結婚に名字の自由はあるか ―「事実婚」と「妻氏婚」 当事者取材から考える
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はじめに
早稲田大学の政治経済学部に進学が決まり、この学部出身の小説家を探して読んでみようと思いついた。さっそくネットで調べてみると、白石一文さんという小説家がヒットする。手始めに『私という運命について』という作品を読んでみる。単行本で500ページ近くとなかなかボリュームがあったが、一気に読了していた。この小説が、私に大きな価値観の変革をもたらした。自分が選ばなかった先に未来はないのに、それを「何かがある未来と錯覚し、選ばないことを選んで本当の未来を安易に投げ捨ててしまった。」と悔やむ主人公の言葉を今も覚えている。選ばなかった先に未来はない。運命論者で斜に構えるのが常だった私には、とても新鮮に映った。私がこの先どう歩んで行くのか、選択を積み重ねる必要があるのだ。自分事として考えてみると、「いつか子どもを授かりたい」と思う。結婚は…縁があればとは思っている。しかし結婚せずに子どもを授かることは、未だ世間の風当たりが強いように思われた。なぜだろうか?私自身が子どもを産み育てるだけの知識と財力、体力を持ちさえすれば、問題ないのではないか。今の日本の家族観はどこか歪んでいるのではという問題意識が、私の頭にぼんやり残り続けていた。
大学生の時間はせわしなく過ぎて、あっという間に大学4年生の春が来た。忘れていた自分の問題意識をテーマに据えて、卒業制作に本腰を入れる時だ。「日本の家族観の歪みを知ってもらう」と勇んで取り組み始めたが、計画書は迷走し、行き詰まっていた。国を包み込む価値観は歴史の積み重ねで作られてきたものであり、制作目的や取材対象者を明確にすることも難しかった。「ルポルタージュではなく論文形式にしたほうがよいのでは」と言われてしまう始末だった。
それでもこのテーマでルポを書くのだ!と、(半ば意地で)模索を続けた。「結婚という選択肢を取らずに誰かと共に生きる」という観点から、事実婚という選択肢に着目していたときだった。X(旧Twitter)で取材を受けてくれた事実婚当事者の方の話を聞いたところから、興味深い論点を得た。それは、「夫婦同姓」の問題だ。取材をするまで、事実婚の選択肢は結婚という決められた枠組みにとらわれずに生きる人の手段なのだと思っていた。しかし必ずしもそうではないようだ。夫婦同姓が強制されている法律婚では、夫婦どちらかが自分の名字を使うことができなくなる。だから事実婚にするしかないという人は、統計こそ取られていないものの存外に多いようだ。
ずっと使ってきた名字を、自分そのものだと大切に思う人がいる。しかし、その大切で奪われるべきではないものを、結婚するときに夫婦のどちらかが失う。それは仕方のない苦痛なのだろうか。私の卒業制作のテーマは「家族観」から「名字」に絞ることにした。名字がどれほど大きい存在で、厄介で、振り回されてきたのか、「事実婚」や「妻氏婚」を選択した当事者のインタビューから考えてみてほしい。
(取材・文=宮脇千弥、写真=青野慶久さん、山浦雅香さん、水馬泰子さん提供) トップの写真=第3章「妻氏婚」でお話をうかがった青野慶久さん(サイボウズ株式会社社長)が、夫婦別姓での婚姻届けを受理しない戸籍法は憲法違反だとして、国に対し賠償を求めた訴訟の会見写真。青野慶久さん提供。 ※山浦雅香さんと青野慶久さん、水馬泰子さん以外は調査・取材の過程で候補となりそうな方を紹介していただき、インタビューを申し出た。
第1章 事実婚という選択 不都合はあまりない?
日本では、夫婦どちらかの姓を名乗り片方はそちらに姓を変更する「夫婦同姓」の形が取られている。内閣府の調査で「結婚するときに相手の姓に変わったとした場合、どのような感じを持つと思うか」という問いに対して「新たな人生が始まるような喜びを感じると思う」と改姓を前向きにとらえる回答は一番割合が高く、54.1%だ(複数回答あり)[1]。すべての人間が自分の名字を好きなわけでもない。愛する人の名字を名乗ることで、これからはふたりで家族をつくりあげていくという思いを強くすることができる。
一方で、同じ問いに対して「名字・姓が変わったことに違和感を持つと思う」「今までの自分が失われてしまったような感じを持つと思う」と答えた人は、それぞれ25.6%、9.7%だった。数字こそ高くはないが、私は結構な割合だと思う。4人に一人くらいは、「違和感」というプラスには受け取れない感情を持つのだ。もし夫婦どちらも名字を変えることに嫌な気持ちを持つとき、今の日本ではどちらも名字を変更しないまま婚姻届を出すことはできない。
旧姓でいたいと思いながらも結婚時に夫の姓に変更し、のちに離婚届を出して旧姓に戻ったふたりの女性を紹介する。夫婦どちらも旧姓を名乗るための、「事実婚」という選択肢だ。
一度は飛び込んでみた法律婚(山浦雅香さん)
2023年の初夏、早稲田大学の学生用フリースペースであるW-spaceで山浦雅香さんと待ち合わせた。雅香さんはTwitterで発信をおこなっており、ダイレクトメッセージで連絡を取ると取材を快諾してくれた。子育てをしながらIT系のスタートアップ企業でマーケターとして記事制作やウェブサイト運営に携わっているという。早稲田大学の卒業生で、キャンパスまでわざわざ足を運んでいただいた。到着を待っていると、穏やかな雰囲気の女性が気さくに声をかけてくれる。この卒業制作のための初取材だった。悩み続けた自分の問題意識が動き出しそうな気配に、そっと胸をなでおろしていた。
雅香さんは結婚前から、自分は「山浦雅香」という人間で、名字と名前は分けることのできない一つのアイデンティティであるという考えを持っていたそうだ。生まれてから、ずっと「山浦さん」と呼ばれていたのだ。それが好きな人と結婚すると、女性である自分は、おそらくその人の名字になってしまう。少し抵抗があった。
交際していたパートナーの貴司さん(仮名)とは会社の同僚で、同棲していた。誰かと生活を共にするのは、とても素敵なことだ。しかし実のところ、結婚に伴って行われる結婚式や、婚姻届けを出して関係に法的根拠を持たせることに対しては、あまり憧れやこだわりがなかったという。
しかし貴司さんからは結婚をしたいと伝えられていたそうだ。そのことを知っていた状態でだらだらと交際を続けるのは、ずるいと思った。雅香さんの誠実な性格が垣間見える言葉だ。テーブルにゼクシィ(リクルートが発行する有名な結婚情報誌)を置いて見せ、いつまでも結婚をはぐらかす彼氏に圧をかける「ゼクハラ」なんて言葉もあるほどなのに。「やったこともないのに嫌だと言うのは良くない、やってみないと分からない」と、婚姻届を提出して結婚してみることを選んだ。前述したように「山浦雅香」を守りたい雅香さんだったが、貴司さんの家は(日本ではごく一般的な)息子には姓を継いで家を守って欲しいと考えていたため、「山浦にしてほしい」と提案することは難しかったという。雅香さんの「やってみないと分からない」精神も相まって、夫姓を選んで生活してみることにした。
しかし違和感は続いていく。子供を産んだ病院で、職場で、夫の姓で呼ばれるたびに「その名前は私のものじゃない」という気持ちがどんどん高まっていく。「私は山浦雅香なのに」。貴司さんに「やっぱり旧姓に戻したいな」と打ち明けた当時の反応は、芳しいものではなかった。旧姓に戻すとなれば、書類上は離婚届を出すしかないからだ。
婚姻の届け出をしていないが、事実上婚姻と同様の状態にあることを事実婚という。事実婚の形態を解消するときには、相手の同意が必要となる離婚の必要がない。さらに子どもは単独親権になってしまうし、配偶者に相続権や所得税の配偶者控除がない。貴司さんは簡単に縁を切ることができてしまう関係に「成り下がる」ことをとても心配していた。雅香さんは貴司さんの不安を理解し、縁を切るために離婚するのではないということ、さらに子供の親権は貴司さんに譲ると伝えた。自分が子どもを連れ去ることも簡単な状態を作ることは、ただでさえ関係継続に不安を持つ貴司さんを怯えさせてしまうだろう、という思いからだった。
婚姻届を出してから約4年後、雅香さんと貴司さんは生計を共にしたまま離婚届を出す事実婚の決断をした。住民票の続柄を「未届の妻」にして、代替的な夫婦の証明としている。事実婚の状態で子育てをする不安は大いにあるが、実際は不都合を感じる場面は少ないという。病院や学校などで、夫姓のままの息子と姓が違うことに何か説明を入れる必要があるのではと不安だった。実際は保護者であるということで滞りなく予防接種を受けられたし、PTAの活動でも姓が異なることだけを伝えれば特に詮索されることもなく、活動に参加できた。総じて、強い不自由を強いられたことはない。「不安感は全部取り越し苦労に終わることが多いです」と笑うが、ただでさえ子育ては大変なのに要らぬストレスだろうと思う。
事実婚に関するデータは少なく、その実態は見えにくい。「事実婚・内縁の配偶者がいる」と回答した人は2.3%、「あなたは現在、結婚していますか」との質問に対し、「結婚していないが、パートナーと暮らしている」と回答した人は2.5%となっている。これらを踏まえると事実婚を選択している人は成人人口の2〜3%を占めていることが推察され[2]、その理由の一つに夫婦同姓があることは確かだ。
次に紹介する水馬泰子さんも、事実婚状態での子育ては不安もあると話す。しかし、婚姻時に夫の姓でいたことは、もっと苦痛なことだった。
子どもを産むために法律婚、もう必要ない(水馬泰子さん)
卒業制作の執筆も終わりに近づいてきた12月下旬、私のXをフォローしてくれる人に気づく。雅香さんと同じく、法律婚ののちに事実婚に切り替えた方だそうだ。6月ごろのXの仕様変更で、ダイレクトメッセージの送信は相互フォロー間のみに限定された。それを受け、インターネット上で声を挙げている当事者の取材を思うように進めることができていなかった。フォローされたことによってメッセージを送ることができるようになったので、メッセージを送ってみると、時間をもらえることになった。2週間後、待ち合わせのカフェで到着を待つ。取材を受けてくれた水馬泰子さんがこちらに気づいて声をかけてくれる。4歳の娘さんが一緒と聞いていたのだが、保育園で預かってもらうことができたという。たくさんの人の協力のうえで取材をしているのだと痛感する。
泰子さんは建築士で、事務所を構え、建物の設計や改修工事に携わっている。パートナーの永谷さんとは、仕事仲間の紹介で出会い38歳の時に結婚した。子供を授かりたいと考えていたので、早く結婚しなくては、と思っていた。子供は欲しかったが、正直なところ結婚はどちらでもよかった。しかし結婚せずに子供を持つことは難しいように思えた。受けようと考えていた不妊治療には「婚姻している夫婦であること」が要件だった(現在では、「同一世帯の夫婦である証明ができる」などの要件を満たせば事実婚の夫婦も不妊治療の診療を受けることができるようになった)し、広島の田舎で育った泰子さんには、田舎独自の濃密なネットワークで話が広がり、「私生児がいる人でしょ」とひそひそ話をされるのは、耐えられないことだった。「ちゃんとしなきゃ」と思い、結婚した。
子どものころから、結婚するときにほとんどの女性が姓を変えるのはおかしいと思っていた。「私は水馬だし、水馬は自分そのもの」と、馴染んできた名字は大きい存在だ。水馬さんにとって、変えてくれと言われて簡単に変えられるようなものではなかった。永谷さんが水馬に変えることは難しかったのかと尋ねると、「『結婚して男性側が姓を変えると周りにバカにされる』らしいです」と言う。泰子さんのように名字にこだわりがあるわけではないようだが、男性側ならではのプライドがあるようだ。結局、子どものために結婚を急いでいるのは水馬さんの方で、水馬さんが改姓して結婚するしかなかった。
結婚してからというもの、戸籍の上の名前が「永谷泰子」であることが苦痛だった。郵便物の宛名には「永谷泰子」だ。はがきを受け取るたびに嫌な気持ちになって、夫に1週間に1度は文句を言っていた。なにより建築士「水馬泰子」が法的に存在しないことは、ビジネスで余計な手間を生じさせた。建築士協会では免許証に旧姓併記を認めていて、制度上、旧姓の使用が担保されている。自分のキャリアを継続させるために旧姓のまま仕事をしている女性も周囲に多いという。しかし契約書では、結局は戸籍上の名前である「永谷泰子」が必要になる。一級建築士事務所の代表として不動産会社や売り主、司法書士など様々な職業の人と仕事をするし、賃貸の契約者は月に何人もいる。「水馬の名刺」を渡してきたのに、契約書に「水馬ではない判子」を押すことを申し訳なく思った。取引相手は自分のことを水馬さんだと思っている。書類に永谷と書くたび不審がられているように思えて、逐一説明をしていた。
2020年、政府が策定する第5次男女共同参画基本計画で選択的夫婦別姓の導入に関する言及が後退する見通しが発表された。自民党の保守派からの反発が強硬で、「必要な対応を進める」という記述から「さらなる検討を進める」という表現に変更されていたのだ。「国に期待して待っていても意味がない」と思った。2年ほど不妊治療を続けて、子どもを2人授かっていた。不妊治療の要件だった「婚姻している夫婦」の必要は、もうない。
夫に「水馬に戻る」と伝えたとき、反対はされなかった。むしろ、これからは泰子さんにストレスをかけなくなることに安堵しているようだった。それくらい、泰子さんにとって「水馬以外の名字」であることは苦痛だった。いまのところ不自由はない。子供の名字も水馬に変更しているので、保育園の先生に「父親と名字が違うけど何か事情があって結婚できないのかしら」と思われているだろうな、ということくらいだ。しかしそういう様子なだけで何も言われない。本当にストレスフリーだ。
事実婚のパートナーは法律婚の枠組みが無いからこそ、お互いに思いやり、尊重しなければ継続し得ない関係だと感じる。相続権がないことも、お金ではなく、純粋に一緒に居たくてこの関係を続けているということをお互い理解できる気がする。家族のかたちがどうであろうと、共同生活を送る上で大切なのはあくまでも自分をコントロールし、家族はお互いがケアの対象であることを認識することだ。
事実婚の現状
事実婚のなかで、夫婦のどちらも名字を変えたくない、「夫婦同姓」にあぶれてしまったことで事実婚を選択する人は多い。
前述の内閣府の調査の「あなたは、仮に結婚して戸籍上の名字・姓が変わったとした場合、働くときに旧姓を通称として使用したいと思いますか。」という設問で、
「旧姓を通称として使用したいと思う」と回答した割合は39.1%であった(女性全体では34.7%、男性全体では44.2%であった)[3]。この数字に「過半数もいないではないか」と言うのは簡単だが、国民の4割が旧姓使用を望んでいるという事実と向き合ってほしい。さらに、姓が変わることに対して
「変更した側のみに名義変更の負担がある」と考える人は83.1%、
「仕事の実績が引き継がれない」と考える人は34.5%と、
不便や不利益があることを認識している人は多い[4]。
今や国民が知るところとなった夫婦同姓によって起こる不利益の解決案として、選択的夫婦別姓という制度がある。その正式名称である「選択的夫婦別氏制度(民法等の法律では「姓」を「氏」と呼ぶため、「別氏」としている)」とは、「夫婦が望む場合には、結婚後も夫婦がそれぞれ結婚前の氏を称することを認める制度」である[5]。平成3年から見直し審議が行われているにもかかわらず、いまだ「国民各層に様々な意見があること等から」国会に提出するには至っていない。
しかし結婚後も自分の名字でありたいと願う人が確かにいるのだ、なぜその要望に応える選択肢を用意することができないのだろうか。早稲田大学非常勤講師として教鞭をとるかたわら、『戸籍と国籍の近現代史 : 民族・血統・日本人』など戸籍に関連する書籍を出版している遠藤正敬先生(政治学、日本政治史)に伺ったお話をもとに、現状を整理していく。
第2章 家父長制のなごりいまだ根強く
長く日本に存在していた「家」という集団は、生活を共にし、働き次世代につなげていくためのものだった。その「家」が「家制度」というつくられた制度に組み込まれたのは明治民法までさかのぼる。明治政府は中国的考え方と西洋の考え方を組み込んだ「家父長制」のかたちをとった。それまで江戸幕府の幕藩体制に親しんできた人びとに対して天皇制を浸透させるためだ。中国の「父が偉い」という考え方と西洋の「夫が偉い」という考えを組み合わせ、「夫であり父親」の男性を「家」のなかで一番の存在にしようとしたのだ。
これは戸籍にも反映され、戸籍の一番上にくる人物を「戸主」(現在でいう筆頭者)とし、その家族との間に服従、監督関係をつくろうとした。戸籍のなかの序列が家庭の秩序を守り、ひいては国の家長である天皇と国民の秩序が保たれると考えていた。そののなかに「家の財産と戸主の地位は、原則として戸主の長男が継ぐ」という秩序がある。女性は夫の「家に入る(=入籍)」ことで結婚し、夫の家の呼称である氏を名乗るようになる。
遠藤先生によれば、この家単位の戸籍が見直される動きが2度あったという。
1898年、戸籍法が導入される際に、通常の戸籍と共に個人単位で身分を登録する「身分登記簿」が登場したのだ。家族を戸主のもとに考えるのではなく、個人主義を取り入れる絶好の機会だった。しかし1914年の戸籍法改正で、その手間の煩雑さから身分登記簿は廃止されてしまう。これで「家」ごとの戸籍のみに戻ってしまった。戸籍の編製単位を変更することは容易ではない。
次の機会は戦後、GHQによる占領期間である。家単位の戸籍法は、その成立目的でもあった天皇の過剰信仰を生み出す危険性が高いとして、戸籍を個人単位にするように迫った。しかし司法省の官僚は、個人単位で戸籍を作ると、紙を大量に使うことになるとしてそれを拒否した。戦後の日本にとって紙は貴重だったので、日本国民全員分の戸籍はつくれないと言ったのだという。そんな突飛な言い分をもってしてでも守りたかった家父長的家制度は、結局は1947年に廃止された。戸主と家族を記載する家単位から、夫婦親子を単位として編成するように変更した。戸主は筆頭者という名称になり、紙の上では「家」のなかの序列も無くなった。
しかし今でも家父長的な家の考え方が残っていることは、言うまでもない。制度としての家が消滅しても「氏」の名のもとに旧来の家制度を温存されてしまった。遠藤先生は、「『氏』が『家』の代わりを担ってしまった」と指摘している。
「夫婦の女性側が変えたくないのであれば男性が変えればよいのではないか」と思う人もいるかもしれない。それだけのことだが現在は夫婦の5%ほどしかおらず、そのように男性が姓を改める結婚を妻氏(つまうじ)婚と呼び、区別する。[6]。
妻氏婚は、「婿養子」という婚姻形態と混同されがちだ。婿養子とは男性が妻側の親と養子縁組をして戸籍上の実子になった上で入籍をすることで、夫は妻の親と親子の関係になる[7]。妻の名字にした夫婦(妻氏婚)や、単に妻の両親と同居している夫婦(サザエさんとマスオさん)を「婿養子」と勘違いしている人が多い。婿養子は妻氏婚の一部であるが、妻氏婚のすべての夫婦が婿養子ではないことに注意したい。
中世日本で家父長制のなかで家督相続を目的として成立したため、婿養子の主な目的は妻側の資産や事業を継承することだった。
第3章 妻氏婚 様々な理由で
第3章では、妻氏婚で結婚した女性と、ふたりの男性を紹介する。女性のお名前は吉野愛奈さん。夫は婿養子として名字が吉野になった。しかし先ほど述べたような相続などを目的に婿養子を選択したのではないと言う。
自分の家を終わらせたいと言った夫(吉野愛奈さん)
吉野愛奈さんは、わたしがアルバイトをしていた飲食店の先輩だ。仕事が素早く、ひときわ落ち着きがある。新人で右も左も分からない私にも気さくに話かけてくれた。その会話の中で「旦那さんにも…」と言われたとき、私は内心びっくりしていた。年齢も私と同じほどに見え(25歳と言われまたびっくりした)、てっきり近くに住む大学生だと思っていたからだ。彼女が専門学生のころから旧知の店長が、呼び慣れた様子で「よしの」と呼ぶので、「吉野さんはずっと吉野なんですか」と尋ねると、「夫が婿養子に入ったからね」と言う。詳しく話を聞かせてもらうことにした。
愛奈さんの夫である慎さん(仮名)は茨城県の出身だそうだ。病院で名前を呼ばれたときに振り返って見られるくらいに珍しい名字だったそうで、すぐに顔を覚えられたという。さらに父親との折り合いが良くなく「子どもに実家を残して継がせたくない」と思っていたそうだ。結婚したら「吉野になりたい」と言っていたそうだ。
端的に言うと、慎さんは自分の家を、名字を憎んでいた。嫌な思いをし続けてきた名字を使い続けたくなかったし、子どもにも名乗らせたくなかった。じつは愛奈さんも、「愛奈(まな)」の名前と慎さんの旧姓(「ま」が多い)は、語呂が悪いなと考えていたようだ。では名字は吉野にしよう、となった。愛奈さんの両親も「娘が吉野のままでいてくれるのは嬉しい」と言い、慎さんは婿養子になった。「よく考えないで決めちゃった」と笑っていたが、その理由として慎さんは折り合いの悪い父親と縁を切りたいと思っていたことが大きいと思われる。婿養子として養子縁組をしても実親との縁が切れるわけではないが、世間的には「婿に入ることは実親を見捨てることだ」と考えている人も多いのだ。
現在では「家」という概念は(制度の上では)無くなったので、結婚して名字が変わった娘、昔で言うところの「嫁ぎ先の戸籍に入った」娘も相続の権利がある。養子に入った男性が相続できるという点において、男性側に多少のメリットがあるかもしれないが、今ではその目的は形骸化している。
次に紹介する男性は、妻の実家の事業を継承する可能性があるため、妻氏を選択した(婿養子ではない)。その理由は、妻の地元での生活しやすさを考慮してのことだった。
「あなたの名字もすてきだけど」と言われたが(Hさん)
出版業界で働く妻氏婚の男性にお話を伺う機会があった。カフェの席に着き、名刺をもらう。名刺には伺った旧姓の名字が記載されている。事前のやり取りで匿名希望と聞いていたが、改めて掲載方法について尋ねると、「私が結婚したことは会社に知らせていますが、姓を変えたことは人事くらいしか知らないんです」と言う。キャリアを続けていくためにビジネスネームとして旧姓を使い続けることはままあるが、あえて戸籍上の名字を知らせていないということなのか。頭の上にはてなマークをつけている私の表情を見て、「妻の名字に変わりました、なんて知られたら『お嫁さんの家業でも継ぐの?そのうち会社辞めるの?』となってしまって出世に響きますから」と笑う。なるほど、名前を出してインタビューを掲載することができない理由がわかった。ここではHさんとする。
Hさんとそのパートナーの方は、私と同じ早稲田大学の政治経済学部の出身だ。在学中から交際し、結婚したのは2021年のこと。卒業して2年ほど経ったころだが、結婚する気があるなら1年以内にプロポーズをしてほしい、そうでなければ私は別れると宣言されたからだという。とても潔い宣言で驚いた。「妻に二択を迫られてプロポーズなんて、かっこよくない理由ですが」と恥ずかしがる。そういうこともあるのか。しかしあと1年でと言われてきっちり準備を整えるHさんも素晴らしい。
Hさんのパートナーの女性は鳥取県の出身で、両親は自営業をしているそうだ。妻には弟が一人おり、順当にいけば長男である弟が事業を継ぐ予定だが、そうならなかった時は娘婿であるHさんが継ぐことになる。地元で生活することになった場合に、その地で名の知られている名字に変更した方が暮らしやすいので、妻氏を選択した。
その経緯を、オーナー企業の跡継ぎ問題を例にとり、説明してくれた。オーナー企業とは創業者やその親族、大株主個人などが社長・会長となって経営を主導する企業を指して言う[8]。オーナーが社長や役員として絶対的な力を持っている場合が多い。そのような企業を経営する一族の跡継ぎに女性しか生まれなければ、その娘の夫に跡を継いでもらうのはよくあることだ。しかし、その男性が急に会社で実権を握るのは、実務でも、人望の面でも難しい。そこで名字を「使って」、従順の意を示すのだ。Hさん夫婦にとっても「名字どっちにするのか問題」は、鳥取に帰るのか否かという決断事項に付随した問題であったと言える。鳥取での暮らしやすさを考えれば、妻の名字を選択した方がそこでの人間関係を円滑にすることができると思った。
東京の金融機関で働く妻も、ましてやHさんも東京での生活を手放して鳥取に帰るのかという不安は大きくある。「どこかのタイミングで腰を据えて話をしなければならないと考えてはいます」と話す。しかしHさん自身に、妻に自分の家の名字を名乗らせたいとか、旧姓でいたいという考えは無かったので、様々な可能性を考慮したうえで最善の選択であったと言える。それでも名字変更の手続きは本当に大変で、「こんなことに有給を使って…」と愕然としたそうだ。パートナーの方と名字について話し合うとき、Hさんの名字も「捨てがたい」と言っていたこともあったそうだ。名字を捨てる。その必要があるのは日本だけだと思った。
両親や友達との思い入れがある名字(青野慶久さん)
サイボウズ株式会社の社長・青野慶久さんは、ビジネスネームとして旧姓の青野を使用しており、戸籍上の名字とは異なる。妻氏婚について調査するうち、就職活動で何度も目にした会社の社長が、名字に振り回されてきた当事者であると知る。Xの本人アカウントを確認すると、ダイレクトメッセージ(DM)を開放している。プロフィール欄にも「個人アカウントのためクレーム等は直接DMをください。」とあるのでDM機能を使い、取材の依頼をしてみる。いきなりのメッセージにもかかわらず快諾していただいた。オンライン取材に、「時々学生さんからこういう依頼がくるのですが、びっくりしました」と、優しく応じる。お昼休みを割いて対応してくれたと聞き、貴重な時間を無駄にしないようにと緊張の絶えない30分となった。
結婚するとき、パートナーの女性から名字を変えたくないのだと打ち明けられた。大学でジェンダーの考え方を学び、女性の方ばかりが姓を変えることは不平等だ、と感じていたようだ。「こういうのはふつう、女性が変えるものなのでは」というのが率直な気持ちだった。しかし慣例こそ女性が改姓しているものの、男女のどちらが名字を変えてもよい。夫婦のどちらかが変更せざるを得ない制度設計なのだから、変更手続きの簡素化なり、旧姓使用の普及なり、変更にまつわる不利益が生じないような仕組みが整っているのだろうと考えていた。だがその考えは全く見当違いだったと、のちに知ることになる。
名字を変更する手続きは本当に大変だった。免許証やパスポート、銀行口座などあらゆる名称変更を余儀なくされる。それに伴って紐づけたクレジットカードの名称変更、さらにはインターネットのID変更など芋づる式に対応事項が増えていく。法的な根拠を持たなくなった旧姓を使用して生活することはとても難しいことだった。
さらに、上場企業「サイボウズ」の社長である「青野慶久」として、すでに名が知られていた。自分のブランディングを一から再構築するための、無駄なコストをかけることになる。だから仕事で使用する名前は戸籍名に変更しなかった。
しかし法律上の名前と異なる名前を使ってビジネスをするのは容易なことではない。第2章の泰子さんと同じように、会社の代表として契約を締結する場面がとにかく多い。慶久さんは、「青野を使える契約」と「戸籍上の名字でなければならない契約」の使い分けが煩雑だという。法務部が全ての契約書をチェックし、サインや判子を押す箇所に付箋で青野を使うかどうかを指示している。判子も2つ持ち歩いて使い分ける。「こんな面倒くさい、無駄なことをやっている」と憤る。
外国のホテルで困った経験がある。現在は簡単な確認のみでパスポートに旧姓を併記できるようになったが、2022年以前は非常に厳格な要件下でしか認められていなかった。アメリカで仕事があったとき、現地のメンバーが青野の名前でホテルを予約してしまったことがあった。しかしいざフロントでパスポートを出すと「あなたの予約は入っていません」と言われてしまう。当たり前だが、パスポートは戸籍名の名字で、「Aono」ではない。「Aonoは結婚する前の名字だけど、メンバーが間違えてこの名字で予約してしまったのだ」と名刺を用いてわざわざ説明したという。もしその交渉が上手くいかなければ、危うく野宿になるところだった。それ以来、結婚前の期限切れパスポートを持ち歩いているのだそうだ。「私は昔、青野という人間でしたよと説明するためだけに」。
そもそも自分の一部であった名字が、消えてしまうのは嫌だった。青野という名字に合うように、とか姓名判断で運勢の良い画数になるようになど、両親が名前を付けてくれている。「青ちゃん」とあだ名で呼んでもらって友達と仲良くなったりした。そのように思い入れがあるのに、失うのはおかしくはないか。
このような無数の不利益を被り、青野さんはその不平等性を訴え続けてきた。
「夫婦別姓での婚姻届を受理しない戸籍法は憲法14条の「法の下の平等」に反する」と、2018年に国を相手取り裁判を起こした。2015年の裁判で民法は合憲と決定されているため戸籍法に争点を絞ったが、2015年の判決を引用したのみで違憲の判断はされなかった。しかし4人の裁判官は違憲との判断を下している。補足意見でも夫婦別姓制度の導入は「司法」の問題ではなく、国会による「立法」で解決すべき問題と示されている。夫婦の姓について、よく理解していない人が多いから、問題も前進しないのだと思っていた。国民の理解を促し世論をひっくり返すことが出来れば、導入の議論が進むのではないかと。そこで選択的夫婦別姓に反対する国会議員に投票しない、当選させない「ヤシノミ作戦」なる活動も行っている。
しかしいまだ国会は議論を進めようとしない。法制審議会民法部会が、選択的夫婦別姓制度が盛り込まれた「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申したのは1996年。しかし法案として国会に提出されるまでには至らず、その後2010年に準備された改正法案も国会提出には至らなかった。
第4章 選択的夫婦別姓 議論進まぬ背景
国民の考え やんわり反対派多し
第2章で述べた、家制度が根強く残っている現状は、データからも読み取れる。第3章で述べた通り、1996年から選択的夫婦別氏制度の導入を提言している法務省が行っている調査で、「家族の法制に関する世論調査」というものがある。
そのなかに、選択的夫婦別姓についての説明資料を提示したうえで「現行の制度である夫婦同姓制度を維持すること、選択的夫婦別姓制度を導入すること及び旧姓の通称使用についての法制度を設けることについて、あなたはどのように思いますか。」という設問がある。
回答の選択肢は
「①現在の制度である夫婦同姓制度を維持した方がよい 」
「②現在の制度である夫婦同姓制度を維持した上で、旧姓の通称使用についての法制度を設けた方がよい 」
「③選択的夫婦別姓制度を導入した方がよい」の3つである。
分かりやすい言い方をすれば、
選択的夫婦別姓に対して、「①反対」、「②やんわり反対」、「③賛成」ということだ。結果は、「①反対」27%、「②やんわり反対」42.2%、「③賛成」28.9%となった[9]。「①反対」、「②やんわり反対」を合わせれば7割を超え、実際の国民の声は選択的夫婦別姓に反対ということになる。
第2章で「家制度」について説明した。反対派が多いことに、家制度のなごりが見えないという人もいるかもしれない。
選択的夫婦別姓に反対する意見として、「家族が同氏となることで夫婦・家族の一体感が生まれ、子の利益にも資する」というものがある。私はこれこそが「家制度」のなごりだと思う。戸籍が「家」を単位としてつくられ、氏がその呼称であったのは、家制度が存在していた1947年以前のことである。すでに「氏」は家の呼称ではなくなったし、仮にそう考えていたとしても守り、継承する対象は不動産としての家と土地だ。第3章で述べた通り、結婚した女性、結婚して夫の姓に変わった女性でも継ぐことができる。しかし男系による氏の継承や、女性が嫁に入るのが結婚だと考える人が多くいる。「男の子を産んでほしい」なんて、死語になってほしいものだ。
「結婚」本当に大切なものはなにか
ある家の子が女性だけならば、その結婚相手を「婿」と称して家を継がせることもある。夏頃お話を伺った妻氏婚の男性で、三上さんという男性がいる。旧姓は北島さんだそうだ。妻に男兄弟がおらず、三上家を継ぐために妻の名字に改姓した。交際を開始するときにはすでに、結婚するときには名字を変えてほしいと言われていたそうだ。三上さんは三男であったので、結婚時に姓を変えることについて両親からの言及はなかった。しかし北島姓である次男が未婚で、現状北島姓の孫がいないので「譲るのは早まったかな」などとこぼしていたことがあったという。
選択的夫婦別姓に反対する人たちの子どもが結婚するとき、仮に夫婦どちらも名字を守りたい、彼らの言うような「家を守る」必要があったらどうするのだろうか。「お互い名字を変えられないから、この結婚はやめにしましょう」と言うのだろうか。
今でも名字は夫婦で話し合うことで妻の名字を選択できる。しかしそのような夫婦は5%ほどしかいない。その理由は、「男系による氏の継承」が当たり前だと考える、家父長的考えが根強いからだ。
これらの考え方が刷新されない社会に選択的夫婦別姓を導入しても、かたちだけの制度で終わってしまう。水馬さんのパートナーの永谷さんの言葉を思い浮かべる。「結婚して男性側が姓を変えると周りにバカにされるから嫌だ」。結婚相手の女性に名字すら変更させることもできない力量の弱さと捉えられる、ということだろうか。そのように言語化すれば、頷く人は少ないだろう。しかしその無意識の中に「女性が男性の家に入るのだから、家の名である名字を男性のものに変えて当たり前」という考えが根底にあるのだ。そのような人々が夫婦別姓を容認することはない。結局は女性に改姓させるか、そのような家父長的考えに嫌気がさした女性が別れを決断するのだろう。染み付いた無意識が別れにつながる可能性もあるのだ。
おわりに
選択的夫婦別姓を求める人は、なんらか不自由をした経験があるのだろう。結婚するときに手続きが面倒だった、キャリアを続けるのが大変だった。離婚するとき、どうせ旧姓に戻るなら名字を変えなければ良かったと思う人もいただろう。しかし、家族の在り方に関する記事や調査が続けられるだけで、導入の兆しは一向に見えない。不自由をした経験がない人にとって、自分事として考えられないテーマだからかもしれない。結婚という岐路に立たなければ、名字について考える機会はそうないだろう。「愛するパートナーの名字に変えることに苦痛はないし、関係ない、現状のままでいい」と思う人は、関心を持たないと思う。一方で自身の思想信条のうえで反対している層においては、導入賛成意見に反論することによって、いっそう意思を強固にしているようだ。
だからまずは有権者に、日本に「家父長制」を含んだ「家制度」の考えが残っていると知ってほしい。それらが日本人の無意識に入り込んでいることも。しかしこれからも必要なものだろうか。「関係ない」と思っていた人も含めて、議論の末の答えが「夫婦同姓の継続」ならば、それは仕方ない。しかし、「家制度」によってつくられていた、女性が男性より低い地位であるべき理由はもうないし、夫婦や親子の中に序列があることで秩序を保つことはできない。対等であるはずの人間関係のなかに、序列による服従や支配を持ち込めば関係をゆがめてしまう。私たちは無意識の意識に気づくことから始めるべきだ。長い議論の果てに、名字に振り回されなくなった日本人の姿が見えるはずだ。今はまだ、それぞれが拙速に結論を出す段階ではない。
脚注
[1]内閣府 令和3年度「家族の法制に関する世論調査」(https://survey.gov-online.go.jp/r03/r03-kazoku/2-2.html)
[2]内閣府男女共同参画局 令和4年度男女共同参画白書コラム3 事実婚の実態についてhttps://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/column/clm_03.html)
[3]内閣府 令和年度「男女共同参画社会に関する世論調査」より [4]内閣府政府広報室 令和4年3月「家族の法制に関する世論調査」問4より [5]法務省HPより(https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36.html) [6]厚生労働省 令和元年「人口動態統計」より [7]婿養子は養子縁組が必要になる? メリットや必要な手続きについて紹介(https://www.festaria.jp/journal/column/316#item18259)
[8]THE PWNER. オーナー企業とは?その現状と必要な事業承継対策を解説(https://the-owner.jp/archives/2975)
[9]内閣府政府広報室 令和3年度「家族の法制に関する世論調査」問12より参考文献
遠藤正敬. 戸籍と国籍の近現代史 : 民族・血統・日本人 / 遠藤正敬著. 新版, 東京, 明石書店, 2023.
大塚玲子. オトナ婚です、わたしたち : 十人十色のつがい方 / 大塚玲子著. 太郎次郎社エディタス, 2013.
榊原 富士子, 吉岡 睦子, 福島 瑞穂. 結婚が変わる、家族が変わる : 家族法・戸籍法大改正のすすめ / 榊原富士子,吉岡睦子,福島瑞穂 著. 東京, 日本評論社, 1993.
朝日新聞デジタル「サイボウズ社長ら敗訴 最高裁、夫婦別姓の訴え退ける」(https://www.asahi.com/articles/ASP6X61YCP6XUTIL04L.html)
朝日新聞デジタル「『家』制度なくなったのに… 嫁、主人、家父長制 結婚後の現実」(https://www.asahi.com/articles/ASP9C66MGP8KUCLV00M.html)
朝日新聞デジタル「『○○家の嫁』意識なぜ残る GHQと日本側の攻防」
(https://www.asahi.com/articles/ASP8W2VHRP8VUPQJ006.html)
カイのリケ母日記「事実婚」
(https://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/kai/rikehaha/2022/09/16/jijitsukon.html)
介護美容研究所HP(https://academybc.jp/)
ダイヤモンドオンライン「選択的夫婦別姓の議論がスルーする、「実は同姓支持多数」という不都合な真実」 (https://diamond.jp/articles/-/274832?page=2)
東京都福祉局 よくあるQ&A(https://www.fukushi.metro.tokyo.lg.jp/kodomo/kosodate/josei/funin/qa.files/20220516QA.pdf)
東洋経済ONLINE「あえて『事実婚』を選んだ34歳男女の強い覚悟~日本の法律婚では『幸せになれない人』がいる~」
(https://toyokeizai.net/articles/-/261572?page=6)
内閣府男女共同参画局「各種国家資格における旧姓使用の状況について」(https://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/jyuuten_houshin/sidai/pdf/jyu09-1-1.pdf)
内閣府男女共同参画局総務課調査室「いわゆる事実婚に関する制度や運用等における取扱い 資料6」
(https://www.gender.go.jp/kaigi/kento/Marriage-Family/7th/pdf/6.pdf)
日本弁護士連合会「最高裁判所大法廷決定を受けて、改めて民法750条を改正し、選択的夫婦別姓制度を導入することを求める会長声明」(https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2021/210625.html#:~:text=%E6%B0%91%E6%B3%95%EF%BC%97%EF%BC%95%EF%BC%90%E6%9D%A1%E3%81%AF%E5%A9%9A%E5%A7%BB,%E5%A9%9A%E5%A7%BB%E5%B1%8A%E3%81%8C%E5%8F%97%E7%90%86%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82)
北海道新聞「『姓を変えたくない』から事実婚、という選択肢<U35スタイル>」
(https://www.hokkaido-np.co.jp/article/854940)
毎日新聞「結婚って何ですか」(https://mainichi.jp/shakai/marriage/topics/)
毎日新聞「自民党の夫婦別姓論議 後退の理由が分からない」(https://mainichi.jp/articles/20201221/ddm/005/070/048000c)
CHANTO WEB「夫婦別姓と事実婚を選んだ女性『信頼関係がなければ成立しない夫婦のかたち』」(https://chanto.jp.net/articles/-/195471?display=b#google_vignette)