江戸切子女性職人の活躍から見る 伝統の新しいかたち
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はじめに
鮮やかな色のガラスに刻まれる、数々の模様。幾重に連なるカット細工が繊細な格子や花の模様を浮かび上がらせ、光を集めて輝く。江戸切子のグラスは、私が物心ついた時から、すぐそばにあった。私の名前が似ていることもあって、七五三のお祝いや進学祝いなどで、江戸切子グラスを贈られることが幾度かあったのだ。いただいてすぐの頃は、ダイニングに飾り、綺麗な模様を眺めるばかりだったが、成人した今では、家族での晩酌をいつも彩ってくれている。
大学4年生の春、卒業制作のテーマを決めるにあたり、日本の文化の裏側を伝えるようなルポタージュを書きたいと考えた。アメリカでの留学を経て、多様なバックグラウンドを持つ友人たちと出会ったことで、私も改めて自分が生まれ育った日本の文化を深く知り、理解したいと思ったのだ。その時、真っ先に思い浮かんだのが、江戸切子だった。
江戸切子をテーマに据えて調査を進めていると、江戸切子協同組合のホームページに、興味深い記載があった。「江戸切子の職人は、約100名弱。女性の職人は若い世代を中心に全体の約20%です(2023年調べ)」[i]。伝統工芸品産業全体で後継者不足や職人の高齢化は深刻化[ii]しており、江戸切子業界ももちろん例外ではない。その中で、「江戸切子の女性職人は若い世代が中心」という記載には、意表をつかれた。現在活躍する女性の江戸切子職人に、若い世代が多いのはなぜなのか。彼女らはどのような動機で江戸切子の職人を志したのだろうか。ここでは、職人を抱える工房、活躍する女性の職人の方、産業を支える東京都、それぞれの視点から、江戸切子業界の現在地を探っていく。(文・写真=根元紀理子)
=トップの画像は江戸切子協同組合ホームページより[i]
第1章 伝統工芸士として広めていく 江戸切子職人・青山弥生さん
東京都葛飾区、下町風情が漂う閑静な住宅街の中に、老舗江戸切子工房「清水硝子」はある。工房の中には、切子細工のための機械が立ち並び、ガラスを削る音が大きく響く。ガラスに模様の下書きを描く人、実際に模様をカットする人、カットした後のグラスを磨く人、皆それぞれの作業に集中している。職人たちが神経を張り詰めているのが伝わってくる、少し厳かな雰囲気だ。
工房を案内してくれたのは、清水硝子所属の江戸切子職人・青山弥生さん(41)だ。青山さんは、経済産業省が認めた伝統工芸士の資格を持ち、職人として活動し始めてから今年(取材時)で16年目となる。伝統工芸士資格を有する女性の江戸切子職人は業界全体で3名と少ない中、青山さんはどのような思いで活動に向き合うのか、お話を伺った。
青山弥生さんと作品の数々 2024(令和6)年11月29日(撮影・根元)
「ものを作る実感」を求めて江戸切子職人に
江戸切子職人になった経緯を伺うと、「ものを作る実感が好きだった」と楽しそうに教えてくれた。幼い頃から、絵を描くことや粘土などでの工作が好きだったという彼女は、大学ではプロダクトデザインを学んだ。大学卒業後、一時はファブリック系の会社でデザイナーとして働いたが、デザインだけでなく、実際に手を動かしてものづくりをしたいと考え、入社一年ほどで転職を決意。葛飾区による、弟子入りを志願する若者と事業所のマッチング支援を受け、清水硝子への入社が決まったという。「ガラスという素材に詳しかったわけでもなかったけれど、(江戸切子の業界に)勢いで飛び込んでみました。」と話す青山さんには笑みが見られた。
自分の中でデザインを再構築して、自然を表現
「頭の中に描いた作品をそのまま手の中で再現できるようになるのが楽しい」。そう語る青山さんは、自然物や景色、休みの日に訪れる美術館などからインスピレーションを得ることが多いという。これまでの作品では、湧き水が石を削る様子や雨が光を反射する様子など、自然の表情から着想を得たものが多い。中でも、青山さんにとって江戸切子新作展への初出展作品となった「春を待つ」では、春に氷が溶けていく様子が表現されている。
(左)作品「春を待つ」(右)「春を待つ」受賞時の青山さん(画像提供・青山さん)
この作品では、六角形のパターン模様の中に曲線を入れ込むことで、ガラスに反射する光から、氷が溶ける様子を魅せられるよう工夫したそうだ。「自然のものをデザイン化すると、葉っぱなどでも自分が思い描いた人工のデザインになってしまう。自分の中で要素を抽出して、再構築してよりリアルなものを作りたい」と、切子ガラスでの表現の難しさを教えてくれた。
16年間で見られた業界の変化
「求められる作品のクオリティやデザインの自由度が高まった」。今年で職人になってから16年目を迎える青山さんは、業界の変化についてこう語った。クオリティの面では、江戸切子の知名度の高まりに応じて、業界関係者だけでなく、一般のお客さんにも、商品の削りの精度がより細かく見られるようになったそうだ。「『お客さんの目が肥えた』という人もいますが、シンプルな模様でも油断はできないですね」と話す。作品のデザイン面では、伝統的な直線を用いたデザインのみでなく、曲線的なデザインのものが増えたほか、ガラスの色も濃い色から薄い色まで多様になったという。
青山さんの作品も、自然を表現したものから、リボンやかき氷など、ポップなモチーフを表したものまで、その作風は幅広い。伝統工芸が持つイメージとは裏腹な、江戸切子で表現できることの多様さには驚かされる。
新作展に向けて、花瓶を製作する青山さん 2024年11月29日(撮影・根元)
また、「道具の精度が上がったことで、(力仕事が難しい)女性でも幅広い作品作りがしやすくなった」と青山さんは語る。江戸切子の職人は、作る商品に応じて、時には4-5kgものガラスを両手で抱えながら研磨やカットなどの作業を行うため、想像以上に力仕事であるという。新しい道具については、他の工房の職人とも情報交換をすることが多いようだ。
伝統工芸士のとして心構えに変化
青山さんは、2022(令和4)年に伝統工芸士の資格を取得した。伝統工芸士資格のためには、年に一度行われる新作展での受賞歴、職人としての12年以上の実務経験など、満たすべき条件がいくつか決められている。青山さんが従事12年目を迎えた頃は、それらに加えて、「自ら事業を起こしている、または工房の跡継ぎであること」という条件があったため、資格取得は叶わなかった。しかし、近年その条件が撤廃されたことで、資格取得に繋がったという。
伝統工芸士となってから、業務の内容に大きな変化はなかったようだが、何より、普段の業務における心構えが変わったそうだ。「伝統工芸士の義務として、伝統の継承や後輩の育成などが明記されているんです。より後輩のことを見てあげようとか、(作品の)クオリティを保とうという意識が強まりました」。
職人がスキルアップをしていくためには、先輩に教わることはもちろん、新しい道具などを自分で試し、使い心地や表現を自らの手で試行錯誤していくことが欠かせない。普段の勤務後も、職人たちが各々練習や作品作りに励む時間があり、作品を見せあったり、新しい道具の使い方を教えあったりと、互いに刺激を受けているという。
伝統を継承するために「使ってもらう」ことを意識
伝統工芸士として文化を継承することについて、一番大切なのは「使ってもらうものを作ること」だと、青山さんは語る。「伝統は、大切に保護するものじゃなくて、使う人がいるから作る人がいて、ずっとそれが続いて受け継がれる。私が作りたいと思うモチーフを、どう作れば生活に溶け込むかを一番考えます」
そうした青山さんの意識が現れたのが、「soda」という作品だ。この作品は、炭酸水を飲むことを意識して作られた。懐石料理店などで用いられることも多い江戸切子は、和の食器、夜にお酒を飲む時に使う、というイメージが強い。そこで青山さんは、江戸切子をもっと気軽に使ってもらいたいと考えた。「豪華な和食が食卓に並ぶ機会は少ないから、朝や昼間に冷たいお茶を飲む時や、トーストとサラダを食べる時に江戸切子があってもいいと思う」。
作品「soda」 2024(令和6)年11月29日(撮影・根元)
緻密なデザインの江戸切子が多い中でも、商品である以上、使い手の存在を常に意識する姿勢が印象的だ。「伝統を継承する」というと少し堅苦しく聞こえるが、新しい表現を通して伝統を広めていく青山さんの考えは面白く、お話を聞いていて非常に心が躍った。
第2章 ペールトーンでモダンなデザインを 江戸切子職人・三澤世奈さん
青山さんから、伝統工芸士として使い手の生活に江戸切子を届ける姿勢を伺い、他の形で江戸切子を広める活動にも興味が湧いた。そんな時に出会ったのが、「N」[iii]という江戸切子ブランドだ。「N」は、江戸切子職人の三澤世奈さん(34)が工房・堀口切子内でデザインを手がけるラインナップである。三澤さんの作品には、淡い色のガラスを使用したものが多く、伝統的な模様と新しさが共存しているような印象を受ける。
三澤さんはどのような経緯で「N」の立ち上げに至ったのか、そこに込められた思いを伺った。
職人を志したきっかけは「美容クリーム」
江戸切子職人・三澤世奈さん(画像提供:三澤さん)
「小さな頃から、手を動かして物を作るのが好きでした」。そう語る三澤さんは、学生時代から、友達にネイルチップやデコ電(デコレーションした電話)をよく作るなど、得意なことで誰かを喜ばせられることにやりがいを感じていたという。学生時代にはネイリストを志し、大学では商学部でマーケティングを学んでいた。
彼女の人生を変える転機となったのが、在学中に出会ったとある商品だった。その商品は、美容クリームの器に江戸切子そのものを採用したもので、当時大きな衝撃を受けたという。
「モノとしての圧倒的な美しさはもちろん、伝統工芸という分野なのに、他の業界の商品になれるところに可能性を感じたんです」。伝統工芸というと型にハマったイメージがある中で、モダンで多様な形の商品を作れることや、得意な手仕事ができること、自分が現役のプレーヤーとして長く働き続けられること、などを魅力に感じ、その商品を手がけた三代秀石・堀口徹氏の存在を知り、堀口切子、江戸切子について調べるようになった。堀口氏が当時のインタビューで話していた、時代に合わせたデザインや考え方とともに伝統工芸を受け継ぐ、という考え方に深く共感した。大学在学中に弟子入りを志願するもタイミングが合わず、2014年に堀口切子へ入社が叶う。以降、職人として10年間活躍している。
個人ラインナップ「N」で新しい色を表現
入社から5年経った2019(令和元)年、三澤さんは堀口切子内の新ブランドとして「N(旧SENNA MISAWA)」を立ち上げる。三澤さんがデザインや製作のプロデュースを全て手がけるこのラインナップの一番の特徴はその色だ。従来の江戸切子には、青や赤などの透明色が用いられる一方、「N」の商品では、ペールトーンと言われる淡くて不透明な色のガラスが使われる。
「N」の作品(画像提供:三澤さん)
新しい色味を試すきっかけは、吹きガラスを習い始めたことだという。「江戸切子というと透明色で鮮やかな色合いの印象が強かったので、吹きガラスを始めてから、こんなに淡いトーンの色ガラスもあるんだと気づいて、作品に取り入れてみようと思ったんです」そもそもガラスに「装飾」を施す江戸切子では、煌びやかさや華やかさが求められることや、ガラス内側から覗き込んで切子加工を行う際に、ガラスの向こう側が見えやすいことから、透明色のガラスが好まれてきたという。その中で、試しにペールトーンのガラスを用いた江戸切子を作ってみると、堀口氏から「これを商品に落とし込んだら、新しくて面白いのではないか」と声をかけられ、「N(旧SENNA MISAWA)」の立ち上げに至ったという。
「自分の中では、やれる最高のミニマル、みたいな切子を作りたい。切子らしいものも好きだけれど、中にはこういう(シンプルな)デザインがあってもいいんじゃないかと思うんです」と三澤さんは語った。従来の形式を踏襲しながらも新しい形に挑戦する姿が印象的だった。
ゴールは「使い手に喜んでもらうこと」
「使い手の手に取ってもらうことを一番に考えています」。作品作りで意識することについて、三澤さんはこのように語った。江戸切子はその見た目の美しさからしばしば展示会が開かれるなど、「アート」として扱われることも多い。「自分が一番の使い手として心地良いと思えるかどうかを大切にしています。それが飾るものなのか、日々使うものなのかよく考えて、使い手に喜んでもらえるものを作ることが、作り手としての喜びにもなると思っています」。日常に溶け込みやすい色合いのものや、飲み口のデザインが工夫されたものなど、三澤さんの商品から、使い手への思いやりが伝わってくる。
先陣を切って育児休暇や時短勤務を実施
三澤さんは現在、2歳になる娘さんの子育て中。2022(令和4)年の9月から2023(令和5)年の5月にかけて産休・育休を取得したのち職場に復帰し、現在は通常9時から18時の勤務を、時短勤務に変更して働いている。在庫商品の補充製作など、比較的納期に余裕がある仕事を担当するほか、「N」のプロデュースや取材対応など、日々の仕事内容は柔軟で多岐にわたる。「私たちの仕事は、その場(工房)で作らないといけないから、場所や時間の制約が結構ある仕事なんです。時短勤務になると、いかにその時間で仕上げるかということを考えなければいけない」と三澤さんは語る。お客さんからの特注商品など、納期の厳しい商品の製作は他の職人に担当してもらうなど、工房内で協力しあいながらスケジュールを工夫することで、子育てと職人仕事の両立ができているようだ。
三澤さんの仕事への向き合い方から、プライベートにも合わせながら、職人それぞれがやりたいことを追求できる環境が整っていると感じた。
第3章 「一人一人のライフコースに配慮」 工房・清水硝子の清水裕一郎さん
青山さん、三澤さんのお話から、職人の方が江戸切子に向き合う姿勢を伺えた。では、江戸切子の工房は、今の業界をどう捉えているのだろうか。青山さんが所属する工房・清水硝子の経営、そして江戸切子協同組合の広報を担う、清水祐一郎さん(45)に、職人ではなく、工房の経営を担う視点から、江戸切子業界の今について伺った。
清水硝子は、1923(大正12)年創業の老舗工房[iv]。現在は、社長の清水三千代さんとその息子の祐一郎さんが経営を担い、計7名の職人を抱える。
「職人にはならずに」工房を支える決断
清水祐一郎さん 清水硝子の工房前にて 2024(令和6)年11月29日(撮影:根元)
「会社としてできること、メッセージを考えたいんです」。祐一郎さんは、工房の経営という立場について、こう語った。江戸切子の業界では、親方となる職人が、その圧倒的な技量で工房全体を引っ張る、といういわば体育会系な構図が一般的だが、清水硝子では外部から全ての職人を雇っている。「職人をせずに経営をしていると、『お前らはなってない』と言われることもある」と、祐一郎さんは少し寂しそうに教えてくれた。
元々、祐一郎さんの父は職人をしていたが、祐一郎さんが小学校6年生の時に病気で他界。その後、母の三千代さんが1人で苦労しながら会社を育ててきた。とはいえ1人で工房を経営するのには限界があり、三千代さんの手伝いをしているうちに、祐一郎さんも自然と経営側に回るようになったという。今では、グラスの手磨きや検品などの手伝いと経営を両立しながら、工房全体を支えている。計9名という大所帯だからこそできることや、次世代の育成、会社としての業界への貢献など、長きに渡り清水硝子が生き残るよう、全体を見渡す視点で日々江戸切子と向き合っている。
増える女性職人 ライフスタイルに合わせた働き方
清水硝子で働く職人7名の年代、性別の内訳は以下の通りである。
・70代男性2名
・40代女性1名
・30代女性2名
・20代女性2名
このうち20代の女性1名は、取材時点(2024年6月12日)で、入社して1週間であった。実際に清水硝子では女性職人は若い世代が多く働いている。職人を採用する大きな流れとしては、実家が江戸切子工房で技術習得のために働きに来るケース、ネットやHPからの問い合わせがくるケース、知り合いから紹介されるケースの3種類がある。
「一人一人のライフコースに配慮しながら、(勤務)時間を変えたり、工夫するようにしている」と祐一郎さんは話す。清水硝子では、育休を十分に与えたり、子どもの保育園のお迎えに配慮をして勤務時間をずらしたりと、会社としてできるフォローをしている。「定着している女性(職人)の多い工房では、経営者が若かったり、女性であったり、世の中と合わせていこうという意識があるところが多い」江戸切子職人をやりたいという個人の熱意に応えるように、性別や年齢によるバリアを取り払おうとする姿勢が印象的だった。
女性職人が増える背景
若い世代の女性職人が増えていることについて尋ねると、祐一郎さんは江戸切子協同組合が集計した組合員調査(2023)を提供してくれた。
出典:江戸切子協同組合「組合員調査2023」(提供:清水祐一郎さん)[v]
このグラフから、10代から30代の若い世代に女性職人が多いことが読み取れる。反対に、40代より上の世代では女性はアシスタントとして従事することがほとんどのようだ。この傾向については、「江戸切子業界における需要の変化が関係する」そうだ。
高度経済成長期の江戸切子は、ホテルやレストラン向け、家庭向けのシンプルなデザインのものが中心で、たまに巨大で豪華なデザインの花瓶や皿の発注を受ける、というスタイルだった。こうした大掛かりな製品作りには体力が必要とされたため、職人は男性中心、女性は主にアシスタントを担うことが多かった。一方、バブル崩壊後は、海外産の安いグラスが台頭し、ホテルやレストラン向けの需要が減少。家庭も核家族化が進んだことでグラス自体の需要が減った。需要減少に伴い、シンプルなデザインを大量生産することで生計を立てていた職人さんが離れ、デザイン性を高めることで他と差別化をはかる職人さんが残るようになる。デザインの繊細さや緻密さを高め合うようになってからは、職人に体力が必要とされることもなくなり、男女問わず、職人が務まるようになったという。
伝統工芸士資格の認定
職人が男女を問わない職業となり、工房も職人たちの仕事とプライベートの両立をサポートする一方で、伝統工芸士資格の取得には、職人それぞれの勤務外での作品作りがどうしても必要となるようだ。
伝統工芸士とは、経済産業大臣が指定した伝統工芸品の産地における製造技術のリーダーとして活躍する職人に対し、一般財団法人・伝統工芸品産業振興協会が認定する称号である。同協会は、伝統工芸士について以下のように述べている。
一般財団法人 伝統工芸品産業振興協会[vi]より
職人自身のキャリアアップや、作品の売り上げ向上のため、伝統工芸士の認定を目指す職人も多い。その際、認定の重要な条件となるのが、毎年春に開催される江戸切子新作展での受賞経験だ。公式には12年以上の職人経験を持つ、実技・知識・面接試験を通過した者が認定を受けられるとされているが、江戸切子業界においては、新作展での受賞経験があることが伝統工芸士認定を受けるための「内規」となっている。新作展で受賞するためには、職人たちは退勤後に工房に残って、自身の作品づくりや練習に多くの時間を割く必要がある。しかし、出産や結婚、子育てを経験する女性の職人は、そうした作品づくりに取り組めない、取り組めても時間的に大きな制約が生じてしまうという。結果として、伝統工芸士の認定を受けられる江戸切子の女性職人は少なく、現在22人の江戸切子伝統工芸士がいるうち、女性は3人のみとなっている。祐一郎さんは、「新作展は若い職人さんの研鑽の機会として、男女ともなく審査される機会として機能はしている」としながらも、構造的な課題があるのではと示唆した。
このことについて、青山さんと三澤さんにもお考えを伺った。伝統工芸士資格を持つ青山さんはあくまで、「自由に制作ができれば、(伝統工芸士の)資格を持っていなくとも関係はない」と語る。伝統工芸士の資格を得てからは、より一層「後輩の面倒を見よう、作品のクオリティを高く保とう」という意識が強まったという。勤務外での作品作りが必要となる点についても、「これから伝統工芸士も増えてほしい。そのための環境も整ってほしい」と今後の若い世代の活躍に期待した。
三澤さんは「(伝統工芸士の資格を得るか否かは)あくまで職人本人次第だと思う」とのことだった。三澤さん自身、家庭を持つ前は、休みの日にも工房に訪れて、個人的に好きな作品を作る時間が多かったそうで、今はそうした時間は無くなったという。しかし、それが原因で仕事に支障が出ることなどはなかったそうだ。年に一度の新作展には毎年参加しているそうだが、技術面のコンペティションというより、職人同士の交流の場として、楽しんでいるという。女性の伝統工芸士が少ないことについても、「現在若い世代の江戸切子職人が増えている。その世代が実務経験12年の条件をクリアしていけば、女性の伝統工芸士の人数も増えるのでは」と話した。
職人のお二人のお話から、伝統工芸士資格を持たずとも、職人としての自由な活動やスキルアップが可能であることが伺えた。江戸切子業界では、資格取得以外にも、職人個人の技術や創作活動が評価される機会が多くあることがその理由であると思う。一方で、「後輩の育成」や「伝統の継承」という意識が今後もより広く保たれるためには、これからも年齢や男女を問わず江戸切子の伝統工芸士が増えることが望まれるだろう。
第4章 国内外を見据えるビジネス支援のかたち 東京都中小企業振興公社・城東支社
若い世代の職人も多く抱える一方で、江戸切子業界に対して、行政はどのような支援を行なっているのだろうか。東京都と江戸切子の連携を探るべく、東京都中小企業振興公社の城東支社に訪れ、「東京手仕事」プロジェクトにて伝統工芸産業のビジネス支援に携わる中川祐一さん(47)と田辺愛友里さん(24)にお話を伺った。
東京手仕事プロジェクト デザイナーと工房をマッチング
東京都中小振興公社は、東京都産業労働局の外核機関で、東京都内の中長期業支援を担っている。中でも、城東支社では、城東エリアに集積する伝統工芸品産業の真に力を入れており、「東京手仕事」プロジェクトをはじめとしたビジネス支援を行なっている。
東京都中小企業振興公社で行われる伝統工芸支援の全体像(画像・中川さん提供)
この東京手仕事プロジェクトとは、伝統工芸の職人と、外部のデザイナーをマッチングし、1年間かけて商品開発を行なった後、2年間で開発された商品の販路拡大や海外販路の確保など普及促進を行うプロジェクトである。販路確保はもちろん、伝統工芸品の認知向上も目的としたものだ。
このプロジェクトで開発された商品は、日本橋コレド室町内や歌舞伎座、ホテル東京ガーデンパレスに設置される常設店舗にて販売される。また、銀座三越や上野松坂屋での催事や国内外の展示会に出展される。
2025(令和7)年2月上旬、私は日本橋コレド室町内の日本百貨店にほんばし總本店に設置される常設店舗に訪れた。店内では、少し珍しいモダンな形の伝統工芸品に興味を惹かれたのか、商品の前で足を止める客が多く、中には海外からの観光客も見られた。店員の方によると、日本橋の店舗は、歌舞伎座の常設店舗などと比べて日本人のお客さんが多いとのことだった。
日本橋コレド室町内の日本百貨店にほんばし總本店にある「東京手仕事」常設コーナー 2025(令和7)年2月4日(撮影:根元)
このプロジェクトが発足してから2024(令和6)年で10年目となるそうだが、その重要性はコロナ禍を経て格段に高まったという。「コロナ禍に、従来伝統工芸品が卸されていた小売店が閉店してしまったことで、伝統工芸品を売る先がなくなってしまった」と中川さんは話す。各工房が商品を売る先を新しく確保するため、展示会への合同出展を行うほか、ECサイトの活用など販路拡大のノウハウの提供を行なっているそうだ。
SDGsを意識した江戸切子の商品も
東京手仕事プロジェクトで開発された江戸切子の商品の一つに「awako collection」がある。江戸切子のガラス素材は全て手作りで作られるため、その過程で気泡が入ってしまうものもあり、結果的に2-3割のガラス素材が廃棄されてしまうという課題があった。しかし、このawako collectionでは、その気泡を生かしたデザインを加えたり、カットを工夫して気泡を解消することで、本来ならば廃棄されてしまう素材を有効活用することに成功したそうだ。
awako collection[vii]の商品 2024(令和7)年2月4日(撮影:根元)
このプロジェクトに携わって2年目となる田辺さんは、「ゼロから商品が完成していく過程を見られるのが楽しい」と話す。認知向上、販路拡大に加えて、環境にも配慮した取り組みがされているのが印象的で、伝統工芸の新しい形がまさに実現されていると感じた。
「江戸切子は伝統工芸のモデルケース」インバウンド需要で売り上げ好調
東京都の他の伝統工芸品と比べても、「江戸切子はブランディングに成功しているモデルケース」と中川さんは語る。江戸切子は、元々の知名度の高さに加え、インバウンド需要の増加に伴い海外での人気が高まっている。伝統工芸品産業全体の売り上げは下がっている一方で、江戸切子はそうした潮流とは異なり、売り上げは右肩上がりだという。「売り上げが上がれば、お給料を払えますし、新しい従業員を雇える。江戸切子の売り上げが高く安定していることが業界の新陳代謝の良さにつながっている。」と教えてくれた。
これまでの取材で、江戸切子の職人の方はそれぞれ柔軟な働き方をしていることや、工房が若い職人を多く抱えていることが印象的だったが、その背景には業界全体の売り上げが好調であることが挙げられるとよくわかった。
拡大目指す海外販路 ヨーロッパではバカラと比較も
江戸切子は特に中国での人気が高く、「受注に対して生産が追いつかないほど」であるそうだが、今後も海外販路の拡大は目指される。東京手仕事プロジェクトで開発された商品は、年に一度パリで開催される世界最大規模の展示会「メゾン・エ・オブジェ」[viii]に出展される。出展の一番の目的はそれぞれの工房がバイヤーと契約を結ぶことだが、振興公社の職員とそれぞれの職人がともに現地に出向き出展することで、現地の消費者の声を知る良い機会となっているそうだ。
ヨーロッパのガラス市場において、繊細なカットを誇る江戸切子は、フランスの老舗ブランド「バカラ」とどうしても比較されることが多いという。価格帯はバカラと変わらない江戸切子のグラスは、そのデザインの美しさは非常に高く評価される一方、商品のサイズ感などが現地のニーズと合致しないことがあるという。「日本酒用のお猪口などは、海外の人にとっては『小さすぎる』と言われることもある。欧米の人向けに大きいサイズのグラスを作った方がいいと指摘を受けたこともあります」と中川さんは話す。現地のニーズを実際に知り、それに合わせた商品を作ることが、今後の海外販路の拡大にもつながるのだろう。
伝統工芸品の海外進出と聞くと、これまでは「日本の文化を海外に広める」という側面が強いように感じていたが、実際には海外販路の確保が伝統工芸品の売上を直接支えていて、伝統工芸の継承には欠かせないのだとよくわかった。
おわりに
職人の方、工房、東京都、それぞれへの取材を通して、江戸切子に携わる人々には共通して「変化しながら、伝統を守る」意識があると感じた。伝統工芸でありながらも、用いられる道具が進化していたり、デザインで表現されることが多様化していたり、男女を問わず若い世代の職人が増えていたり、一人ひとりに合わせた働き方が柔軟であったりと、江戸切子は絶えず新しいかたちへと変化を遂げている。今回は女性職人に着目して取材を行ったが、職人の方々は、性別や世代、資格の有無などに関わらず、制作活動に真摯に向き合う姿が印象的だった。伝統的な紋様のグラスはもちろん、新しいデザインや機能性を持った商品が生まれることで、より多くの人に江戸切子が親しまれることを期待したい。
注
[i] 江戸切子協同組合HP Q&A (https://www.edokiriko.or.jp/#qaa)
[ii] 総務省「伝統工芸の地域資源としての活用に関する実態調査 結果報告書」 (https://www.soumu.go.jp/main_content/000818483.pdf)
[iii] 堀口切子HP(https://www.kiriko.shop/shopbrand/ct97)
[iv] 清水硝子HP(https://shimizuglass.com/)
[v] 図中の「カット」とはグラスなど一般的な江戸切子を作る職人のことを指し、「平物」は江戸切子でもトロフィーやオブジェ・レンズ・ビン研磨などを担う職人を指す。「副」は、補助作業・工程管理・洗浄等を担うアシスタントを指す。
[vi] 一般財団法人・伝統工芸品産業振興協会HP(https://kyokai.kougeihin.jp/association_info/20220301_kougeishi/)
[vii] awako collection HP(https://www.designannex.co.jp/awakocollection)
[viii] メゾン・エ・オブジェHP(https://www.maison-objet.com/en/paris)
参考文献
・すみだ江戸切子館HP https://www.edokiriko.net/whatis
・江戸切子協同組合HP https://www.edokiriko.or.jp/about.html
・江戸切子協同組合「組合員調査2023」(清水祐一郎さん提供)
・読売新聞「[工芸の郷から]新風取り込み 輝くガラス 江戸切子 東京都」
2023.2.22 https://www.yomiuri.co.jp/culture/dentou/20230221-OYT8T50046/
・経済産業省説明資料 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/bunkazai/kikaku/r03/09/pdf/93743201_06.pdf
・大前慶和教授「伝統工芸品産業におけるドメスティック・フェアトレード実現に 向けた新たな研究課題1」(2022) file:///Users/ki/Downloads/AA12821280_7_p96-103%20(1).pdf
・「女職人になる」鈴木裕子 著 アスペクト(2005)
・「伝統工芸を継ぐ女たち」関根由子著 學藝書林(2013)