと愛犬ボノ=高橋さん提供
高橋さんと愛犬ボノ=高橋さん提供

 

自分にしかできないことをするために初生雛鑑別師の道へ

高橋さんは、休日は家族でスケッチブックを持って公園に遊びに行くような家庭で育った。筆で何かを描くことが好きで、高校生になった高橋さんは美術部と書道部に入部した。美大への進学を検討したこともあったが、失敗が怖くて挑戦することができなかったという。高校卒業後は短大で日本語・日本文学を学んだ。そして、就職活動時には、社会の仕組みを知るために一部上場企業に5年は働こうと考え、百貨店に就職した。英会話のクラスやバケーションなど、福利厚生が豊富だったことで、休日はフランスやタヒチに行くことができた。今思うと、それが海外に触れるきっかけになっていたのかもしれないと高橋さんは振り返る。百貨店では、ジュエリーの販売をしていた。高橋さんは、お客さんに寄り添った接客で売り上げ成績をめきめきと上げ、表彰されることもあった。当時のお客さんとは今でも交流があるそうだ。これらの百貨店員時代の経験は、高橋さんの自己肯定感を上げていった。

ところが、社会人4年目になると、販売は自分じゃなくてもできるのではないかと思うようになっていた。自分が得意なことや好きなことは何だろう、自分の才能を活かした仕事がしたい。そんなことを考えていた24歳の時、クイズ番組『たけしのWA風が来た!』を偶然目にした。完全週休3日、フランスで優雅な田舎暮らしをする男性の職業は何でしょう。そのクイズの答えが「ヒヨコ鑑別師」だったのだ。当時、フランス好きの母の影響で、フランスに住んでみたいという思いがあった。いつの間にか諦めてしまっていた動物と働くという夢も叶えることができる。思い返せば、高校生の時、郵便局のアルバイトで、ハガキを社員さんよりも素早く仕分けたこともあった。ピタピタピタッ。自分が得意だと思う項目がどんどん当てはまっていく。「あ、これになろう」。突然の決断だった。

 

「ヒヨコ鑑別師」

そもそも「ヒヨコ鑑別師」とは何だろうか。名前からしてファンタジーな印象を受けるが、正式名称は「初生雛鑑別師(しょせいひなかんべつし)」だ。「初生雛」とは産まれたてのヒヨコのことで、それをオスとメスに鑑別して仕分けるというのがこの職業だ[2]。大半の人は、ヒヨコの写真を見た時に、それがオスのヒヨコなのかメスのヒヨコなのか分からないはずだ。それは、生まれたてのヒヨコには、雌雄の差がほとんど無いからだ。ちなみに、鳴き声や見た目に性別の差が出るまでには、1か月ほどかかるとされている[3]。じゃあ待てばいいという話だが、そういう訳にもいかない。農林水産省の令和3年の畜産統計によると、卵の生産を目的としたメスの鶏の飼養羽数は1億4,069万7,000羽で、1戸の養鶏場当たり7万4,800羽を飼育している[4]。メスだけでもかなりの数だ。つまり、オスも含めて性別が分かるまで育てるとなると、餌代や施設スペースに無駄が生じてしまう。そこで、生まれてすぐに目的に応じた飼育ができるように、初生雛鑑別師という職業が必要とされているのだ[2]

 

2章:初生雛鑑別師になるための学校
図1:初生雛鑑別師になるまでのプロセス[5]=筆者作成
図1:初生雛鑑別師になるまでのプロセス[5]=筆者作成

初生雛鑑別師になるためには、養成所で講習を受ける必要がある。2022年2月現在、養成所は茨城県桜川市西飯岡にある。畜産技術協会のホームページによると、養成所の入所資格は満25歳以下で、高等学校卒業者あるいは同等以上の資格があり、身体強健かつ視力が1.0以上(矯正可、色盲は不可)という要件が求められる。毎年2月に行われる養成所の入所試験を受けて合格すると、4月、5月から開講される初等科コースを5カ月間受講する[5]。初等科コースでは、実技を中心とした技術講習が月曜日から金曜日までの週5日、9時から16時までみっちり行われる[注2]。つまり、一般的な資格の学校とは違って、片手間に通うという訳にはいかないのだ。そして、講習の最後には、プロ試験の予備にあたる試験を受けて合格する必要がある。試験では、12分以内に卵用のヒヨコ100羽を95%以上の鑑別率で仕分ける。これを3回行った結果で、合格が決まるのだ[図1],[5]。畜産技術協会技術普及部の和田佳代子さんによると、養成所の応募者数はその年によって異なり、少ないときには3人、多い時には13人程だという。

 

初生雛鑑別師の技術

「ほとんど教材はヒヨコですよ」。電話越しに穏やかな声でそう答える山崎正樹(やまざきまさき)さんは御年70歳のベテラン鑑別師であり、鑑別師を育てる養成所の講師だ。

養成所講師の山崎正樹さん=山崎さん提供
養成所講師の山崎正樹さん=山崎さん提供

養成所では、座学よりも実際のヒヨコを使って練習することがほとんどだ。プロの鑑別師は、ヒヨコのオスとメスを確実に仕分けるために、カラー鑑別法・羽毛鑑別法・肛門鑑別法の3つの鑑別法を習得している。カラー鑑別法は羽の色、羽毛鑑別法は羽の長さ、肛門鑑別法は生殖器の違いで見分ける[図2]。これらの鑑別法は、ヒヨコの種類によって使い分けられる。国内では約8割が羽毛鑑別法、残りの約2割がカラー鑑別法と肛門鑑別法で仕分けられている。実は、羽毛鑑別法とカラー鑑別法に関しては、鑑別師でなくとも見分けられるそうだ[3]。しかし、肛門鑑別法は違う。山崎さんによると、他の2つの鑑別法とは違って作業工程が多く、習得までには時間がかかるのだという。具体的な工程は以下の通りだ。

 

1雛を掴む

2お腹に指を当てて糞を絞る

3雛の肛門に指を当てて開く

4生殖器を確認する

5雌雄に応じて左右に投げる

 

ヒヨコの生殖器は肛門の中にある。そして、生殖器のサイズは0.5㎜ボールペンのペン先ほどに小さい。そのため、全工程の中で生殖器の確認が最も難しいのだ。基本的にはオスには突起があり、メスは突起が退化して消失している。ただ、生き物には個体差が当然存在するため、全てのヒヨコを突起の有無で仕分けるという訳にはいかないのだ。突起以外にも、光沢や色、弾力の違いなどを踏まえて鑑別する必要がある[3]。そのため、鑑別師によっては見ている箇所も様々だ。

3つの鑑別法
図2:3つの鑑別方法=筆者作成、写真は高橋さん提供

 

10年先でも役に立つ技術を身に着けてほしい

「生徒さんたちはすぐにできるようになるんですか?」。もし私が生徒だったら絶対無理だ。そもそも、それができてしまう人が養成所に入所するのだろうか。気になる山崎さんの答えはこうだった。「できないんです。掴むのがやっとの人もいますしね。ヒヨコが手の中で暴れたりしますので、1か月くらいはお尻が上手く開かないんですよね。糞もうまく出なかったりね。1ヶ月経つとなんとか固定できるようになるんですけど」。現実離れした技術を駆使する鑑別師にも苦労の時期があるようだ。

感覚をフル活用する技術だからこそ教える側も難しい。「鑑別は教えてもらって覚えてもそれは自分のものにはならないんですよね。自分で『こうだ』っていうところで覚えないと、後々10年経った時でも、その先役に立たない技術になっちゃうんです」と山崎さんは話す。実際に生徒から質問を受けた際は、口で教えるよりも実演しているそうだ。

 

3章:プロになるまでの道のり

 

同期は7人、初生雛鑑別師になるため養成所へ入所

クイズ番組をきっかけに、鑑別師になることを決意した高橋香織さんもプロになるために養成所に通った。高橋さんの代は、高橋さんも含めて8人が養成所に入所した。入所式当日、あまりカジュアルな格好も良くないかな、と思いシャツとパンプスを着て行ったが、同期はデニムを履いていたりとラフな格好だった。こんな格好で来なければよかったなと思っていると、早速ヒヨコに触れることになった。これが高橋さんとヒヨコの初対面だった。

「とにかくニヤけてたまらなかったですね。ヒヨコがフワフワしていて、柔らかくて、温かくて、可愛くて。そんな遊んでいる暇はないんでしょうけど、その時はどういうことをするとかそこまでイメージが湧いていなかったので、初日はそういう風な感覚でしたね」。

 

養成所で教わった「鑑別師」としてのプライド

ネットで調べると「ヒヨコ鑑定士」という言葉がちらほらと出てくる。当初は本記事のタイトルにも入れようと思っていたのだが、高橋さんは「絶対嫌なんですよ」と、呼び名にはこだわりがあった。

「鑑別師の『師』は教師の『師』であり、弁護士や消防士の『士』ではない。先生の立場であるということをしっかりと理解して、立ち振る舞いなさい」。

これは、高橋さんが養成所に入所し始めた頃に教わったことだ。この教えは今でも高橋さんの心にずっと残っている。昔の鑑別師たちは、ヒヨコのオスメスを仕分けるだけでなく、鶏の生態や育て方のアドバイスもしていた。昔ながらの孵化場では未だに「先生」と呼ばれることがあるという。今では鑑別師が教えるということは無くなったが、奇形のヒヨコがたくさん出た時などは孵化場側から原因を聞かれることがあるそうだ。養成所では、肛門鑑別法の習得が重視されがちだが、養鶏講義という座学も存在する。養鶏講義を真面目に受けていた高橋さんは、当時のノートを今でも見返すことがあるのだという。

 

高橋さんの養成所時代

養成所に入学した高橋さんは、もともと手先が器用だったこともあり、絶対にできるという自信があった。実際、同期の中で一番成績が良かったのだ。徐々に講習に慣れてきた頃から牛丼屋でアルバイトを始めたのだが、夜間のシフトも出るようになると、朝起きられなくなってしまった。遅刻してきては、練習用のヒヨコを誰よりも速く正確に仕分けて仮眠をとる。テスト時間には起こしてもらい、1位をかっさらっていた。もうちょっと真面目にやっておけばよかったな、と高橋さんは当時を振り返る。

 

孵化場の研修は修行

5カ月に及ぶ講習最後の試験に合格しても、残念ながらまだプロにはなれない。次は研修生になる。研修生は、孵化場で作業を手伝いながらプロの鑑別師に指導を受けて、高等鑑別師考査の合格を目指す。この試験では、10分以内に卵用と肉用のヒヨコ100羽を卵用は98%以上、肉用は97%以上の鑑別率で仕分ける。これを4回行った結果で合格が決まる。予備考査よりも種類と羽数が増え、速度と精度がさらに求められる。合格すると、プロの初生雛鑑別師として仕事ができるようになるのだ。ちなみに、合格するまでには1年から2年はかかるとされている[図1],[5]

落語家の前座修行みたいだ。私が研修生時代の高橋さんのエピソードを聞いて、率直に受けた印象だ。「丁稚奉公」と高橋さんは表現する。研修生は、あくまでもお手伝いの対価として練習をさせてもらう。その間の給与は、最低賃金以下だったという。講師の山崎さんによると、多くの孵化場では週2日でヒヨコが生まれる。そして、研修生たちは、出荷できなかったヒヨコを練習させてもらうのだ。ヒヨコが生まれない日には、ヒヨコを入れる箱の作成やコンテナの洗浄などを行う。100羽のヒヨコが入った箱を運んで、頭の高さまで積み上げる作業など、時には力仕事も求められるそうだ。

 

「私、絶対辞めない」。がむしゃらだった研修生時代

高橋さんが研修を受けたのは福島と静岡の2か所の孵化場だった。当時は高等考査の合格基準が高く、合格するまでに3、4年ほどかかっている人もいた。なかには高等考査に受からず、先が見えなくなり辞めていく研修生もいた。プロになって働くまでは続けると決めていた高橋さんは、アルバイトを辞めて研修に集中した。「とにかく私、最短で受かりたかったんです。他の研修生が寝ている時間でも、孵化場に許可をもらって夜通しオスだけを見る練習をやりましたね」。

 

プロになるための試験

試験はタイムで落ちるか精度で落ちるかのどちらかだ。鑑別のスピードには自信があった高橋さんだったが、その日は時間がかかった。試験結果を待つ間、同期の子と「間違えてしまったかもしれない」と二人で励まし合いながら、養成所の外の白くて広い道路をとぼとぼと歩いた。変な汗が出て興奮が冷めやらず、お昼休みだったが食欲は無かった。午後には先生から結果が書かれた紙をもらうことになっていた。合格の場合は赤いハンコ、不合格の場合は青いハンコだ。配られる前、チラッと青色が見えた。「落ちた」と思った。

しかし手渡された紙には「合格」に印があった。ギリギリ合格していたのだ。あと1羽でも間違えるか、2秒遅れていれば不合格だった。どうやら、スタンプの色を押し間違えられていたようだ。高橋さんは、「記憶している嬉し涙って、ここが初めてなんじゃないかってくらい泣けました」と振り返る。3、4年で合格するかしないかのプロ試験を、当時としては史上最短の3カ月で合格したのだった。「やっぱり根性は大事かな。やる時はやる、無駄なことはしないっていうのが大切な気はしていましたね。がむしゃらになれたのは良い記憶です」。

 

4章:海外で働いた8年間

 

母の言葉に後押しされてスウェーデンへ

晴れてプロの鑑別師となった高橋さんは、スウェーデンに派遣された。そう、スウェーデンである。鑑別師になるきっかけを作り、テレビ画面越しに夢見たフランスではない。高橋さんがプロ試験に合格した年は、フランスの要請が無かったのだ。その代わりに1名だけスウェーデンからの要請があった。憧れのフランスではない上に、当時のスウェーデン鑑別師業界にはあまり良い噂が無かったことから、不安もあった。「フランスを待とうかな」。そう思っていた高橋さんだったが、ここで転機が訪れる。

「経験も無い、仕事もしてない人が何を言ってるの。技術もまだ身に付いていないような人間が選ぶような権利は無いんじゃない?」。

高橋さんのお母さんの言葉だ。フランスを待とうかと思うと相談したら返ってきたこの言葉は、高橋さんに衝撃を与えた。「私はまだひよっこのひよっこなわけですよね。それなのに国を選ぶ立場じゃないっていう母の言葉は、確かにそうだと思ったんです。それで、『私スウェーデン行きます』って言って、すぐに出国したんです」。

 

スウェーデン入国の日の思い出

2003年8月に高橋さんは日本から出国した。出国当日は、飛行機が2時間以上遅れてスイスの空港で待つことになった。デンマークの空港で迎えに来ている勤め先の社長への連絡はすっかり忘れていた。海外旅行には慣れていたため、お腹に貴重品を入れて、大きなドラムバッグに覆いかぶさるようにして寝た。思ったよりも普通に寝てしまい、ハッと起きると振替の便が出る直前で、慌てて走った。デンマークからスウェーデンまでは、迎えに来ていた社長が運転するボルボで移動した。寮に着いて部屋に案内されると、真っ先に視界に入ってきたのはビビットなピンク色の布団だった。歴代の寮生が使っているような布団で、綿が少なくて薄い。荷物から必要なものだけ取り出して、とにかく早く寝ようと布団に入ると「あ、私これ寝れるな」と思ったという。「最初に見た布団が意外と安心感があったんだよね」と、高橋さんは当時を懐かしみながら語った。

 

心も生活も豊かなスウェーデン

「素晴らしかったですね」。高橋さんはスウェーデンの暮らしをそう振り返る。当初抱いていたフランスへのこだわりは捨て、スウェーデンを楽しもう、そういう気持ちだった。結局、憧れのフランスには行かず、スウェーデンで8年の時を過ごした。自分の身の回りのことは何でも自分でやる。スウェーデンで身に付いた考え方だ。

スウェーデンは日本の約1.2倍の面積でありながら、人口は約1022万人と少ない(2018年時点)[6]。一人当たりの面積の広さが心の広さに現れているかのようだったという。「私、日本で生活していると凄くせっかちなんです。だけど、スウェーデンだとそういうのは出てこない。レジで待っていてもイライラとかしないんですよ。ゆったり構えていられるというか、みんなに優しくなれるような感じの国でしたね」。

スウェーデンはこだわる文化だ。特に、高橋さんはインテリアに影響を受けた。「皆が家に置くものをちゃんと吟味している。人の好みに左右されずに、自分の好きな物で自分を囲んでいるのがすごく素敵だったんですよね」。スウェーデンの文化は、冒頭で紹介した高橋さんの愛車SAABへのこだわりに通じるものがあるようだった。

 

海外で活躍する鑑別師たち

海外で働く初生雛鑑別師は多い。2021年時点で日本で養成された初生雛鑑別師は約150名存在し、そのうち海外には約60名、国内で約90名が鑑別を行っている[注3]。初生雛鑑別師の需要は日本よりも海外にあるのだ。その理由として、市場規模の大きさや、高度な鑑別法(第2章で記述した肛門鑑別法)を必要とする雛を多く取り扱っているということが挙げられる。派遣先の国はフランスやドイツ、ベルギーなどヨーロッパが多い[図3]。一方で、国内で働くのは海外経験を積んだベテラン勢だ。鑑別師の中には、海外経験を積んでから日本に戻ってくる人もいれば、そのまま海外に住居を構える鑑別師もいるという。

図3:日本人鑑別師が活躍している国の分布[7]=筆者作成
図3:日本人鑑別師が活躍している国の分布[7]=筆者作成

 

組織図と雇用形態

初生雛鑑別師たちは、地域ごとに会員として所属している。国内では、北海道・東北・東部・中部・近畿・中国・四国・九州の8つの鑑別師会が存在する[図4]。鑑別師たちは、出身地によって分けられている。そして、海外には海外鑑別師会が存在する。国内外合わせて9つの鑑別師協会は、畜産技術協会の会員となっている[7]

図4:地域鑑別師会とその管掌区域のマップ[7]=筆者作成
図4:地域鑑別師会とその管掌区域のマップ[7]=筆者作成

日本で働く鑑別師たちは、基本的には個人事業主だ。孵化場が職場ではあるが、あくまで孵化場は取引先ということになる。鑑別師たちはチームを作り、一つの孵化場で働く場合や、小さな孵化場であれば一人で鑑別をすることもある。一方、海外では色々なパターンがあり複雑だ。ベルギーには「HOBO」と呼ばれる大きな代理店があり、多くの鑑別師は「HOBO」を通して孵化場と契約する。「HOBO」を介さずに個人で働いている鑑別師はフリーランスと言われる。また、スウェーデン時代の高橋さんのように、国によっては「HOBO」とは別の代理店で、会社員として働く場合もあるそうだ。

 

7年目、突如のクビ宣告

スウェーデン時代の高橋さんは、月火木金に働いて、水土日が休日という働き方だった。仕事先の孵化場は日によって変わった。北に250㎞、南に150㎞と移動距離は長いため、朝4時半には家を出ることもあったという。お昼に仕事を終えても、帰宅すると夕方を過ぎてしまうこともしばしばだった。車の運転は必須だったが、運転好きの高橋さんにとって苦ではなかった。鑑別の仕事に関しても、技術力に自信があったため上手くいっていた。

ところが、7年目のある日、当時の社長が経営上の理由で、高橋さんを含めた日本人鑑別師7名にクビを言い渡した。同僚たちが日本に帰国していくなか、高橋さんはスウェーデンに残ることにした。「帰国するかしないかは自分の意思で決めたいと思った」と高橋さんは当時の想いを語った。

 

自分の力で未来を切り開けると確信した大会での優勝

高橋さんにとって、クビ宣告はショックではあったものの、決して悲観的な気持ちではなかった。というのも、クビ宣告の直後、一時帰国して参加した「第50回全日本初生雛雌雄鑑別選手権大会」で優勝したことが大きかった。

大会は、肛門鑑別法で行われ、順位は速度と精度で決まる。海外に居た当時、肛門鑑別を行う仕事の休憩時間は練習を常に行った。練習したものはその都度、同僚に見てもらっていた。その努力もあって、大会では100羽のヒヨコを1羽も間違えることなく、3分36秒で仕分けたのだった。ちなみに、高橋さんが優勝したのは50回目を迎える記念大会だった。当日は、ゲストに秋篠宮殿下が見学されていた。大会直後のデモンストレーションを頼まれていた高橋さんは、「私でいいのかな」と思いながらも挑んだという。

高橋さんが優勝する以前の大会では、50代前後の鑑別全盛期世代の優勝が目立っていた。そのため、30代と若手かつ女性の鑑別師の優勝は、久しぶりの快挙であった。「私が優勝してから5年連続で30代の人が優勝したりと、若手が頑張るような流れができたことを感じられたのは嬉しかったですね」。この優勝を通して、高橋さんは、自分の手で自分の未来を掴めるということを実感できたのだ。

 

ヨーロッパで起業してフリーランスになることを決意

日本に帰国することがなんとなく癪だった高橋さんは、失業保険をもらってスウェーデンの友人宅にしばらく居候をしていた。そんなある日、イタリアのとある鑑別師から、「仕事してないんだったら手伝ってよ」と声がかかった。そこで、高橋さんは思い切った決断をする。起業してフリーランスになったのだ。まずは、一時的なヘルプとしてイタリアで鑑別の仕事を始めた。その後は、スウェーデンに住所を置いたままフランス、ポーランド、ドイツなど仕事の依頼があればどこでも車を走らせた。

 

「やりきった」。怖いものが無くなり、日本に帰国

高橋さんがフリーランスになってから1年が経とうとしていた。ある日、新潟の仕事で席が1つ空いたという連絡をもらった。「ヨーロッパ中を走り回ってやりきった感というか、怖いものが無くなったなって思ったんです」と高橋さんは振り返る。そして、2011年6月、8年間の海外経験を経て、帰国を決意したのだった。

帰国直前、当時乗っていた黒のSAABを下取りに出しに行った記憶は未だに残っているそうだ。「クビになって、帰国するってなって、全部手放すことになっていたら凄く悲痛な気持ちだっただろうなと思いますけど、やりきったと思えたタイミングでパパっと帰ってきたので大丈夫でした。今の子の方がちょっと心配です。仮に手放すとなると、あまりにも気持ちが入りすぎているので」。行きつけのパン屋さんのカウンター席に座る高橋さんは、チラッと外に駐車している白のSAABに目をやった。

 

5章:鑑別師をしながら趣味を仕事にした新潟生活

 

SAABの助手席に座る私は、取材メモを取るのに必死になっていた。ふと顔を見上げると、いつの間にか住宅街からは離れていたようで、大きなコンテナのような建物がぽつぽつと点在する産業団地に居た。SAABがゆっくりと路肩に停まる。どうやら着いたようだ。訪れたのは、高橋さんが働く孵化場だ。何も言われなければ何の建物なのかさっぱり分からない。ましてや、大量のヒヨコが生まれているとは誰も思わないだろう。車から降りて、孵化場の外観だけ撮影をさせてもらった。横に広いその建物には、高橋さんも出入りしたことが無い場所があるそうだ。

高橋さんが働く孵化場=筆者撮影(2021年9月22日)
高橋さんが働く孵化場=筆者撮影(2021年9月22日)

 

初生雛鑑別師の職場

私はこの取材をするまで孵化場という存在を知らなかった。鶏関係の職場といえば養鶏場のイメージしかなかったのだ。孵化場とは、文字通り卵からヒヨコを孵化させて、販売する場所だ。孵化したヒヨコは、鑑別師の手によって仕分けられた後、全国の養鶏場に出荷される。孵化場内の仕事風景も見たいところではあるが、関係者以外は入れない。もし、鳥インフルエンザなどのウイルスを持ち込んでヒヨコが陽性になってしまうと、孵化場のヒヨコ全てが殺処分となるからだ[8]。これは、養鶏産業にとっては大きな被害だ。関係者の高橋さんでも簡単に入ることはできない。駐車場から鑑別場に入るまでには靴底の消毒や手のアルコール消毒に留まらず、一度シャワーを浴びて、用意された服に着替えるなど徹底している。ちなみに、鑑別師は鳥類を飼ってはいけないそうだ。動物園や、エサで水鳥が寄ってくるような水族館も防疫の問題から行くことは良しとされていない。

 

グルグル回るドーナツ型機械でヒヨコを仕分ける鑑別師たち

YouTubeに投稿されている全日本初生雛雌雄鑑別選手権大会の映像では、机の上に3つの箱が用意されている[9]。真ん中の箱には、仕分け前のヒヨコが入っており、両サイドの箱に鑑別したヒヨコをオスとメスに分けて入れるのだ。私は、てっきり孵化場でもそのように仕分けられているのだとばかり思っていた。

 

全日本初生雛雌雄鑑別選手権大会の様子[9]=YouTubeより
全日本初生雛雌雄鑑別選手権大会の様子[9]=YouTubeより

しかし、実際はもっとハイテクだという。高橋さんの職場では、1つの大きなドーナツの型のような機械を6人の鑑別師が囲んで仕事をする。卵の殻を取り除いたヒヨコは、ベルトコンベアに乗って、大きなドーナツの形をした機械に流れてくる。機械は円卓のようにグルグルと回転する。鑑別師たちは自分の手元に来たヒヨコを掴み、瞬時に性別を見分ける。それぞれの鑑別師の左右の手元にはシューターがあり、オスであれば右に、メスであれば左に投げていく。

 

高い精度を追い求める鑑別師

「98%」これはプロの鑑別師たちが保証する精度だ。言い換えれば、2%までしか間違えてはいけないということだ。もし、2%以上のミスをすると賠償問題になる。というのも、2%以上のオスがまぎれていたと分かるのは、出荷先の養鶏場で、ある程度育てられてからなのだ。よって、それまでにかかった経費は、鑑別師たちが支払うことになっている。ただし、日本では海外経験を積んだ熟練鑑別師が多いため、賠償問題にまでなることはほとんど無いそうだ。また、熟練鑑別師が多い日本では99%以上の精度が求められているのが現状だ。このようなことから、鑑別師たちには高い精度を要求されることが分かる。これまで紹介してきた養成所での5カ月の講習や、1,2年の研修、海外派遣、選手権大会は全て、鑑別の精度を磨くためのものなのだ。

 

鑑別の感覚、天才肌と努力肌

今にも雨が降り出しそうな雲行きのもと、孵化場の周りを歩きながら高橋さんから孵化場内の仕組みを一通り聞く。産業団地だが、建物の周りは草むらになっている。孵化場の隣には小さな歩道があり、高橋さんのお散歩コースだという。

「私歩くのが速いんですけど、歩いていて草むらの中のクローバーの群衆からパッと四葉に目が留まることがあるんですよ。そういうことができちゃう目があるんです」。この目がヒヨコを仕分ける時に活躍する。視力の良さや動体視力とは違った、ピントを合わせる機能が働いているような感覚なのだそうだ。しかし、全ての鑑別師が同じ感覚を持っているわけではない。高橋さんは、初生雛鑑別師には左脳派と右脳派がいると考えている。

高橋さんのような右脳派は、直感的な能力で目と手が自動操縦のように仕分ける。左脳派は、工程をしっかりと踏まえて仕分ける。高橋さんの感覚を左脳派の後輩に伝えると、「自分は普通の人間なのに、魔法使いが『ここでピョピョイってすればいいんだよ』みたいなことを言われているのと同じレベルなので、止めてください」と言われるそうだ。どちらにしても現実離れしているように感じるが、誰でも習えば90%の精度まではできると言われている。そこから98%の精度まで伸ばすために、才能や努力が必要になってくるのだ。

 

初生雛鑑別師の収入

「ヒヨコ鑑別師」と聞いて真っ先に「その仕事って稼げるの?」と思う人もいるのではないだろうか。そもそも、収入は時給として支払われるものなのかも気になるところだ。

まず鑑別師の収入は、基本的には歩合で決まる[注4]。卵用のヒヨコ1羽が約4円、ブロイラーのヒヨコだとその倍以上の値段になる。日によって仕分ける羽数は異なる。5人の鑑別師がいる職場では、多い時にはオスメス合わせて8万羽のヒヨコを1日で鑑別する。となると、1人当たり1万6000羽を仕分けることになる。このぐらいの羽数であれば、鑑別時間はおおよそ4時間程度になる。出荷するのはメスに限られるので、メスのヒヨコ約8000羽に4円をかけた、3万2000円が1日の稼ぎになる。月のオーダー数や地域によって差はあるため一概には言えないが、月に50万円程稼ぐことも可能だとされている。

 

鑑別師だからこそできる自由な生き方

「私には駐車場の神様が付いてるからね」。高橋さんはハンドルを握りながら話す。列をなした車が駐車スペースを探し求めてグルグルしている。新潟市にある複合型ショッピングセンターの立体駐車場では、平日にもかかわらず車がいっぱいだ。SAABに乗った我々も同じくウロウロしていると、壁際に開いているスペースが1か所だけ見つかった。「神様、付いてるでしょ?そういう人なんですよ、私」と高橋さんは得意げだ。四つ葉がパッと目に留まる話などを聞いていたため、高橋さんからは何か不思議な力がある気がしてならなかった。もはや駐車場の神様くらい従えていても不思議ではない。そんなことを思いつつ、私は扉を壁にぶつけないように慎重にSAABから降りた。

ショッピングセンターには、高橋さんがデザイナーの友人と制作した壁画があるということで連れてきてもらった。平日でも賑やかな店内の入り口の壁画は、想像していたよりも大きい。壁画はショッピングセンター内の産地直送セレクトショップ「KITAMAE」のものだ。もともと依頼を受けていた友人のデザインを高橋さんが描き起こした形だ。丁度、鑑別の仕事が6連休だったため、制作に専念できたという。制作段階の映像を見せてもらうと、大きな壁に黙々と筆を走らせる高橋さんとご友人が映っていた。藍色を背景に、筆で白を少しずつ足して波を表現していく。もくもくと作業を進める高橋さんの目は真剣そのものだ。新潟県内には、この壁画以外にも高橋さんが制作に携わった作品がいくつかあるそうだ。

「お土産でも見てください」と言う高橋さんに甘えて、ぐるっと店内を見て回った。「後で車で食べましょう」と高橋さんオススメの生乳シフォンケーキを買ってもらい、私たちは店を後にした。

高橋さんとデザイナーの友人が制作した壁画=筆者撮影(2021年9月22日)
高橋さんとデザイナーの友人が制作した壁画=筆者撮影(2021年9月22日)

 

アクセサリーの販売

壁画を見た後、ショッピングセンターの駐車場に停められたSAABまで戻ると、高橋さんは車の後ろに回ってバックドアを開ける。バッグスペースにはアクセサリーケースが置かれていた。ケースの中には、高橋さんが付けているタッセルのピアスと同じものも並べられていた。「タッセルなどのアクセサリーを得意に作っていますね。これとかは京都の西陣の帯を織っている会社のデッドストックの糸を取り寄せて作っていたりするんですよ。凄く柔らかくて、付けても全然負担にならないのでリピートしてくれる人が多いです」。

高橋さんは店舗を持たず、基本的にはオーダーを受けてアクセサリーを作っている。アクセサリーを見たいと言う人にはこのように車で見せることが多いため、「行商」と言われることもしばしばだ。手渡された西陣織の絹糸で作られた青いタッセルのピアスは、フワフワとしていて触り心地が良い。「タッセルを買った人はよく触っているんです。髪の毛をいじる感覚と同じだと思うんですけど、落ち着くんですよ。リラックスを与えてあげられてるのかなみたいな、そんな気持ちになれます」。

高橋さんが制作販売するアクセサリー=Instagramより
高橋さんが制作販売するアクセサリー=Instagramより

 

兼業と専業

日本の鑑別師のなかで、鑑別一本で働いているのは20%ほどだ。残りの80%は兼業で生活しているとされる[注3]。兼業をしている鑑別師のなかには年金を受給していたり、家族の仕事を手伝っている人も含まれる。そのため、必ずしも「食べていけない職業」というわけではなさそうだ。また、鑑別の仕事は平均週4日勤務でお昼には終わるため、自由な生き方がしやすいといえる。

「私たちのチームは鑑別一本でもそれなりに食べていけるので、わざわざ兼業をしなくても良いという感覚があるのかもしれません。私は時間があるうちは働きたいというよりは、やりたいことをやりたいんです。それが収入に繋がっていたりするというだけなんです。今はアクセサリーを作って販売してイベントに出たりとか、家具のスタイリングの仕事をしたりもしていますね。器も作っています。お蕎麦屋さんのつゆのプロデュースもしていました。色々ですね」。そう話す高橋さんの表情はイキイキとしていた。高橋さんにとって、海外でフリーランスとして働いた経験は、やりたいと思えばなんでもできるという自信に繋がったのだ。さらに、最近では友人との出会いによって、その自信が鑑別以外の仕事として形になってきているという。

SAABに乗り込み助手席で話を聞いていた私は、先ほど買ってもらったシフォンケーキを1口食べる。フワフワと柔らかいため車内にうっかりこぼしそうだ。運転席に座る高橋さんは、お菓子作りは全然しないと話す。色々作っている高橋さんでも作らないモノがあるんだなと私は思いながら、残りのシフォンケーキを慎重に頬張った。

 

6章:初生雛鑑別師の将来

 

初生雛鑑別師とアニマルウェルフェアの関係

初生雛鑑別師の将来について考えるにあたって、鑑別師業界ではアニマルウェルフェアの話題が上がっている。一般社団法人アニマルウェルフェア畜産協会によると、「アニマルウェルフェア(Animal Welfare)とは、感受性を持つ生き物としての家畜に心を寄り添わせ、誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、行動要求が満たされた、健康的な生活ができる飼育方法をめざす畜産のあり方」だ[10]

EUでは、アニマルウェルフェアに対する配慮が法律によって定められており、協力した農家に対して補助金を出すなど、上からの支援が活発に行われている[11]。ドイツ連邦食糧農業省のHPによると、ドイツでは2021年5月20日に卵用のオスのヒヨコの殺処分を禁止する同省の法律が可決し、2022年1月1日から発効された。従来のガスによる殺処分の代替案として、卵の段階で内分泌液を抽出する方法や、特殊な光を当てて反射光を分析する方法が開発されている。これらの方法により、ヒヨコが卵から孵化する前に性別を調べて、オスであれば孵化させないという手段をとるのだ[12]。オスの殺処分の代替案として、他にも、肉用と卵用を兼ねた卵肉兼用種の飼育や、卵用のヒヨコのオスを肉用として飼育することなども推進されている[13]。このようなアニマルウェルフェアの普及に伴う生産環境の変化は、孵化した直後のヒヨコを仕分ける初生雛鑑別師の需要を減らすことに繋がるのだ。

 

日本人鑑別師の未来

高橋さんがスウェーデンに派遣されて間もない頃、動物愛護の過激派が孵化場を放火したことがあった。幸い高橋さんはその孵化場に行っていなかったので無事だったが、その事件で初めてアニマルウェルフェアを身近に感じたという。最近では、前述したドイツの法改正のニュースを通して、アニマルウェルフェアの波が少しずつ来ていることを感じている。マーケットが小さい日本では、コストの問題からすぐに適用されることは考えにくいようだが、今後の選択次第では鑑別師の仕事が無くなることもあり得るそうだ。一方で、アルジェリアにおける鑑別師需要の拡大や、韓国人やインド人の鑑別師が増えているという現状もある。

 

環境問題・健康を考えた食生活

アニマルウェルフェアとは異なるが、高橋さん自身は環境問題や健康を考えた食生活を意識するようになってきているという。

「私自身はオーガニックな生活にシフトしていて、自分の私生活と仕事は分けている状態です。自分が食べるもので自分自身はできているので、ちゃんと選んだものを食べたいんです。卵もたまに手に入らなくてスーパーで買う時もあるけれど、平飼の自由に育った鶏の卵を買ったりしています。最近は、環境問題のことを考えてお肉を食べなくなってきています。私は、命が可愛そうだから食べないわけではなくて、どういう風に食べるかとか、ロスを無くすことを重点的にやっています。誰かに提案する前に、自分がまず始めようという感じです」。

 

大好きな鑑別は死ぬまで続けたい

鑑別師業界には、定年がないという強みがある。そのため、70代や80代でも活躍することができるのだ。「鑑別の仕事はいつまで続けたいですか」と尋ねると、高橋さんは「死ぬまでですね」と笑い交じりに答える。「ただ、ちゃんと自分で引き際を見極められるような鑑別師でいたいなと思うので、精度が保たれるまでですかね」と付け加える。また、大好きな器と絡めて、生きづらさを感じている人たちが安らげるような居場所づくりもしていきたいと考えているそうだ。「やっぱり私、鑑別が凄く好きなので、鑑別師でいたいっていう気持ちがあります。どっちもできたら最高ですね。欲張って両立させたいです」。

 

おわりに

今回、取材を通して高橋香織さんという一人の初生雛鑑別師の存在と、彼女の人生を知ったことで、「ヒヨコ鑑別師」という職業は鑑別技術の研鑽のためにたゆまぬ努力を積み重ねながら、私たちの食を陰ながら支えていることが分かった。彼らの道のりは決して易しくはない。本文では触れなかったが、高橋さんと同じく養成所に入所した7人の同期は皆、鑑別師を辞めている。彼らの世界に「ファンタジー」などという生易しいものは存在しない。あるのは日々の努力のみなのだ。

そもそも、タイトルに含めた「ファンタジー」という言葉は、私の中で「現実味が無い」という意味が大きい。取材を終えて、「ヒヨコ鑑別師」という職業に対してこの現実味の無さを感じた背景を改めて考えてみた。すると、畜産に対する知識の無さから来ているのではないかという結論に至った。養鶏業、ひいては畜産に対する知識があれば、効率的な生産のために雌雄を分ける人が存在することは、決して不思議ではないはずだ。このことは日本において、アニマルウェルフェアの普及が進んでいないことにも通じるのではないだろうか。畜産に関心を持つべきだと結論付けたいところだが、いきなり関心を持つというのもハードルが高い。そこで、身の回りに置くモノをこだわる高橋さんに倣って、今日食べる晩御飯をこだわることから始めてみてもいいかもしれない。あるいは、スーパーで卵をかごに入れる時、ふと、鑑別師の存在を思い出すだけでもいい。私たちを支える食が「ファンタジー」ではないということに、少しずつでも気づいていきたい。

 

[注1]:取材は2度のワクチン接種とPCR検査をしたうえで行った。

[注2]:山崎正樹さんのインタビューより。

[注3]:公益社団法人畜産技術協会技術普及部初生雛鑑別課和田佳代子さんのインタビューより。

[注4]:場所によって例外がある。日本国内の孵化場の中には時給で支払われている孵化場も存在する。

 

参考文献

 

[1]小谷あゆみ「ひな鑑別師という生き方~自分らしく働ける仕事をえらぶ時代」https://ameblo.jp/ayumimaru1155/entry-12581882807.html

[2]公益社団法人畜産技術協会「ヒナの鑑別・養成」

http://jlta.lin.gr.jp/chick/

[3]上野曄男 (2003)『初生雛雌雄鑑別技術発達史』社団法人畜産技術協会

[4] 農林水産省「農林水産統計」

https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/tikusan/attach/pdf/index-10.pdf

[5] 公益社団法人畜産技術協会「鑑別師養成制度の説明」

http://jlta.lin.gr.jp/chick/training.html

公益社団法人畜産技術協会「養成講習案内」

http://jlta.lin.gr.jp/chick/admission.html

[6] 外務省「スウェーデン王国基礎データ」

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/sweden/data.html

[7]公益社団法人畜産技術協会「初生ひな鑑別師ガイド」[パンフレット]

 

[8] 農林水産省「高病原性鳥インフルエンザの発生を予防するために―高病原性鳥インフルエンザと発生時の防疫措置―」

https://www.maff.go.jp/j/syouan/douei/tori/pdf/hpai_book_let2.pdf

[9]公益社団法人中央畜産会経営支援部「がんばる!畜産!2 畜産をささえる職人たち 初生雛鑑別師 30分」

https://www.youtube.com/watch?v=PnJJks0gBhE

[10]一般社団法人アニマルウェルフェア畜産協会「アニマルウェルフェアとは」http://animalwelfare.jp/info/whatis_aw/

[11] 枝廣淳子(2018)『アニマルウェルフェアとは何か―倫理的消費と食の安全―』岩波書店、第1刷

[12] “Ausstieg aus dem Kükentöten”, Bundesministerium für Ernährung und Landwirtschaft,

https://www.bmel.de/DE/themen/tiere/tierschutz/tierwohl-forschung-in-ovo.html

[13] Ausstieg aus dem Töten männlicher Küken, Bundesministerium für Ernährung und Landwirtschaft,

https://www.bmel.de/SharedDocs/FAQs/DE/faq-kuekentoeten-beenden/FAQList.html;jsessionid=C036EDB1D726E1402465616BB09D362E.live831

 

(全て2022年2月17日までに閲覧)

 

この調査記事は瀬川至朗ゼミの2021年度卒業作品として制作されました。