何が子どもの進学を阻むのか ― 格差社会を変える行政と「私」の役割
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はじめに
「中卒なんだよね」。初めてのアルバイトを始めたばかりのころ、元アルバイト先の同期はあっけらかんと話した。このとき私は初めて「中卒」の人に出会った。思い返してみると、中学卒業後、同級生はみな進学しており、中卒で働くことを身近に感じることはなかった。また、高校卒業後に進学せず働く同級生も10人に満たなかった。これまでずっと当たり前のように感じていた進学の選択肢は、決して当たり前ではないと実感する瞬間だった。 彼女と出会い、私はこれまで相手が自分とは全く異なる環境で成長した可能性について考えてこなかったのだと気づいた。児童相談所に行くまで彼女には他に相談できる場所がなかった。私のような人の存在が声を上げることができなかった要因の一つだったのではないかと深く後悔した。無知による配慮の無さが声を上げる場を奪う可能性を知り、希望の進路を選択できない子どもやその家庭の背景を取材したいと考えた。ここでは、ケアリーバー(社会的養護経験者)である風花さん、4人の子どもを育てるシングルマザーの田中香奈さん(仮名)、元ヤングケアラーの細野かよこさんという3名の方にお話を聞いた。自身や子どもの進学にハードルを感じる経験と、それぞれが抱える異なる困り感や進学の壁が将来本人や社会に与える影響を紹介し、行政や私たち一人一人がいまできることを考える。 (取材・文=住友千花、写真=上高田みんなの食堂提供、住友千花) トップの写真は、ヤングケアラーの経験を話してくださった中野区議会議員の細野かよこさん。中野区のカフェでお話を聞いた。
第1章 ケアリーバーに立ちはだかる進学の壁−風花さんの場合
私が教育格差について取材したいと考えるきっかけとなった元アルバイト先の同期(以下、風花さん)に詳しい生い立ちを聞かせてほしいと頼むと、快諾してくれた。2年半ほど前、無印良品でアルバイトをしていたときに出会った彼女は、アルバイトを辞めた今も定期的に会う友人である。
両親の離婚と母親
風花さんは2001年に滋賀県大津市で生まれた。両親と妹と家族4人で暮らしていたが、小学校1年生のときに両親が離婚し、親権は母親が持った。ところが、しばらくすると母親はネグレクト(育児放棄)になり、家にもあまり帰ってこなくなった。風花さんは母親について、「一人が苦手なタイプ。周囲の助けが得られない状況で、一人で子どもを育てなければならない環境に耐えられなかったのではないか」と推察する。「母」ではなく「女性」として見られたがっていたといい、家に男性を連れてくることもあった。母の交際男性が子どもたちの状況を見かねて父親に連絡し、小4から祖母の家(父親の実家)で暮らし始めた。
祖母の家での暮らし
祖母の家には当時、祖母と父親、父親の姉とその娘と犬1匹が住んでおり、そこに風花さんと妹が移り住んだ。家族が多く、冬場は風呂に入るのも2日に1回ほどだった。新しい暮らしが始まると、育児放棄されていた状態から一転し、祖母に厳しくしつけられた。夏でも門限は5時に設定され、友達と遊びにいくこともできなくなったことで、小学5年の頃には祖母との仲は険悪になった。
許されなかった高校進学
中学3年になり風花さんは高校進学を考え始めた。しかし、祖母は「高校に行かず働きなさい。働くなら18歳まで家においてあげる」と言ったという。「親も学歴はなくて、高校進学にお金をかける価値があると思っていない」。
「それまで『普通』だと思っていた進学が自分にはできないと知ったとき、本当に絶望した」と風花さんは振り返る。話を聞きながら、自分の中学時代に彼女の境遇を重ね、もし親の方針を理由に進学を否定されたら、1人で家族を説得できただろうかと考えた。「自分の意思があればなんでもできるはずだ」という自己責任論から、「本当に進学したかったのか」と思う人もいるかもしれない。しかし、親の所得で暮らす子どもにとって、親の決定はそう簡単に覆せるものではない。
結局、昼間に働きながら通える通信制高校に入学するが、入学式のみ出席し実際に通うことはなかった。その後は毎日アルバイトをして過ごし、月に十数万円ほどの収入を得ていたが、この頃家出を繰り返すようになった。家出といっても、特に行く先はなく夜に家の周りを散歩していただけだったが、何度か補導され、2018年10月に一時保護所[i]に入ることになった。厳しい寮のようだったが、風花さんにとっては居心地が良かったという。
一時保護とケアリーバーの今
一時保護とは、以下のような場合に行う必要があるとされている。
(1) 緊急保護 ア 棄児、迷子、家出した子ども等現に適当な保護者又は宿所がないために緊急にその子どもを保護する必要がある場合 イ 虐待、放任等の理由によりその子どもを家庭から一時引き離す必要がある場合(虐待を受けた子どもについて法第27条第1項第3号の措置(法第28条の規定によるものを除く)が採られた場合において、当該虐待を行った保護者が子どもの引渡し又は子どもとの面会若しくは通信を求め、かつこれを認めた場合には再び虐待が行われ、又は虐待を受けた子どもの保護に支障をきたすと認める場合を含む。) ウ 子どもの行動が自己又は他人の生命、身体、財産に危害を及ぼし若しくはそのおそれがある場合 (2) 行動観察 適切かつ具体的な援助指針を定めるために、一時保護による十分な行動観察、生活指導等を行う必要がある場合 (3) 短期入所指導 短期間の心理療法、カウンセリング、生活指導等が有効であると判断される場合であって、地理的に遠隔又は子どもの性格、環境等の条件により、他の方法による援助が困難又は不適当であると判断される場合 (引用:厚生労働省「児童相談所運営指針の改正について:第5章 一時保護」)
厚生労働省は児童相談所運営指針[ii]に「一時保護の期間は2ヶ月を超えてはならない。ただし、児童相談所長又は都道府県知事等は、必要があると認めるときは、引き続き一時保護を行うことができる」と定めている。
保護された当初は1か月ほどで一時保護所を出て、実家には戻らずに一人暮らしを始めようと考えていた。これまでのアルバイトの収入はほとんど使わずに貯金していた。そのお金で引っ越す、と口座を管理していた父親に伝えると「お金はない」と告げられた。当時は理由を明かさなかったが、父親がギャンブルで使い果たしたとのちに判明する。
結局、入れる人数の関係もあり児童養護施設に入ることもできず、風花さんは8か月の間一時保護所で生活した。そして、京都にある自立を支援するためのグループホームに入ることとなったが、運営する夫妻と合わなかったこともあり、数か月後には友達の家に居候する、とグループホームを出た。
居候の後、京都での一人暮らしを経て「いつか住みたい」と思っていた東京に引っ越し、今に至る。彼女の夢はメイクアップアーティストになること。昨年秋に専門学校の入学試験に合格し、本当なら2023年4月から美容を専門的に学ぶはずだった。しかし、「学費は自分で払う」と言っても父親は進学に後ろ向きで、教育ローンの審査も通らなかったため、一度入学を諦めた。現在は派遣社員の仕事と居酒屋のアルバイトを掛け持ち、美容専門学校への入学を目指して貯金を続けている。
児童養護施設などの社会的養護(ケア)のもとで育った経験のある子ども・若者は「ケアリーバー」と呼ばれる。一時保護を受けたのち、実家に戻らず一人暮らしを始めた風花さんもその1人だ。施設を離れた若者は親から支援を受けることが難しい場合が多い。その結果、経済的・精神的に頼れる場所がなく、心身ともに追い詰められ困窮するケースが近年問題となっている[iii]。三菱UFJリサーチ&コンサルティングの調査では、ケアリーバーのうち22.9%が「収支バランスが赤字」という結果だった。また、約20%が過去1年間に病院や歯科等を受診できなかった経験があり、その理由として「お金がないから」が66.7%を占め、11.2%が「保険証がないから」と回答している(複数回答可)。
取材が終わり、別れ際に風花さんは「自分の生い立ちに興味を持ってもらえるのは嬉しい」としつつ、「他人の経験に本当の意味で共感することはできない」とも話した。ゆっくりと言葉を選びながら話す彼女に、非当事者である私が彼女の経験を第三者に伝える難しさを突きつけられた気がした。
第2章 シングルマザーと4人の子ども−田中香奈さん(仮名)の場合
上高田みんなの食堂
風花さんの生い立ちを聞き、あたたかい食事とともに困りごとを抱える親や子どもの居場所を提供する子ども食堂に関心を持ち、「上高田みんなの食堂[iv](以下、みんなの食堂)」でボランティアを始めた。みんなの食堂は、中野区で毎月フードパントリー(食料配布)と子ども食堂(現在はお弁当配布)の運営を行っている。中学生向けの無料塾「中野よもぎ塾[v]」と連携し、塾に通う生徒への支援も行う。
上高田みんなの食堂は、一般の学生や社会人のボランティアスタッフに加え、中野よもぎ塾の卒業生もスタッフとして参加し運営している。お弁当を作るための食材やパントリーで配布する食料品は、企業や農家などから提供してもらったり、Amazonの「ほしい物リスト」を通して寄付されたりしたものである。
2023年10月、みんなの食堂代表・大橋美紀さんにご協力いただき、みんなの食堂で毎月食料とお弁当を受け取る田中香奈さん(仮名)にお話を聞いた。田中さんは看護師で、豊島区で4人の子どもを育てるシングルマザー。子どもは現在高校3年生の長男(18歳)、高校2年生の長女(17歳)、中学1年生の次男(13歳)、保育園に通う次女(4歳)だ。
離婚前、田中さんと元夫は共働きだった。しかし、コロナ禍で製造業に勤めていた元夫の仕事が減り、子どもが生まれたばかりだったこともあり田中さんも外で働くことができず、家計が厳しくなった。田中さんは離婚後に子ども食堂やフードパントリーに通い始め、別の子ども食堂の紹介でみんなの食堂を知った。現在、板橋区で3つ、中野区で2つ、豊島区で5つの子ども食堂を利用している。「食費から削る。買うのはお肉などの生ものだけ」。
田中さんの毎日と子どもと過ごす時間の変化
女手一つで4人の子どもを育てる田中さんの1日は以下のようなスケジュールだ。
【仕事のある日】
5:30 起床 (朝食、お弁当作り、身支度) 6:45 家を出る 7:30 職場に到着 8:00 出勤 17:00 退勤 (保育園迎え) 17:50 帰宅 (4歳寝かしつけ、翌日の朝食・お弁当の下準備) 〜24:00 就寝
【仕事のない日】
6:30 起床 (朝食・お弁当作り、子どもたちを送り出す) 〜12:00 炊事洗濯、夕飯の買い物、夕飯の下ごしらえ 〜17:00 自分の時間 17:00 保育園迎え 18:00 夕飯 20:00 4歳寝かしつけ 就寝
多忙な日々で、仕事のある日は「家に帰ったあとはご飯食べて寝るだけ」と話す。朝早い時間に家を出るため、長男もしくは長女が登校前に4歳の子を保育園まで送っている。次女はまだ小さく、クリニックに勤務しているため夜勤はない。現在は常勤で週5日働いているが、夜勤の有無で月に6〜8万円ほど給与に差が出るという。また、2023年7月に今の職場で働き始めた田中さんは、出勤時刻の8時よりも早く職場に着くようにしている。「私は新人だから」と話す表情から、強い責任感と真面目な性格を感じ取った。
忙しい毎日を送る田中さんが子どもたちと顔を合わせられる時間は帰宅後から就寝までの時間に限られ、末っ子と遊べる時間は無くなってしまったという。反抗期に入ったことで中学生の子どもとは会話が減り、学校を無断欠席していたこともあった。「いってらっしゃいと子どもを送り出してから出勤できる時間の職場にしておけばよかった」と後悔の言葉を繰り返した。
「支援のメインは小さな子ども」
児童手当や18歳以下の医療費の免除は家計の負担軽減に役立っており、保育園の延長保育にかかる費用も出してもらえる。豊島区の多子世帯に向けた負担軽減策により第4子については保育園に預けるのにもお金はかからず、中学1年の次男も区の就学援助制度を申請し、補助教材費・移動教室費等が免除されている。
一方で、最も教育費がかかる高校生など年齢の上がった子どもに対する手当は薄いと感じている。長男と長女が現在都内の私立高校に通っているが、長男は野球の特待生であり、長女も長男が同じ高校に通っている関係で特待生制度を利用しているため、授業料は免除されている。しかし、それ以外の施設使用料・課外学習料などは全額負担しており、2人合わせて年間で40万円ほどの支出が今最も苦しい。
また、長女は看護師を目指しており、大学への進学を希望している。しかし、進学させたい気持ちはあるが、現実的には国公立でないと行かせてあげられないという。東京都には学習塾等の受講料や、高校や大学等の受験料の捻出が困難な一定所得以下の世帯に必要な資金を無利子で貸付ける「受験生チャレンジ支援貸付事業[vi]」があり、高校・大学等に進学した場合には返済が免除される。申請が可能なのは中学3年生と高校3年生(またはこれらに準じる人)で、塾などの受講料については上限が20万円だ。しかし、裏を返せば、どの受験校からも合格が出なければ全額自己負担となる。
「20万円返して欲しいって言われても、うちでは今手持ちがないから返せないので、使えないのが心苦しい。塾に行かせてあげたいけど行かせてあげられない。(進学できなかった場合も)半額でも免除があれば制度が使えたかな」。
田中さんも自身の経験から、「看護師になるなら大学は出たほうがいい」と感じている。「私は専門卒の看護師だけど、看護師の中でも大卒と専門卒ではやっぱりまだまだ給料の差がある。四大卒、短大卒、専門卒では月2〜3万ずつ違うし、専門卒では主任クラスにまでは登れない」。
賃金格差と環境別進学率・中退率
厚生労働省の賃金構造基本統計調査(2019年)[vii]によると、学歴別の平均賃金(1か月)は中学卒が24.91万円、高校卒が26.76万円、高専・短大卒が28.32万円、大学・大学院卒が37.26万円だ。中学卒と大学・大学院卒では月12万円以上の差が生まれる。
しかし、子どもの貧困対策に関する大綱(2019年)[viii]によると、ひとり親家庭の子どもの大学等進学率は全世帯の合計を10ポイント以上下回っている。全世帯と生活保護世帯・児童養護施設・ひとり親家庭では大学進学率が大きく異なることがわかる。
高等学校等進学率 | 高等学校等中退率 | 大学等進学率
(専修学校・短大含む) |
|
全世帯 | 98.8% | 1.4% | 71.0% |
生活保護世帯 | 93.7% | 4.1% | 36.0% |
児童養護施設 | 95.8% | − | 30.8% |
ひとり親家庭 | 95.9% | − | 58.5% |
※高等学校等進学率はその年度末に中学校を卒業した者の数のうち、その年度の翌年度(5月時点)に高等学校等に進学している者の数の占める割合、大学等進学率は高等学校等を修了した者の数のうち、大学等に進学している者の数の占める割合 ※全世帯の大学等進学率(専修学校・短大含む)は「大学等進学率」と「専修学校(専門課程)進学率」を合わせた割合 (出典:子どもの貧困対策に関する大綱(2019年)、学校基本調査(2019年)
また、全世帯では1.4%の高校中退率が生活保護世帯では4.1%にのぼる。なお、高等学校等中退率は年度初めに高等学校に在籍していた者のうち、その年度中に高等学校を中退した者の割合であるため、生活保護世帯では3年間で12%以上が中退していることになる。日本財団子どもの貧困対策チームは、高校中退がもたらす社会的損失を推計し、中退率を下げることの重要性を説明xiiiしている。子どもの貧困がもたらす社会的損失については、第5章で詳述する。
第3章 大人になって気づく「私、ヤングケアラーだった」−細野かよこさんの場合
2023年11月、みんなの食堂のスタッフであり、中野区議会議員の細野かよこ[x]さん(61)にお話を伺った。
細野さんは1962年三重県員弁郡(現いなべ市)に生まれた。大学卒業後、障がい児入所施設や中高年のケア付き住宅の企画・運営会社、出版会社、図書館などでの勤務を経て、現在は中野区議会議員を務めている。
大人になって気づく「私、ヤングケアラーだった」
「子どもの貧困は私の問題」と、取材の冒頭で細野さんは話した。小学校低学年くらいのころ、父親が蒸発。15歳離れた姉は家を出ていたため、母との2人暮らしが始まった。母は高齢出産で病気がちで、細野さんが家事をすることも多かった。当時はそれが当たり前だと感じていたが、後(最近)にヤングケアラーだったと気づいた。そして近所の人が見るにみかねて生活保護の手続きをしてくれたこともあった、と少し声をひそめて話した。当時クラスメートはピアノを習っている子もいたが、自分にはそのような経験は何一つなく、「『自分は劣っている人間なんだ』というコンプレックスがすごく強かった」と当時を振り返る。
さらに「成人してから、自分の経験の違いとか、自分の生い立ちに対していろんな場面でさらにコンプレックスを感じることになる」と続けた。例えば、自分は美術館に行ったことがなく、友達とウィンドウショッピングをしているとき「これいいよね」と言われてもその良さが分からない。細野さんは、30代くらいまでは何かにつけてコンプレックスを感じていたという。
「大人になってからさらにコンプレックスを感じた」という細野さんのお話に、私は意表を突かれた。友達がしている経験が自分はできないことを目の当たりにしたときに最も強いコンプレックスを抱き、時間と共に薄れていくものだと思っていたからだ。
自身で学費を稼ぎ、大学へ進学
その後、高校生になり、福祉を学びたいと思った細野さんは大学進学を考えた。しかし、家にはお金がなかったため、とにかく学費が安い大学を探した。そこで三重県の実家から通える愛知県の福祉大学を知り、昼間働きながら大学に通える夜間課程に進学する。当時、学費が年間13万円だったことから、1か月に約1万円貯金すれば自分で学費を払える、と考えていたという。蒸発した数年後に戻ってきた父には「女は大学行くもんじゃない」と反対されたが、入学金のみ親に払ってもらい、昼間に働きながら大学に通い、卒業した。
細野さんの現在
大学卒業後は障がい児入所施設や中高年のケアつき住宅の企画・運営会社、出版会社、図書館などで勤務していた細野さんは、その後2015年に中野区議会議員に初当選し、子育て支援や介護を中心に現在も政策提言を行っている。議会の場で必要性を訴えることで、少しずつ支援が進んでいると実感することがあるという。
細野さんは、以前DV被害者から「とりあえず家を出て友達の家にお世話になっているが、いつまでもお世話になることは難しい」と相談を受けた。「離婚成立後はひとり親家庭として手当を受けられるが、『離婚はしていないが家を出ている』という一番困っている人への行政の支援はほとんどない。せめて住宅支援を、と離婚成立前のDV被害者支援を提案した」。他にも支援の必要性を訴える声があり、令和6年度の予算で離婚成立前に転居にかかる初期費用の助成を検討[xi]している。自身が受けた相談が公的な支援制度の発足につながったのだ。
第4章 子どもの貧困と将来の社会的損失
日本の貧困は「相対的貧困」
「子どもの貧困」と聞くとその日食べるものや着るものが満足に得られない「絶対的貧困」を想像するかもしれないが、日本における貧困は「相対的貧困」であるため周囲の目に留まりづらく、見過ごされがちな側面がある。しかし、子どもの貧困率は2021年時点で11.5%と2018年よりも2.5ポイント減少したものの(厚生労働省「2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況」[xii])、依然として10人に1人以上の子どもが相対的貧困状態にある。
また、生まれ育った環境によって受けられる教育や体験に生まれる格差が、次の世代、さらにその次の世代へと連鎖してしまう「負のループ」が存在する。この連鎖のメカニズムは、成長環境の違いが子ども時代の体験や学習の機会の差に反映され、子どもが大人になったとき、その教育格差が所得格差に直結するというものだ。
子どもの貧困がもたらす社会的損失
子どもの貧困問題はすぐに改善が見込めるものではなく、効果が出るまでにはある程度長い時間が必要となるほか、「当事者以外には関係がない」と思われがちである。では、子どもの貧困問題を放置すると、社会全体にどのような影響があるのだろうか。
2016年に日本財団子どもの貧困対策チームが子どもの貧困を放置した場合に生じる社会的損失額を以下の方法で推計[xiii]している(日本財団子どもの貧困対策チーム「徹底調査子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃」)。
貧困世帯の子どもの進学率・中退率が現状のままのケースを「現状放置シナリオ」、進学率・中退率が改善するケースを「改善シナリオ」とする。改善シナリオでは、貧困世帯の子どもたちについて、①高校等の進学率が非貧困世帯並みに上昇する、②高校中退率が非貧困世帯並みに低下する、③大学進学率が22%上昇すると仮定する。なお、大学進学率は1972年にアメリカ・ノースカロライナ大学で実施された研究に基づいている。
改善シナリオと現状放置シナリオのそれぞれについて、貧困状態にある子どもが一生涯(19歳から64歳まで)に得る所得額、負担する所得税額および社会保障額、受給する社会保障給付額を計算し、その差分を社会的損失と定義して推計を行った。
その結果、現状放置シナリオは、改善シナリオと比較して貧困状態にある約18万人の生涯所得合計が42兆9000億円少なくなり、それに伴い財政収入が15兆9000億円減少する。この金額はそれぞれ日本の国家予算の約半分、GDP(国内総生産)の約1割に匹敵する。
上のグラフは、改善シナリオにおける3つの想定がもたらす社会的損失推計を分解したものだ。所得損失・財政収入損失の双方とも、およそ半分が大学等進学率の低さに起因している。
また、進学率に着目しがちであるが、高校中退率の高さは10兆7000億円の所得損失を生むと推計されている。日本財団子どもの貧困対策チーム(2016)はこの結果が「高校へ『進学すること』のみを支援するのではなく、高校を『卒業するまで』を支援することの重要性を示している」と、高校進学に重きを置く生活者困窮者自立支援法に基づく施策の盲点を指摘している。
第5章 行政はどのような支援をすべきか 細野さんはこう考える
ヤングケアラーとしての自身の経験をお話しいただいた中野区議会議員の細野かよこさんに、子どもの教育・体験の機会を奪わないために、行政はどのような支援をする必要があるかについて伺った。
子どもの貧困は親の貧困
先述のように、子どもの成長環境は親の経済状況を反映する。そのため、子どもの体験機会を奪わないためには、まず親の貧困を改善することが不可欠である。
細野さんは、親の貧困の改善には「子どもの貧困家庭で多いのはひとり親家庭、特に母子家庭。まずは男女の賃金格差を無くさないといけない。同じ正規雇用で同じように入社しても男女で差がついたりする」とし、同時に「非正規であっても生活できるように、最低賃金のアップが必要」と続けた。
「男女の賃金格差の要因には、同条件での男女格差だけではなく、賃金の低い仕事における女性の割合が大きいことも大きく影響しているのではないか」と私が尋ねると、「非正規雇用の7割近くが女性。賃金が安くて女性の労働が多いのは、ケア労働なんですよ。保育、介護、もしくは補助的な仕事は、女性が就いているケースが非常に多い」という。
「保育にしても介護にしても、全産業の賃金に比べて低い。まさに女性が無償で担ってきた部分が軽んじられてきたと思う。ケア労働が正当に評価される報酬にしないと人が大切にされる社会にはならない」。
どんな環境でも、子どもの経験の機会を奪わないために
さらに、親が貧困に陥らないための対策に加えて、貧困に陥っても子どもの経験の機会を奪わないための施策も必要だ。
「どんな経済状況であっても子どもの経験の機会を確保するには何が必要か」という質問に、細野さんは、教育費を無償化すれば一定の格差は縮まるのではないかと話す。「教育費の中には給食費も全て含める。給食でしっかり栄養を取れるようにしていくっていうのは大前提。その他教材費や体操着、校外での体験費用などは親の所得に応じて補助が出るようにすると良いのではないか」。さらに、支給型の奨学金についても「親の所得が一定以下といった要件が必要だとは思うが、卒業後に奨学金貧乏に陥らないように支給型の奨学金を少しでも増やしていく必要がある」と、在学中だけでなく、卒業後まで見据えた支援策の必要性を語った。
そして、体験機会については地域の役割も重要だという。「地域に外遊びができる場があれば、体験の候補になる。中野であればプレーパーク。貧困家庭に限らず、特に都市部では、今の子どもたち全体が外遊びの機会が奪われている。遊び方を知らない親も増えている」と、経済的な貧困だけではなく、子どもたち全体に体験の貧困・遊びの貧困の存在を細野さんは指摘する。
プレーパーク(冒険遊び場)とは、子ども自身が遊びをつくる遊び場を指し、「すべての子どもが自由に遊ぶことを保障する場所であり、子どもは遊ぶことで自ら育つという認識のもと、子どもと地域と共につくり続けていく、屋外の遊び場」と定義[xiv]されている。
「貧困家庭に限らず、無料でいろんな外遊びの経験ができる場が地域にあれば、体験の機会を増やすことができる。また、学習機会を奪われているのであれば、今は行政や市⺠による学習支援(無料塾など)もある。近くでいつでも体験できる、そこにいけば学べるという場所を増やすことで、いろんな子どもがそういう機会を得られるようになる」。地域資源を豊富にすることは、貧困家庭に限らず、今の子どもたち全体が必要な経験を得るためにも不可欠な要素だという見方だ。
みんなの食堂代表の大橋さんが運営する中野区のプレーパークで、子どもたちを見守る「プレーリーダー」のエストレボール・ブライアンさん(22)も、遊び場の不足を指摘する。ブライアンさん自身も子どもの頃からプレイパークに参加しており、現在は子どもたちを見守るプレイリーダーとして活動に参加する。「(自分が)子どもの頃はあった遊び場が今は減ってしまっている。自由に遊べる公園も減っているし、遊具も減っている。遊具がなかったら公園はただの広場になってしまう。それを補っているのがプレーパーク」と、プレーパークの役割に対する見解に寂しさを滲ませた。
第6章 私たちにできることは何か
では、もし自分の周囲の人が困りごとを抱えているかもしれないと気づいたら、どうすれば良いのか。ヤングケアラーだった過去と、支援を考える行政に携わる現在の双方の視点を持つ細野さんに最も聞きたかったことを尋ねた。
もしあなたが周りの人の異変に気づいたら
「可能ならば直接話をするのがいい。でも、直接話ができるほどの関係性ではなかったり、仲は良くてもなかなか踏み込めなかったりするケースもあると思う」と、周囲の人に何ができるかは当事者と気づいた人との関係性によって異なるとした。その上で、「まず、肩書きは関係なく自分が信頼している人に相談したらどうか。その人がヒントをくれるかもしれない。その後は、周囲の人専用の相談窓口や児童相談所・福祉事務所に相談したり、オンブズパーソン制度を利用したりするのも一つの手」と細野さんは提案する。
一方で、自身の経験から「自分の置かれている環境を当たり前だと思っている子にとっては、自分の経験を『美談』として語られることが嫌な子もいるかもしれない」との見方を示す。細野さんが子どものころ、お米を研いでいるところに偶然学校の先生が抜き打ちで家庭訪問に来たことがあった。すると翌日、先生がそのことを美談としてクラスで話してしまった。それが本当に嫌だったと今も強烈に記憶に残っているという。
ただ、誰が見ても課題を抱えていることが分かる状態になる前の段階で、かつ学校に通えている子については、まずは学校が子どもの異変に気づく場所だと細野さんは考える。そのためには、悩みを抱える子どもへの理解を深めなければならないと続けた。悩みの種はヤングケアラーや貧困だけでなく、性的マイノリティや不登校など一人一人異なるからこそ、子どもたちに適切な配慮がなされるために学校関係者への研修等を繰り返し実施する必要があるという。「言葉だけ知っていて分かったつもりになっているのと、本当に分かっているのとでは大きな乖離がある。まずは学校が子どもの変化に気づける場所であってほしい」。
さらに、「子どもの異変に気づく」という点でも地域資源は重要な役割を果たすという。学校が気にかけることができるのは、どうしても学校に通えている子に限られてしまうが、地域資源が豊かになることで学校苦手な子どもも見守ることができる。「地域に子どもの変化に気づける人たちが増えていけば、誰かが声をかけられるかもしれない。当事者にとっても、関わる人が多いほど抱えた問題を話せる相手が多くなる。そのためにも、日頃から関係性を築くことは本当に大事」。
「関わりを持っていれば気づけるところが必ずある」
そこで、「みんなの食堂での活動が区議としての仕事につながったことはあるか」と尋ねると、「正直もう少し繋がりを持てたらな、と思っている」とやりきれない想いを滲ませた。中野区の施設を利用して運営するみんなの食堂は、感染対策のため、現在も食堂で一緒に食事をする形式に戻せていない。「コロナ前には一緒にご飯を食べることでその子の普段の生活を知ることができ、関係性を深められる可能性があった。今はお弁当を配っているだけだから、そこまで分からない。ここの人はひとり親なのかな、とわかることもあるが、それ以上はなかなか踏み込みにくいというのがジレンマ。本当は地域の活動を通してなんらかの信号をキャッチして、少しでも関係性を作って、そこからもしも必要があるなら行政と繋ぐことができるといいなと思う。個人的な関わりとしてではないが、周囲の人との話を通じて、例えば、ヤングケアラーへの支援、学習する場の必要性などの政策提案につなげている」。
しかし、それでも「関わりを持っていれば気づけるところが必ずある」と細野さんは話す。これは細野さん自身が、ケアリーバーの支援に携わる中野区の管理職と話すなかで感じたことだ。昔に比べて安価で買える洋服が増えたことで、服装を見てその子が困窮していないかを判断することは難しくなったが、区の職員は襟元の汚れから困窮のサインに気づいていたという。
先述の通り、飢餓や着るものがないといった絶対的貧困に比べて、日本で問題となっている相対的貧困は周囲からは見えづらい。困窮していることが見た目に表れにくいことに加え、相対的貧困がどのような状態か、具体的に想像がつかない人が多いことも見えづらさの要因の一つではないか。たとえ言葉を知っていても、それがどのような環境であるかが分からなければ、声なきSOSを見過ごしてしまうだろう。見えづらさの中でもSOSに気づけるよう、社会が広く強くアンテナを張るために、まずは、相対的貧困は見えづらいながらも確かに存在し、進学を阻むハードルとなっているという現状がより広く認識される必要がある。そして、これは自己責任論で片付けられる問題ではなく、現在の社会構造が将来の社会全体にもたらす問題であると強調したい。
今回取り上げたケアリーバー、ひとり親家庭の子ども、ヤングケアラーの進学の壁のように、自身の環境に起因する困りごとは、自ら声を上げることが容易ではなく、声を上げても届きづらい現状がある。だからこそ、「気づかなかった」の一言で切り捨てようとしていないだろうか、と立ち止まって考えたい。「あのとき、誰かに伝えていれば」と、誰かのSOSを見過ごしたことを後悔しても遅いかもしれない。
参考文献
読売新聞社会部(2016)「貧困 子どものSOS−記者が聞いた、小さな叫び」、中央公論新社
NHK「児童相談所の一時保護所とは?生活の実態 期間は?元職員・入所者の証言」(https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230414b.html)、2023年4月14日、最終閲覧
読売新聞「3年目で6割、頼れる人なく…児童養護施設出身者の離職防ぐ [安心の設計]」(https://www.yomiuri.co.jp/life/20230507-OYT8T50066/)、2023年5月8日 17:30
脚注
[i] 一時保護所とは、保護を必要とする子ども(おおむね2歳以上18歳未満)を一時的に預かる、児童相談所に付属する施設。その後の養育に備え、生活状況の把握や生活指導なども行う。
[ii] 厚生労働省「児童相談所運営指針の改正について:第5章 一時保護」(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/dv-soudanjo-kai-honbun5.html)、最終閲覧2023年11月18日
[iii] 朝日新聞「大人になっても生きづらい 映画で伝えたい施設育ち、虐待経験の現実」(https://www.asahi.com/articles/ASQ527WKXQ43UTNB001.html
)、2022年5月6日10:00
[iv] 上高田みんなの食堂(https://ameblo.jp/kamitakada-shokudo/)
[v] 中野よもぎ塾(https://nakanoyomogi.amebaownd.com/)
[vi] 東京都福祉局「受験生チャレンジ支援貸付事業」(https://www.fukushi.metro.tokyo.lg.jp/seikatsu/teisyotokusyataisaku/jukenseichallenge.html)
[vii] 厚生労働省「賃金構造基本統計調査(2019年)」(https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2019/index.html)
[viii] こども家庭庁「子どもの貧困対策に関する大綱(2019年)」(https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/834d4ee3-212d-4f35-aefa-6b795ebc913a/26e5c8a9/20230522_councils_shingikai_kihon_seisaku_JapZTAT7_10.pdf)
[ix] 文部科学省「学校基本調査(2019年)」(https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&toukei=00400001&tstat=000001011528&cycle=0&year=20190&metadata=1&data=1)
[x] 細野かよこ|中野区議会議員 ホームページ(https://hosono.seikatsusha.me/)
[xi] 令和6年度予算で検討中の主な取り組み(案)について(https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/kusei/zaisei/katei-kouhyou/0237197920231115100656801.files/R6omonatorikumi.pdf)
[xii] 厚生労働省「2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況」(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa22/dl/14.pdf)
[xiii] 日本財団子どもの貧困対策チーム(2016)「徹底調査子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃」、文春新書
[xiv] 特定非営利活動法人日本冒険遊び場づくり協会「冒険遊び場とは」(https://bouken-asobiba.org/play/about.html)