高田馬場発!現役DJおばあちゃんの秘密

高田馬場のロータリーを新宿方面に曲がり、少し路地に入ると「餃子荘ムロ」はある。1954年の創業以来、高田馬場の人々に愛され続けてきた餃子屋だ。岩室純子さん(81歳)は19歳の時から、父の開業した餃子屋を9歳下の弟家族とともに継ぎ、61年間経営してきた名物女将だ。彼女にはもう一つの顔がある。それは新宿の繁華街の現役DJ・Sumirockである。そんな謎に包まれたおばあちゃんがDJとして活動する理由を取材した。(取材・写真=池田百花、トップのDJの写真は「はっしん」氏提供)

 

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岩室さんが履いていた靴

取材の待ち合わせ場所に着くと、ごく普通の優しそうなおばあちゃんが座っていた。しかしふと足下を見るととても若々しい靴を履いていた。「原宿で買いました」と話す岩室さんは「流行りに流されるのではなく自分の好きなものを。みんなと違うものが好き」としっかりとした様子で話し始めてくれた。

 

子どものころの夢はバレリーナとエスピオナージ

 

 岩室さんは戦前からジャズをしていた父のもとで音楽に親しんできた。戦時中の音楽を聴くことも許されなかった時代、蓄音機に座布団を被せて父と二人こっそりジャズを聴いていた。その頃の夢はバレリーナとエスピオナージ(スパイ)だった。学校に行くときも一人だけ制服を着ずにハイカラなタイトスカートを履いていった。無口で周りからは「変わった子」と言われていたが平気だった。彼女は他人と違うことを真っ先に取り入れることや新しいものに対する好奇心が人一倍旺盛だったからだ。

戦争で家が焼けてしまったことや、バレエを習えなかったこと、子供心にやりたいと思ったことができない時代だったことが、幼少期の悲しくてもどかしい思い出だった。

 

好奇心から音楽と外国語とコンピュータに挑戦

 

高校を卒業したのち、音楽プロダクションを経営し始めた父の影響で「津田英語会」(津田塾大学の前身)に通い、英語を学び始めた。当時は男性と同じように就職したり大学に進学したりする女性は珍しかった。その後フランス語も習い始め、今でも海外の音楽仲間たちとはいろんな言語で会話を楽しむ。

津田英語会ではタイピングと英語のステノグラフ(速記)を覚えた。特技はブラインドタッチだった。同じく20歳のころには当時まだ新しく生徒数も少なかったグラフィックデザインのクラスに通った。戦後、経済的にも時間的にも自由になった彼女の好奇心はすぐ行動に移され、やりたいと思ったことは何でも挑戦してきた。

 

恋愛も生き方も「ルールにこだわらない」

 

学校に通いながら夜は父の経営する餃子屋で仕込みと接客の手伝いを始めた20代前半、岩室さんには結婚願望が全く沸

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岩室純子さん

いてこなかった。23歳で出会った25歳年上の中国人のボーイフレンドとはなかなか結婚に踏み切れなかったが、27年の交際を経たのちに、岩室さん50歳の年に結婚した。それからも変わらずに餃子屋の経営をこつこつ続けてきた。「ルールにこだわらないの」と、恋愛でも自分の生き方を貫いている。

二人には子供がなく、店でアルバイトをしていた台湾人の留学生を養子にとった。その息子の友人であるフランス人が、岩室さんをDJの世界にいざなったのだった。

 

DJ活動とパーティーナイトの始まり

 

岩室さんがDJ活動と出会ったのは70歳の時だった。ある日、ワーキングホリデーで面倒を見てあげていたそのフランス人の若者の誕生日パーティーを餃子荘ムロで開いた。「人がいっぱい来て、飲み物を準備しながら音楽を流したらなんだかそれが評判で」と振り返る。「その子(フランス人)がわたしに『DJをやらないか』と言ったんです」。岩室さんの好奇心に火が点き、早速紹介されたDJスクールへの入学が決まった。

DJ活動を始めたころは機械の扱いなどの壁にぶつかることもあった。DJスクールで個人レッスンを受け、その1年後、卒業を前に同校への2年間の自主留年を決意した。技術をしっかり 極めたいという強い意志があったからだ。努力は実り、DJ・Sumirockとして「Tokyo Decadance」で10年以上、月に一度のイベントのDJを務めている。

岩室さんが必ず流すのは高田馬場にゆかりのある「鉄腕アトム」のテーマソングである。音楽はあらかじめ選ぶこともその場で選ぶこともある。テクノ、ロック、ジャズからなんとシャンソンまでジャンルを問わず自由に選ばれた音楽はスクールの先生からも「純子流」として認められている。45分間、音楽を止めることなく、前後のDJとも上手くつなげることがコツだという。

メディアからも出演依頼が増え始めた。「ファンだという人が急に餃子屋に来てくれることもあり、びっくり、うれしい」。ご本人もここまで注目されるとは思っていなかったようだ。世界中にたくさんいるDJたちは話題づくりを工夫して有名にならなければならない。一方で「自分の年齢だけで話題になるようなのは嫌。実力で有名になりたいと頭の奥の方でいつも思っています」と自身の活動に強く誇りを持っている。

 

「我慢しないことが一番の元気の秘訣」

 

しかし気になるのはその御年と健康についてである。岩室さんはこの年まで大きな病気も怪我もしたことがない。その秘訣を尋ねると「やりたいことをきちんとすることです。我慢しないことが一番の元気の秘訣になるのかな」と意外な答えをくれた。経済的、時間的に不自由だった幼少期のもどかしさと溢れる好奇心を源に、一度決めたらこつこつ努力し続ける。それが岩室さんの生き方だ。お年寄りの活躍できる社会の場面がこれからも増えていくかもしれない。最後に「身体と頭が許すまではDJも餃子屋も続ける」と約束してくれた。