死角に光を
沖縄でドキュメンタリーを制作する 島袋夏子さん


  取材・執筆=溪美智

  撮影=松本雛

島袋夏子さん(43)は、幼い頃からドキュメンタリーやニュースが好きだった。

新聞記者になりたかったのに、戦争と肺結核に阻まれて叶わなかった…そんな父の話を聞いて育った影響もあるかもしれない。10代前半から自然と記者を志した。

「学生のころは朝日新聞社でアルバイトをしたのですが、すごく居心地がよかったんですよね。自分にはやっぱりメディアが向いているのかなと思った」。

話し方に、少しだけ沖縄の言葉遣いが感じられる。アメリカ空軍基地を抱える、沖縄県嘉手納町の出身だ。現在では、20年近くの記者キャリアを持ち、基地問題を扱ったドキュメンタリー番組を制作して、いくつもの賞を受賞している。 そんな島袋さんは、ジャーナリストとして、誰に向けて、何を伝えたいのか。質問すると、話は彼女が新人記者だった1999年に遡った。

山口県にある山口朝日放送に入社して1年目の年だ。警察担当の記者となり、「記者としてどう一人前になるかあがいていた」。その時に起きたのが、光母子殺害事件だった。光母子殺害事件とは、山口県光市の社宅アパートで、当時23歳の主婦と生後11ヶ月の娘が殺害された事件である。犯人は当時18歳の少年だった。

この事件を取材しているとき、島袋さんは、同僚記者の姿勢に違和感を覚える。「犯人は夫なんじゃないか、などと、記者たちが好き勝手に推理するんです。被害者の立場でそんな勝手な推理をされて、潔白だった時、彼の名誉や受けた心の傷は誰が守ってあげられるんだろう、と考えた」。そこで彼女は、独自に遺族に寄り添う取材をはじめた。この取材はその後10年間続くことになる。

当時、犯罪被害者の権利は軽視されていた。裁判所には遺族席がなく、遺族は裁判に入ることができない。現在施行されている犯罪被害者保護法も、当時はまだなかった。「この問題を多くの人は知らない。でも、知ったら議論してくれるんじゃないか」。それこそが記者としてやりたいことだった。見落とされ、放置されて死角にある重要な問題に光を当てて、多くの人に提示したい。そうすることで、問題を解決するべきだという社会の議論を巻き起こしたい。

その思いは、8年後に沖縄に戻り、琉球朝日放送に入社した後も変わっていない。日本民間放送連盟賞テレビ報道部門最優秀賞を受賞したドキュメンタリー番組「枯葉剤を浴びた島2 〜ドラム缶が語る終わらない戦争〜」では、見る相手を問わず理解できるよう配慮して制作した。「番組を見たら、考えなくても分かるように作ったんです。テレビの力でそれができると思うから」。それは、子供からおじいさんまで、すべての人に問題意識を持ってもらうことがまず重要だと考えるからだ。

多くの人に問題を提示するため、まずは自身が常に新しい視点から問題を見つけようとする姿勢も持ち続ける。昨年から、早稲田大学政治学研究科ジャーナリズムコースに在学している。東京から見た沖縄や、若者の考えに触れるためだ。

彼女にとって、沖縄の基地問題は、他の様々な問題の象徴のように感じられる。「今まで見落とされていたけれど、足元に迫っていて、生活、健康、命に関わる問題がたくさんある。気がついて取り組まないと、放っておいても解決しない」。みんなにそう気づいてもらうことが、記者・島袋夏子の願いだ。(取材・執筆=溪美智)

琉球朝日放送記者の島袋夏子さんは2017年12月、ドキュメンタリー番組「枯れ葉剤を浴びた島2~ドラム缶が語る終わらない戦争~」の制作で、第17回早稲田ジャーナリズム大賞の奨励賞を受賞されました。3期生のゼミにお越しいただき、ゼミ生のグループ別インタビューに応じていただきました。ゼミ生全員が書いたインタビュー記事を読み、一人ひとりにコメントを送っていただきました。ここでは、島袋さんが「自分の気づきや発見を書いている」と評価したインタビュー記事(取材・執筆=溪美智)を掲載しました。
インタビューは2017年12月21日に実施しました。トップはインタビュー終了後の島袋夏子さん、瀬川先生、3期生の集合写真です)