都会のアートと見えない守り手 ― 東京都心におけるパブリックアート維持管理の現状調査


道ばたで時おり見かける、アート作品。いったい誰が手入れをしているのだろうか。その背景を取材した。(文・写真=菊池侑大)
(トップ写真は草間彌生『われは南瓜』2013年=撮影・菊池侑大)
はじめに 汚れたアートを前に、立ち止まる

東京・渋谷のランドマーク『渋谷109』を背にした交差点には、平日とは思えないほど多くの人が立っていた。スクランブル式の交差点が青になり、人の流れが109の左側、道玄坂を登っていく。私は往来が途切れるタイミングを狙って、一枚の写真を撮った。

大木達実『時の化石』1991-1993年。
大木達実『時の化石』1991-1993年=撮影・菊池侑大

二人組の男女が、歩道に設けられた縁石に腰かけ、背後には信号待ちの車が見える。特に目新しいところのない、都会の光景に思える。
ところがよく見ると、白い上着の女性は、背後にある何かに寄りかかっている。大きくて黒い卵が、二つ重なったような物体だ。

実は、これは作家の大木達実さんによる『時の化石』という彫刻作品だ。1990年代に設置されたこの作品は、「第1回東京道玄坂野外彫刻展」の出品作であり、現在も渋谷の街角に残っている[1]。ところが、人々がこの作品を芸術として認識している様子はない。むしろ、ベンチや縁石の一つと見なされ、座るために使われているようだ。

表面に描かれたグラフィティ(落書き)を見ているうち、人びとが『時の化石』に目を止めなくなった原因の一つは、作品が落書きや排気ガス、雨風による汚れを受けたことにあるのかもしれないと感じた。「アート」としての存在感が薄れ、いわば、案内板や電柱と同じような扱いになってしまったような印象を受ける。

ところで、屋外に置かれたアート作品が汚れ、劣化していくのは、いたって自然なことなのだろうか? これには二方向の考え方があると思う。一つは、作品が時間とともに劣化し、朽ちていくのが自然とする見方。そしてもう一つは、なるべく人の手で維持管理を行い、作品を清潔な状態に保つべきだという見方だ。屋外や公共施設に置かれた芸術作品は、この二つの軸の間を行き来しているといえる。みなさんが自分で作ったオブジェを渋谷に置くとしたら、どちらの立場に共感するだろうか[2]

先を急ぐようだが、この調査記事では、後者の「維持管理」について書いていきたい。理由は私じしんが、屋外や公共施設に置かれたアート作品の維持管理という行為そのものに関心を持っているからだ[3]

 

執筆のきっかけとなった、ボランティア

私は2023年に、屋外の芸術作品をメンテナンスするというボランティアイベントを企画・実行した。場所は『大地の芸術祭』という芸術祭の舞台である新潟県十日町市・まつだい地区で、近隣の里山には彫刻など様々なアート作品が置かれていた。

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伊藤誠『夏の三日月』2000年=撮影・早稲田大学の職員の方

このイベントでの作業を通して、今までは「作品」としてだけ見ていたアートを取り巻く環境や、作品を「支える」視点の重要性に気づいた。アートを「支える」方法を探求したい。そんな気持ちが生まれた。

 

「屋外に置かれた芸術作品」の定義とその先行研究

本編にはいる前に、「屋外に置かれた芸術作品」の定義や先行研究に触れておきたい。屋外にある芸術作品は、えてして「パブリックアート」と呼ばれる。ところがこの言葉は、人によって含意するものが異なることで知られている[4]。今回の執筆にあたっては、最もベーシックな表現とみられる、杉村(1995)の「街角や広場などの公共空間に置かれた、芸術的な価値のある作品」という説明を念頭に置く[5]。また、田口(2024)は、維持管理という観点から、古典芸術とパブリックアートの相違点をまとめている(表1)。美術館などに存在している作品とパブリックアートの違いとしては、作品の劣化の速さや、時間の経過とともに歴史的に貴重なものになることが、あらかじめ念頭に置かれているかなどが挙げられる。

 

  古典芸術 パブリック・アート(一般) ナポリ

「美術作品としての駅」

素材 ・経年劣化の速度は遅い

・介入側の情報量も豊富

・劣化が速い

・新素材が多い

・介入側の情報量は少ない

・落書きによるヴァンダリズム被害が深刻

・「貧しい」素材であるため、一般のパブリック・アートよりも劣化しやすい

・上記理由のため各素材の劣化速度もより予測困難

コンセプト ・作品の「美的価値」「歴史的価値」はともに重要

・作品を後世に残すのは「定言命令」であり、修復士の義務である(チェーザレ・ブランディ)

・町で生活するすべての人に鑑賞と参加とを要請する強制的な美術館(アキーレ・ボニート・オリーヴァ)

・作品が「古びること(徐々に歴史的価値を有すること)」を基本的に前提としていない

・作品が「パブリック・スペース」に置かれている以上、劣化は免れえない

制作者の意図 不明である場合も多い 制作者が存命であり、修復介入方針にも希望を出すケースがある
介入の指針 近現代の修復の倫理、理論 明確に示されていない

表1 古典芸術とパブリック・アート[6]

 

学術的な先行研究としては、森山(2020)によるパブリックアートの破損調査がある。この論文では、東京に存在するパブリックアート(ファーレ立川や新宿アイランド)の破損状況が観察され、報告がされている[7]。しかし、それらがどのようなメンテナンスを受けているのかという点に関する記述はみられなかった。私の調査記事では、東京都心のパブリックアートが維持されている、その「しくみ」に着目する。

前置きが少し長くなった。以下では、『大地の芸術祭』でのボランティアイベントの際に感じた問題意識をもとに、東京都心の二つのアート・プロジェクトを取材していく。


事例1.大都会の中で 新宿アイランドの維持・管理
30年越しの『LOVE』

東京都新宿区、JR新宿駅の西側に、東京都庁がある。高層ビルが連なるその近くに、ロバート・インディアナの『LOVE』という作品が立っている。

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ロバート・インディアナ『LOVE』1995年=撮影・菊池侑大


この赤いオブジェを有するのが、1995年に建設された「新宿アイランド」という複合建設だ。完成当時の雑誌で、新宿アイランドは次のように紹介されている。

「新宿アイランドはいわゆる西新宿の超高層街の北端に位置し、44階建ての新宿アイランドタワーという超高層オフィス棟を中心に、16階建てのオフィス棟、集合住宅棟、専門学校棟、地域冷暖房施設、店舗群、多目的ホール、展示室、広場などからなる一大複合建設群である。」[8]

都会の大規模な開発プロジェクトという顔を持つ新宿アイランドだが、実は日本のパブリックアートをめぐる歴史の中では、頻繁に言及される存在でもある。というのも、東京都立川市にある「ファーレ立川」とならんで、1990年代にパブリックアートを都市計画の一環として活用し始めた、先進的なプロジェクトだったからだ。この両者は、その後の日本のパブリックアートのあり方に影響を与えたとされている[9]

新宿アイランドの敷地内には、当時の名残を感じさせる複数のパブリックアートが存在している。今回は、設置から30年近くが経過した新宿アイランドのパブリックアートの維持管理体制について、業務課の佐々木さんに話を伺った。

 

あくまで管理者として関わる

佐々木さんは最初に、新宿アイランドの位置付けを説明してくださった。

「私たちの仕事は、新宿アイランド全体の施設を管理することです。この施設には、区分所有者という形で、複数のオーナーがいます。そこから私たち新宿アイランドが管理費を徴収し、施設の運営を行っています。『LOVE』などパブリックアートの維持費・修繕費に関しても、この管理費から拠出しています」。

すなわち、新宿アイランドのパブリックアートは、オフィスや商業フロアを含む施設のひとつとして管理されているということになる。このことは、パブリックアートの日常的な清掃の方法にも反映されている。

「作品の日常的な清掃に関しては、オフィスを担当しているのと同じ、一般の清掃業者に委託しています。何か落書きや大きな傷があった場合に、アートコンサルタントに報告をして、補修に当たるという決まりになっています。ですが、特別な注意を払う必要があるような大きなアクシデントは、これまでありませんでした」。

ここで興味深いのは、作品に関する補修の判断をする権利を持っているのが、新宿アイランドではないという点だ。

「アーティストやそのエージェンシーとの間に、ナンジョウさん(上記のアートコンサルタントのことで、N&A株式会社。新宿アイランドのプランナーを務めた、南條史生氏の会社)が入っているんです。そのため、私たちが勝手に判断を下して行うということはありません」

佐々木さんが説明してくださったことは、後述するメンテナンスマニュアルにもまとめられていた(図2)。

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図2 新宿アイランドのパブリックアートを巡る関係図

すなわち、アーティストと新宿アイランドの間にコンサルタント業務を担う企業があり、運営の方針を決めているのだ。したがって、新宿アイランドがアーティストと直接やり取りを交わすことはない。

 

ずっと変わらないマニュアル

 実際の清掃作業は、当初から引き継がれているメンテナンスマニュアルを参照する方針であるようだ。マニュアルは完成当時に作られたということで、かなり年季が入っていた。中を見せていただくと、作品に関する詳細な説明や、図2に示した関連団体の関係性などが書かれていた。

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メンテナンスマニュアルの中身=撮影・菊池侑大

「たとえばこれは『LOVE』に関する項目です。どうしても経年劣化で表面の赤いペンキが剥がれてしまうことがあるので、塗り直しを行います。そうした時に、このマニュアルが参照されます」

なお、マニュアルは、あくまで必要なときに参考にする程度で、普段はそこまで使われていないようだ。例えば、作品の素材に関係する業者の連絡先が記載されていたが、それらは設置当時の情報であり、現在も連絡が取れるかは不明だった。

 

管理者の負担感を減らす工夫

それでもマニュアルが役立ち、維持が続けられているのは、作品の維持管理が明確に位置付けられている点にあるようだ。

マニュアルを読み進めると、「日常の清掃」というページがあった。そこには、「作業は特殊なものではなく、ビル全体の内装や外装の仕上げ部分の清掃と同様に考えてください」と書かれている。ここに設置者の意図がみられる。つまり、作品の維持管理をあえて特別なものにしすぎないことで、長期的な維持にかかる手間や負担感を減らそうという工夫である。実際、佐々木さんから見ても、作品のメンテナンスは施設管理の負担にはなっていない様子だった。

「作品の維持に関しては、そこまで労力はかかっていないという感じです。お伝えした通り、そろそろこの施設も建設から30年が経過します。そのため、現在はオフィスを中心に改装などの準備をしています。なので、あえて体感を言うなら、パブリックアートはオフィスの『おまけ』のような印象です」

 


事例2:摩天楼の間で 丸の内ストリートギャラリーの維持・管理
ショーウインドーの前、昼下がりの作品
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草間彌生『われは南瓜』2013年=撮影・菊池侑大

 東京駅と皇居の間、はるかに背の高いビルが並ぶ丸の内を、南北に貫く一本の道路がある。東京メトロ大手町駅から有楽町駅にかけて続くその道は、「丸の内仲通り」と呼ばれている。

平日の昼、色づく並木の下を、多くのビジネスマンが通り過ぎる。軒を連ねるハイブランドの旗艦店やレストランには、東京駅で電車を降りたのだろうか、大きな買い物袋を持った観光客が並んでいた。

通りを進むと、歩道に彫刻作品が展示されていることに気づく。その作品は一つや二つではなく、数えると5点、10点と増えていく。ある作品はカフェの前に置かれ、別の作品は、歩行者が利用できる車道に置かれた黄色いベンチの向こうに佇んでいた。そのひとつひとつが、ごく最近に設置されたかのような雰囲気を放っている。往来の中には、立ち止まって写真を撮影する人もいた。

種明かしをするようだが、この作品たちは、「丸の内ストリートギャラリー」という展覧会によって設置されたものだ。私が歩いていた仲通りを中心として、現在、19点のアート作品が展示されている。ここでは、作品の維持管理を担当されている、公益財団法人彫刻の森芸術文化財団の坂本さんと関さんに話を伺った。

 

50年を超える歴史を持つ、丸の内仲通りでの展示

「彫刻の森」という名前を聞いたとき、まず、箱根を思い浮かべる人も多いと思う。じじつその通りで、彫刻の森芸術文化財団は、箱根に本部を置いている財団法人だ。

「ここ、東京事業部では、6人が働いています」

そう紹介してくれたのは、坂本さんと関さんだ。

「私たち(彫刻の森芸術文化財団)は、彫刻の森美術館の運営のほかに、収蔵作品の貸し出しや、アートコンサルを行っています。ここ『丸の内ストリートギャラリー』もその一つですね。三菱地所株式会社さんが主催で、我々は監修として実施しています」

この展覧会は1972年に始まって以来、15点ほどの作品を、丸の内仲通りに展示し続けている。作品は数年単位で入れ替えられており、たとえば私が仲通りで目にした作品たちは、第43回の展示だった。全部で19点の作品が置かれ、一部は彫刻の森美術館の収蔵作品であるほか、新たに作家へ制作を依頼したものもある。

「景観や雰囲気に合う作品を選び、作品を設置しています。丸の内のスペースをひとつの空間として捉えると、いろいろな『高さ』があることに気付きます。人・車・木・ビルの高さ、それが組み合わさっている点が特徴なので、様々な『高さ』との調和を図っています。もちろん、東京駅の近くということで、シンボリックな場所にしたいという意図もあり、作品を選ぶ際に考慮しています」

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丸の内仲通りの様子=撮影・菊池侑大

たとえば、名和晃平『Trans-Double Yana(Mirror)』2012年という作品は、本体の高さが170センチほどの像であるが、特注の台座の存在により、歩行者を見下ろす高さに配置されている。「名和さんは、人と車の二つの目線の高さが交わるこの場所での展示ということで、この台座を追加で作ることにしたんです」
それぞれの作品は、仲通りでの展示に合わせて、新たに台座をオーダーメイドするという。そのため、作品ごとに全く形が異なっている。

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名和晃平『Trans-Double Yana(Mirror)』2012年と、その台座=撮影・菊池侑大
専門知識に基づく、安定した管理体制

 具体的な維持管理の仕組みについては、関さんに説明いただいた。

「丸の内という環境はやはり都会なので、作品は主に排気ガス、ホコリによって汚れていきます。あとは雨だれの跡や、木の枝葉などもありますね」。

たとえば以下の作品(キム・ハムスキー『ルネッサンス』1985年)は、撮影の二週間前にワックスを塗られたという。

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キム・ハムスキー『ルネッサンス』=撮影・菊池侑大

非常に清潔に見えるが、近づくと、落ち葉が作った跡や水あか、排気ガスが溜まった汚れがあることに気づく。

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キム・ハムスキー『ルネッサンス』のクローズアップ=撮影・菊池侑大

それぞれの作品は月に一度、定期点検ならびに高圧の水による簡易的な洗浄を受けている。さらに半期に一度、洗浄とワックス等による大がかりなメンテナンスを実施しているという。作品の素材ごとにメンテナンスの方法が変わるため、特殊な素材を扱う業者は、美術館で研修を受けることになっている。

「作品の状態に応じて、その都度、対応を考えていくという形をとっています。たとえば今年(2024年)の夏は酷暑でしたので、半期にワックスを塗っても、ワックスが消失した作品がありました。そのため、美術館の学芸員と相談して、対応策を調査しているところです。他にも、木が生長してきて、木のヤニなどによって従来とは違う汚れ方をするようにもなってきました」

作品の状態に合わせて学芸員と意見を交わすことができるため、臨機応変に対応ができるようになっている。

また、維持管理の費用は、財団が作品の貸出先に確保をお願いしているという。ここ「丸の内ストリートギャラリー」では、三菱地所が「保守管理業務」として、予算を拠出している。

「それが、プロジェクトでアートを展示する側の責任ですね」

関さんは何気なく言っていたが、これは次の問題意識と繋がっている。

 

ランニングコストの勘案と、維持管理の効果

 坂本さんによれば、パブリックアートなど、作品を用いたプロジェクトを続けて行く難しさは、やはり継続性にあるという。

作品を設置する時にだけ予算がついて、その後の管理に予算がつかないことが多いのが問題です。たとえば社用車を買うとき、それを維持する費用、つまりランニングコストを考えるのは当然ですよね。ところがそれがアートになると、当たり前ではなくなってしまう。その結果、十分な維持管理が受けられない作品が出てくることになります」

関さんも同様の問題意識を持っていた。

「なんでアートなら平気だと思うんだろう?という感じです」

また、維持管理を行うこと意義については、作品がもとから持っている価値を最大限に引き出したいという点にある。坂本さんは次のように語る。

「私たちが維持管理に力を入れているのは、美術館のノウハウを用いて、作品の価値を維持していくためです。どんな作品であっても管理が疎かになると、やはり本来の魅力が減ってしまうからです。そもそも人は『いつでも同じ印象』を受けるから、ものに愛着を持つのだと思います。たとえばディズニーランド。子どもの時に行っても成長してから行っても変わらない印象を受けるのは、徹底したメンテナンスを行っているからです。人はその点に愛着を感じると考えています。私たちの彫刻の森美術館も、その点を重視しているんです」

 


クマの水浴び ―実際の清掃を見学―
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三沢厚彦『Animal 2017-01-B2』2017-19年=撮影・菊池侑大

ここでは、12月に行われた高圧洗浄の様子を紹介する。

JR東京駅の丸の内北口からほど近く、丸の内オアゾの前に建っているのが、三沢厚彦『Animal 2017-01-B2』という作品だ。大きな熊の姿をしていて、3メートルほどの身体は、ブロンズでできている。

この日に清掃を担当していたのは、寺社の清掃なども手掛ける専門の清掃業者の方々だった。彼女たちは朝早くから作業をしており、当日中に全ての作品の清掃を終わらせる予定だった。

13:30になると、さっそく清掃が始まった。清掃は主に3つのステップで行われる。順に、洗剤石鹼での汚れ落とし、高圧の水洗浄、乾燥だ。まずは石鹸をつけたブラシで、全体の汚れを落としていく。作品によって凹凸に差があるため、当然、汚れが溜まりやすい場所も変わってくる。この作品では例えば、前脚の指の間や腹部が汚れやすいという。高いところは脚立を使い、全体をくまなく磨いていた。

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三沢厚彦『Animal 2017-01-B2』清掃の様子=撮影・菊池侑大

10分ほどが経過し、作品の全体が石鹸で包まれると、次は高圧洗浄機の出番だ。頭部から順に、水を使って泡を丹念に落としていく。ブロンズにウレタン塗装ということもあり、水を強く当てすぎないように配慮していた。

ふと、傍らで作品を見守っていた関さんが「こうやって洗われているところを見ると、作品も気持ちよさそうだなって思いますよね」と言った。クマはむっつりとかなたを見つめて黙っているが、たしかにどこか、リラックスしているような感じがする。

高圧洗浄機で表面の泡と汚れを落とした後は、空気を吐き出すブロワーを使い、台座に残った水を丹念に乾かした。水があらかた掃けると、『Animal 2017-01-B2』の12月の高圧洗浄は正式に完了した。ここまでかかった時間は、おおよそ25分ほど。改めて作品を正面から眺めると、太陽の光を受けた表面が、より鮮やかな色合いで輝いていた。

ひとつ興味深いのは、通行人は、この清掃の様子も見ることができる点だ。たとえば清掃の途中、子ども連れの家族がやってきた。子供が「写真を撮ろう」と言って泡が残る銅像の正面に立つと、母親が笑いながら「今はクマさん、お風呂に入ってるから、あとでにしようよ」という旨の発言をした。この一連のやり取りは、維持管理のための清掃が公の場で行われているからこそ生まれているといえる。

 


まとめ 二つの「パブリックアート観」と維持管理の方針を比較

ここで、以上の二つの事例を、下の図にまとめた(図2)。

着目するポイント 事例1(新宿アイランド) 事例2(丸の内ストリートギャラリー)
パブリックアート ・10点

・作品はこれまで30年近く維持されている。

・19点(第43回)

・作品は2~3年ごとに入れ替わる。

維持管理の主体 新宿アイランド・アートコンサルタント(N&A株式会社) 公益財団法人彫刻の森芸術文化財団(監修)・三菱地所株式会社(主催)
予算の拠出 施設の区分所有者 三菱地所株式会社
維持管理の方法 ・日常的な清掃は一般の清掃業者が担当。メンテナンスはマニュアルに従う。

・特別な注意が必要な場合のみアートコンサルタントに報告。頻度は低い。

・月に一度の定期点検と高圧洗浄、半期に一度のメンテナンスを実施。専門の業者が担当。

・彫刻の森美術館の学芸員と連携し、素材や状況に応じた対応をその都度判断。

継続性 ・作品をオフィス設備と同等に扱うことで、作業負担を減らしている。 ・専門的な管理により、作品の価値を維持。鑑賞者が「いつでも同じ印象を受ける」ことを重視。
維持管理の方針

(パブリックアート観)

・文化的な側面よりも、都市計画の一部として運営されている印象が強い(『オフィスのおまけ』のような存在)。 ・作品の美的価値を崩さずに守ることが第一に重要視されている。

・文化的な側面を強調している。

図2.事例1と事例2の比較

興味深い点は、維持管理の方針における相違点と、そこから見える「パブリックアート観」の違いだ[10]

 

事例1のパブリックアート観:事務的側面を優先

 事例1のパブリックアート観は、事務的側面を優先する点に特徴があった。確認したように新宿アイランドでは、あえてパブリックアートを特別扱いしないことで、維持管理の負担を減らしている。この方針は、作品を長期的に維持していく上で機能していた。

この方針の最大の利点は、学芸員など専門的な知識を持つ人員がいなくても、維持管理ができる点にあると思われる。ただしその分、作品が持つ美的価値を守ろうとする動きや、文化的な側面を強調する動きは弱くなる。このパブリックアート観のもとでは、作品は「アート」として特別な処置を受けるというよりも、どちらかというと公共物の一部として扱われる。

なお、田口(2024)は美術評論家チェーザレ・ブランディの「予防的修復」を援用してパブリックアートにおける日常的なメンテナンスの重要性を論じている[11]が、この議論の前提には「専門的な修復士の存在」が含まれているようにみえる。しかし、事例1のような形でマニュアルを残しておけば、専門知識を持つ人物が介入する頻度が少なくても、作品を維持できるのは興味深い[12]

 

事例2のパブリックアート観:文化的側面を優先

 いっぽう事例2のパブリックアート観は、文化的側面を優先している点に特徴がある。丸の内ストリートギャラリーでは専門的な知識と予算に基づいて、美的価値を守る目的で維持管理が行われていた。このように、維持管理という事務的なプロセスも、もとを辿れば「美的価値を守る」という文化的側面のために行われている。

こちらのメリットは何と言っても、作品の美的価値ができる限り活用されるという点にある。この態度は、丸の内ストリートギャラリーがアーティストの信頼を得ていることにも繋がっていると思われる(たとえば草間彌生は『われは南瓜』の設置にあたり、Youtubeに動画でメッセージを投稿している[13])。

ただし、この維持管理の仕組みは、丸の内ストリートギャラリーだからこそ成り立っているともいえる。つまり、丸の内という地理的条件、彫刻の森芸術文化財団と三菱地所株式会社という団体、そして、作品が2~3年ごとに入れ替わるという会期の存在によって、文化的側面を重視した維持管理ができているのかもしれない[14]。そう考えると、事例1のようなマニュアルによる管理に比べ、再現性が低いという特徴があると思われる。

 

おわりに

現在設置されている彫刻やパブリックアートの中には、長い年月を経て、作家がすでに存命でない場合もある。そのような状況下では、作品を取り巻く人々は冒頭の問い、すなわち「作品の維持管理を続けるべきか」という難しい判断を迫られるかもしれない。
そうした中で撤去や廃棄といった手段を避け、作品を維持管理し続けたいという声があった時、今回の事例を通じて得られた維持管理の手法や、それぞれの特徴が参考になれば嬉しい。

 


[1] @ART (2016年)『大木達実 / 時の化石 “Fossil of the Time”』 https://at-art.jp/japan/tokyo/shibuya-tokyo/shibuya/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E9%81%94%E5%AE%9F-%E6%99%82%E3%81%AE%E5%8C%96%E7%9F%B3/(2024年12月30日閲覧)

[2] なおこの話題は、作家の意向などよって、非常に曖昧で複雑な議論になるようだ。たとえば田口(2024)は、美術評論家であるアロイス・リーグルの遺物論を援用すると、公共施設に設置されたアートは「経年価値を尊重しながら、作品の使用価値や新しい価値の保存を行わなくてはならない」ということになるだろうと述べている。田口かおり. (2024年). 保存修復の技法と思想 : 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで / 田口かおり著 (改訂). 平凡社. p.217.

[3] このため、本稿では「時間とともに環境の影響を受けて劣化していくのが自然とする見方」についての追究はできていない。

[4]たとえばJ・ワインズは、建築物こそが唯一のパブリックアートだとしている。(Wines, J., & 大島哲蔵. (1992年). デ・アーキテクチュア : 脱建築としての建築 / J.ワインズ著 ; 大島哲蔵, 三好庸隆共訳. 鹿島出版会.p.189.

[5] 杉村荘吉. (1995年). パブリックアートが街を語る / 杉村荘吉著. 東洋経済新報社. P.13.

[6] 田口かおり(2024年) 前掲書. p.201. なお、図を正確に引用する都合で、本文とは関連のない『ナポリ「美術作品としての駅」』が含まれている。

[7]森山 貴之. (2020年). パブリックアートの経年劣化についての現状調査. デザイン学研究特集号, 28(2), 22–25.

[8] 「SD」編集部, & 長谷川 愛子. (1995年). パブリック・アートの現在形 : 新宿アイランド・アート計画 / SD編集部 [編]. 鹿島出版会. p.4

[9] 浦島茂世. (2023年). パブリックアート入門 : タダで観られるけど、タダならぬアートの世界 : カラー版 / 浦島茂世 [著]. イースト・プレス. pp.57-59.

[10] ここでは各団体のパブリックアートに対する見方を「パブリックアート観」と名付け、論じやすくしている。

[11] 田口(2024年). 前掲書. p.214.

[12] ただし事例2と比較すれば分かる通り、この場合、作品の美的価値についての配慮が欠ける場合がある。

[13]Dynamic Harmony -Tokyo Marunouchi-〈丸の内公式チャンネル〉,(2014年).『草間彌生が語る、初の石彫作品「われは南瓜」』. https://www.youtube.com/watch?v=PA709Ca2oSU(2025年1月20日閲覧)

[14] 一部の作品は、会期を跨いで展示され続けることもあるという。

 

参考文献

・@ART (2016年)『大木達実 / 時の化石 “Fossil of the Time”』 https://at-art.jp/japan/tokyo/shibuya-tokyo/shibuya/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E9%81%94%E5%AE%9F-%E6%99%82%E3%81%AE%E5%8C%96%E7%9F%B3/(2024年12月30日閲覧)

・Dynamic Harmony -Tokyo Marunouchi-〈丸の内公式チャンネル〉,(2014年).『草間彌生が語る、初の石彫作品「われは南瓜」』. https://www.youtube.com/watch?v=PA709Ca2oSU(2025年1月20日閲覧)

・Wines, J., & 大島哲蔵. (1992年). デ・アーキテクチュア : 脱建築としての建築 / J.ワインズ著 ; 大島哲蔵, 三好庸隆共訳. 鹿島出版会. p.189

・浦島茂世. (2023年). パブリックアート入門 : タダで観られるけど、タダならぬアートの世界 : カラー版 / 浦島茂世 [著]. イースト・プレス. pp.57-59.

・新宿区, (2023年). 新宿区景観ガイドライン, p.230.

・杉村荘吉. (1995年). パブリックアートが街を語る / 杉村荘吉著. 東洋経済新報社. P.13.

・田口かおり. (2024年). 保存修復の技法と思想 : 古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで / 田口かおり著 (改訂). 平凡社. p.201, 214, 217.

・森山 貴之. (2020年). パブリックアートの経年劣化についての現状調査. デザイン学研究特集号, 28(2), 22–25.

・「SD」編集部, & 長谷川 愛子. (1995). パブリック・アートの現在形 : 新宿アイランド・アート計画 / SD編集部 [編]. 鹿島出版会. p.4

このルポルタージュは瀬川至朗ゼミの2024年度卒業作品として制作されました。