祖国を想い続けて30年 ミャンマー料理店 Swe Myanmer — 早稲田とコロナ


 

高田馬場駅で下車し、早稲田口から人混みを抜け、さかえ通りに入る。軒並み連ねる飲食店には、周辺の学生やサラリーマンが多く出入りする。タピオカ屋やオムライス専門店など、新しい店が増えつつある中、8年前から変わらず異国の味を提供し続ける店がある。ミャンマー人家族が切り盛りする料理店、『Swe Myanmar(スィウ・ミャンマー)』だ。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、学生やサラリーマンに加え、外国人観光客や留学生が街から消えた中、店はどのように看板を守ってきたのか。店長のThan Swe(タンスィウ)さんへのインタビュー取材を報告する。(取材・文・写真=楢崎美紅

トップの写真は2020年7月7日、リモートのインタビュー取材を受けるタンスィウさん。

 

来日の経緯  ミャンマーでの過去
— いつ、どんな経緯で来日したのですか。

タンスィウさん 198912月、祖国ミーから亡命するために来日しました。当時軍事政権下にあった(注1)ため、民主化運動のデモに参加ていた。しかし政権から目をつけられ、逃げるめには亡命の道しかなかった。当時はパソコン会社でプログラミングの仕事をていました。その会社と日本のつながりがあり、また友人が日本大使館で働てビザを特別に発行てもらえたため、日本を選びました。当時は、とにかく早く祖国を出たかった。

ヤンゴンは、ミャンマー最大都市だ。駅周辺のミャンマー関連の店は、20店舗以上にもなるという(注2。なぜタンスィウさんは店を開く場所としてこの街を選んだのか。なぜミャンマー人が集まるのか。詳しく聞いた。

高田馬場や早稲田周辺には、ミャンマーの方々が特に多く住んでいると思います。特別なコミュニティのようなものがあるのですか。

タンスィウさん 来日当時、ミー人の部屋探しなどを手伝う日本人の大家さんが東京都練馬区の中井に住でいました。彼の父がミで戦時下を過ごていたこともあり、ミー人に非常に親切だった。保証人の有無や言語の壁があり、部屋を自力で探すのはとても困難。その大家さんを頼て多のミー人が集まったの、元々は中井にコミニティがありました。その後コミィが発展し、人通りの多い高田馬場へと徐々に移動てきました。

ミャンマー人コミュニティの発展に寄与した、大家さんの存在が大きかったのですね。現在はどのような形でコミュニティが続いているのですか。

タンスィウさん 今はFacebookで皆つないて、仏教のベントなどによく参加しま。また、2015年の政権交代までは日本国内におても、民主化活動デモやミーに残る家族の経済的サートのための募金活動などを続けていました。日常生活の面でも、通訳や葬式のサートなど、お互い助け合ていま

軍事政権下において、民主化運動への参加によって逮捕される人々は多かった。残された彼らの家族への経済的支援活動なども、遠く離れた日本から積極的に行っていたという。毎年4月に新宿区・戸山公園にて、在日ミャンマー協会により開催される「水かけ祭り」に参加し、その売り上げも祖国の団体に寄付している。また、イベントを通して伝統的な踊りの披露やミャンマー料理の提供をするなど、祖国の普及活動も頻繁に行っているという。

新型コロナウイルスの影響
そのような歴史を経て築かれてきたコミュニティやタンさんの店に対し、新型コロナウイルスの感染拡大はどのような影響を与えたのか。
自粛要請が出て、お店の客足などはどのように変化しましたか。

タンスィウさん 普段は日本人客が、お客の大半を占めます。感染拡大に伴い店周辺の大学や会社が休みになり、客足はめっきり減りました。お客が一人も入らない日もあった。テイクアウトなども始めたが、売り上げは普段の2割も満たしません。

影響は甚大ですね。毎年開催しているイベントなども中止ですよね。

タンスィウさん はい。毎年4月に開催されている水かけ祭り中止になりました。他のミャンマー人とは、今は主にFacebookを通じてたまに近況を報告し合っています。

お店のために学生にできることはありますか。

タンスィウさん お店の近くに来て、お腹が空いたらぜひうちの店に来てください。ダンバウ、お茶の葉サラダはミャンマー国内でも人気な料理です。

 

タンバウ。味わい深いピラフの上にホロホロ肉が載る。
ダンバウ。味わい深いピラフの上にホロホロ肉が載る=2020年7月4日、楢崎美紅撮影

 

お茶の葉サラダ。お茶の葉と豆類の食感が独特。
お茶の葉サラダ。お茶の葉と豆類の食感が独特=2020年7月4日、楢崎美紅撮影
sweの意味は「家族」や「仲間」

ダンバウは、ミャンマーでも専門店があるほど特別で人気な料理だという。お茶の葉サラダ は、日本料理にはない食感と味が独特な料理だ。それらを含めたミャンマー料理をもっと気軽に楽しめるよう、近々自分の手でデリバリーをすることも考えているという。

遠く離れた異国の地で、祖国を想いながらミャンマー料理を提供し続ける。ご自身の名前や店名の一部であるsweは、ミャンマー語で「家族」や「仲間」を意味するという。様々な困難を乗り越えてきたその強さが刻まれた目尻の皺をキュッとしぼませ、タンスィウさんは最後に笑って言った。

「お腹が空いたり、ミャンマー料理を食べたくなった時は連絡ください、早稲田大学までお届けしますよ!」

2020年7月7日、Zoomによるリモート取材を行った

参照】

1:「外省HPhttps://www.mofa.go.jp/mofaj/area/myanmar/data.html      

2:「NPO法人日本ミャンマーカルチャーセンター」https://jmcc.jp/littleyangon/ 

2020年度春学期の瀬川ゼミ演習Ⅰ(3年生のゼミ)では、新型コロナウイルスの問題を取材実習のテーマとし、それぞれリモート取材に取り組みました。「海外コロナ事情」と「早稲田とコロナ」という2つの特集企画で記事をお届けします。