つながる ひめゆりの意思 ― 体験者世代から非体験者世代へ


2020年7月に展示のリニューアルを控えた「ひめゆり平和祈念資料館」(注1)。その体験者から非体験世代への引き継ぎが進む中でどのように変わっていくのか、ひめゆり平和祈念資料館学芸課長である古賀徳子さんにお話を聞かせていただいた。(取材・文=市川尚德・三宅響・吉田日菜子、写真=清水未来・河合遼)

 

ひめゆりを支える非体験世代

古賀徳子さんは福岡県の出身だ。初めて資料館を訪れたのは大学一年生の時。来館者に自身の体験を伝える元ひめゆり学徒隊生存者の涙を目にして、何故そんなに辛い思いをしてまで人々に話をしているのか、そしてそこまでさせる沖縄戦とはどういうものなのか知りたいと思うようになり、大学卒業後に沖縄へと渡った。沖縄に渡ってからは南風原町史編集室で嘱託職員として、沖縄県民を巻き込む地上戦となった沖縄戦(1945年)についての聞き取りを行った。そして2009年1月、ひめゆり平和祈念資料館の正規職員となり、元ひめゆり学徒が戦後長い間、戦争体験を語れなかったことを知った。

「映画や小説ではひめゆり学徒隊の話が沖縄戦の悲劇の象徴として全国的に知られるようになり、元学徒の思いとはかけ離れた物語がひとり歩きしていった。」その後、元学徒がひめゆり平和祈念資料館で語り始めた一人ひとりの体験を伝えていくことが私たちの務めであると古賀さんは語る。

 

現実とイメージのギャップ

「私もそれまで、沖縄戦の状況がわかっていなかったなと思った」。2013年にイラストレーターと協力し、ひめゆり学徒一人ひとりの体験を絵にするという取り組みが始まるが、絵を制作するうちに浮かび上がってきたのが話で聞いて漠然と描いていたイメージと実際の状況のギャップだった。

一番のギャップは目で見たものだけが記憶に残っているわけではないということだ。当時はライトもなく壕の中は真っ暗で、周りの状況は音、匂い、触覚で理解するしかない。さらに壕の外では体を伏せて隠れながら行動しなければ攻撃されてしまう上に、爆弾の煙が蔓延していたため何も見えない。絵を見てもらっては証言員の実際の記憶とのギャップを埋める作業を繰り返し、体験者たちの記憶を伝えることのできる貴重な作品が完成した。

 

追体験させる「一度目」のリニューアル

古賀徳子さん

ひめゆり平和祈念資料館の次世代継承について語る古賀徳子さん(写真=河合遼)

1989年に開館した資料館。1度目のリニューアルは2004年に実施された。元ひめゆり学徒から来館者に直接説明を行うことでリアルな戦争体験を伝えてきたが、それは近い将来にできなくなってしまうことが確実であったからだ。そこで目指したのが、元ひめゆり学徒が中心となり、「体験者がいなくなっても戦争体験を伝えることができる展示」だ。

では実際に、それは一体どのような展示なのだろうか。古賀さんは、「等身大の女学生の姿を通して、その後、彼女たちがいかに戦争に巻きこまれていったかを追体験できるような展示」だと語る。

具体的には、資料の選定や全てのテキスト(説明文や実物のキャプション)に対して、元ひめゆり学徒が執筆を分担して行った。例えば、弾の飛んでこない赤十字の旗がたてられた病棟で看護活動をすると思っていたのに、昼夜を問わず砲弾が飛び交う戦場だったという体験者の視点が追加された。戦争から74年の年月が経ち、社会のあり方や価値観は大きく変わり、当時の「当たり前」は非戦争体験者にとって理解が難しいものになったからこそ、資料館は工夫を重ねなければならない。

 

生き残る苦しみを伝える「二度目」のリニューアル

2020年には、開館30周年を記念して二度目のリニューアルオープンが予定されている。一度目のリニューアルから15年が経過し、展示パネルに剥がれが生じるなど、物理的に作り直す必要が出てきたのがこの決断に至った経緯の一つであると古賀さんは言う。しかし、次回のリニューアルは物理的なものだけに留まらない。

「戦後についての常設展示を行う」と古賀さんは教えてくれた。今までひめゆり学徒の生存者は、沖縄戦の体験を中心に語ってきたが、一方で自分たちが戦後に辛い気持ちを抱えてきたことは語ってこなかった。

戦争は一人一人の大切な命を奪う。訪れた人にそれが伝わるように、沖縄戦で命を落とした学友や教師の存在を知って欲しい。その思いから、生存者は沖縄戦の出来事を語ってきた。しかし、元ひめゆり学徒の生存者にとって沖縄戦での苦しみは今もなお続く。負傷した学友を連れて行くことができず、戦場に残したことは重い体験となった。

「戦争が終わっても、戦争は生き残った人たちを長期にわたって苦しめるということ、生存者がそういう思いを抱えながら資料館を建設し、戦争体験を伝えてきたことの意義を伝えたい」。次回のリニューアルには資料館職員のそんな思いが込められている。

 

非体験世代からさらに若い世代へ

戦後から74年経った現在、人口に占める戦争体験者の割合は少なくなってきた。若い世代が、自ら疑問を持って能動的に学ぶことが戦争の記憶を受け継ぐことに繋がる。実際にひめゆり平和祈念資料館では、若い世代に向けたワークショップを積極的に行っている。去年のワークショップでは映像制作取り入れた「メモリーウォーク」を行い、参加者はインタビューをする中で歴史を学ぶに留まらず、映像を通して伝える側となった。

ひめゆり平和記念館に訪れた若い世代が考えや情報を発信することが戦争の記憶を受け継ぐことに繋がる。簡単に世の中に情報を発信することができる今の時代、「受け取る側のアプローチ」が重要であると感じた。

 

(注1)ひめゆり平和祈念資料館 HP  http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html

第2次世界大戦末期の沖縄戦では、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒・教師240名が沖縄陸軍病院に動員され、うち136名が戦場で亡くなった。戦後、動員された生徒・教師は「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになった。ひめゆり学徒隊に関する資料を展示し、戦争の悲惨さを伝えようと、1989年、ひめゆり平和祈念資料館が「ひめゆりの塔」の近くに開館した(参考:同資料館HP)。

この記事は2019年9月のゼミ沖縄研修旅行の取材をもとに作成されました。