世代を超えた早大生の憩いの場 「やきとり一休」
東京メトロ早稲田駅を出てすぐ、「一休」と書かれた古びた看板が目に入る。その看板の先の細い路地を進むと、「やきとり一休」がある。およそ40年前の創業当時から今に至るまで、早大生に愛され続けてきた居酒屋だ。なぜ、早大生を引き付けてやまないのか。二代目である金津 明さん(49)に取材をした。(取材・写真=榎田憲太郎)
創業以来 変わらぬ店内
四人掛けの机が四卓と六人掛けのカウンター。いずれも大分くたびれている。そして大音量のテレビが鳴り響く。今どきのチェーン店の居酒屋では決して見ることができない光景だ。お店に入ると、年期が入った内装に驚かされる。
この店内の様子は、創業当時からほとんど変わっていない。金津さんは、「大学を卒業した後にも早稲田を訪れて、変わらぬ姿を見てほしい」と話す。昔ながらの姿を保つことにこだわりを持っている。
壁には「やきとり一休」自慢のつまみの数々が貼られている。ところどころ剝がれ、文字が薄くなっている。茶色に変色した値札は創業当時のままで、なんと値段も据え置きだそうだ。店名にもある焼き鳥から名物のもつ料理まで、すべて格安だ。原材料費は当時よりかなり高騰したが、学生のためを思い値段を維持している。
居酒屋なので、お酒のメニューも多種多様にそろっているが、なかでも一番の売りは、金津さんが太鼓判を押す瓶ビールだ。誤魔化しの利かない、瓶のまま提供するビール、400円という値段設定である。取材当日も、このビールをお目当てに早大生が顔を見せていた。
創業以来、何十年もの間「やきとり一休」は貧乏な早大生の見方であり続けた。価格の安さだけではなく、味の良さも評判だ。客層は今も昔もほとんどが早大生である。
店内の壁には早稲田の卒業生らが残していった色紙や写真が所狭しと貼られている。どの色紙や写真も、お店に対する感謝の気持ちであふれていた。ただの居酒屋ではない。何十年も早大生の憩いの場としてあり続けたのが「やきとり一休」なのだ。先輩から後輩へと引き継がれ、およそ20年もの間通い続けたサークルもあったという。
名物女将だった「一休のおばちゃん」
壁に貼られた色紙や写真のメッセージを見ていると、あることに気づいた。「おばちゃんへ」という言葉が頻出するのだ。「おばちゃんありがとう」、「おばちゃん大好き」。ここまで愛される「おばちゃん」とはいったい何者なのだろうか。
このおばちゃんとは、「やきとり一休」の名物女将、明さんの母の金津 和子さんのことだ。真っ白なお化粧のインパクト、そしてそれ以上に強烈なキャラクターは一度会えば忘れることはない。お節介ながらも暖かい、和子さんを慕う早大生はとても多かった。ビール以上に和子さんに会うことをお目当てにお店を訪れる早大生も多かったという。
残念ながら、和子さんは二年前に他界してしまった。「一休のおばちゃん」を慕う早大生の悲しみは想像に難しくない。お店を訪れ、和子さんが亡くなったことを知り、気を失いそうになった人までいるということだ。それでも、ずっと変わらない「やきとり一休」の姿は「一休のおばちゃん」のことを思い出させてくれる存在でもあるはずだ。
「やきとり一休」から見る 早大生の今昔
創業以来、何十年と早大生の憩いの場であり続けている「やきとり一休」。そのため、昔と今の早大生の違いを実感することも多いという。金津さんは「最近の早大生は飲まなくなったね。お酒の注文が減ってきているよ」と語る。
二階は大人数用の宴会場になっており、昔はここでお酒を飲んで羽目を外すのが早大生の通過儀礼であったという。「時代の流れだけど、早大生らしさが無くなったようで少し悲しいね」と笑った。
繁華街の中心が早稲田から高田馬場に移り、早大生がそちらのほうに流れていくようになってしまったのも印象的だという。
「これからも後輩に引継いで、一休に来てください。早稲田を明るくしよう」。
金津さんは繰り返し、そう語った。
参考URL
Google Map やきとり一休 goo.gl/4wwCFD
Rettyグルメ 一休 https://retty.me/area/PRE13/ARE1/SUB110/100000011417/