ゼミ8期生 同期が取材した ひと紹介記事
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2022年度冬のプレ演習でゼミ2年生(8期生)同士のインタビュー実習をおこない、記事を作成しました。▽インタビューで聞いた話を事実関係や発言を中心に整理して読者に伝わるようにストーリー化する、▽事実と意見を分けて書く――――という点を重視しています。インタビューを受けた学生の了解を得たものを掲載しました。
1. 「合理性」と「探究心」を武器に、夢を追う。
「経済的視点から、自分の見識とか物事を見れる範囲を広げたいと思って」。なぜ経済学科に進んだのかを尋ねた際、にこやかにそう語ったのは早稲田大学政治経済学部経済学科2年の大久保南さんだ。
大久保さんが経済を学ぶ上で重視しているのが、合理的視点だ。「政治学には感情論的な要素があるけど、経済学では数値で判断するから、経済学=合理的みたいなイメージが自分の中ではあったんだ」。
また、大久保さんは早稲田大学英語部(W E S A)に所属し、日々仲間と切磋琢磨しつつディベート活動を行なっている。英語部での活動も、彼に学びを与えてくれているという。「相手の意見を汲み取った上で反論して自分のペースに持っていく。このスキルを伸ばせたのが一番大きいかな」。既出の情報を的確に分析し、それを踏まえた上で提案していく。ディベートで培われたこの力も、正しい視点から物事を判断する上で活きていくのではなかろうか。
一方で大久保さんが将来の目標としていることは、ジャーナリストとして世に価値ある情報を発信していくことだ。元々国際情勢に興味があった大久保さんだが、高校時代にジャーナリストを志す大きなきっかけとなった出来事がある。それがニューカレドニアへの短期留学だ。ニューカレドニアで、日本とは異なる国の価値観や文化の実態を身をもって体感したという。「たとえば、ニューカレドニアの高校生たちの多くが主体的にデモ活動をしていたのには驚いたよ。政治意識の違いというか、自分の知らない世界の一面を目の当たりにした気分になった」。
異国の地で新たな知見に感銘を受けた大久保さんは、より多くの情報を得て世間にも伝えていきたいと考えるようになる。自分自身が感じたような驚きや高揚感を、世の人々にも同じように感じてもらいたい。そんな思いからジャーナリストを目指すようになったのだ。
物事の裏打ちされた情報に基づく正当性に着目しつつ、まだ見ぬ世界の一部に思いを馳せる。このように「合理性」と「探究心」の二面性を併せ持つ大久保さんであるが、どちらもジャーナリストとしての夢と大きく結びついている。「合理的視点を増やしておいて、取材の時に役立てたいなあって。それでその取材を通して意外性に富んだ情報を知っていきたい、発信していきたいね」と語った。【取材・文=山下りな】
2. アスリートの努力の過程を大切に
「ソフトテニスの注目度は低いんだよね」。少し悲しげな眼差しでそう語ったのは、早稲田大学政治経済学部2年生の山口皓太郎さんだ。山口さんは現在体育会軟式庭球部(庭球とはテニスの訳語である)に所属しており、遠征や練習で多忙な日々を送っている。
小学生時代に硬式テニスを経験したのち、中学校で軟式テニス部に入部した。軟式テニス部に入部した理由は、硬式テニス部がなかったためだと語った。しかし、中学校の軟式テニス部で良い結果を残したことが原動力となり、大学生の現在に至るまで軟式テニスを続けている。「軟式テニスは硬式テニスの下位互換ではない。軟式テニスにしかない面白さがあることも知ってほしい」。軟式テニスでは、ダブルスにおいて前後衛どちらかに特化した選手が組んで試合をしており、彼らはそれぞれ相手選手との駆け引きの技術を持っている。硬式テニスでは前後衛どちらかに特化することは少なく、軟式テニスほど駆け引きが行われない。この駆け引きが、軟式テニスの見どころの一つであるという。このように、山口さんは軟式テニスに対する熱い想いを語ってくれた。また、軟式テニスだけではなく、バレーや陸上など様々なスポーツに関して関心を抱いており、大逆転劇を見ることでとても感動するのだという。
山口さんには、日常的にスポーツに関するニュースをチェックする中で、気になっていることがある。それは、アスリートが達成した結果ばかりが報道され、彼らがその結果を残すまでの努力の過程や、乗り越えてきた怪我や挫折のような困難があまり報道されていないことである。「強い選手と同じチームにいられることが、大学の部活を続ける大きな理由の一つ」。こう語ったように、日本の大学の中でもレベルの高い選手が多数所属する早稲田大学の部活に所属していて、そのような選手たちを間近で見ている。だからこそ、彼らが残した輝かしい結果だけではなく、その背景にある努力や乗り越えてきた困難まで伝えてほしいと山口さんは語った。
大学卒業後の進路としては、スポーツの実況者やアナウンサーを視野に入れている。昨年9月には、アナウンサー養成スクールのラスト1席を確保し、約半年間のコースに通っている。瀬川ゼミでは、アスリートの努力の過程を取材し、伝えるための技術を学びたいという。スポーツへの想いを原動力に、部活動やゼミ、アナウンサー養成コースへと全力を注ぐ山口さんの笑顔は、これからのスポーツ界を照らしてくれそうな輝きを放っている。【取材・執筆=岩味夏海】
3. 抱えた疑問と真剣に向き合う
木村心音さんは早稲田大学政治経済学部の2年生だ。「自分が何をやりたいのかよくわかってなかったんだよね」。今の学部を選んだ理由を聞いたとき、こんな答えが返ってきた。幼いころピアノをやっており、音楽を聴くことが好きだったので音楽サークルに加入している。
当初は趣味として音楽を楽しもうと考えていた。しかし、音楽に真剣に取り組むサークルメンバーの姿を見た木村さんは、前よりも音楽に真剣に取り組むようになったという。あこがれるアーティストはテイラースウィフトだ。音楽に真摯に向き合うようになってからテイラーの曲の意味に気づき、批判されても自らのスタイルを曲げないテイラーの生き方に感銘を受けるようになったという。
木村さんは最近、テイラーが訴える男女の不平等に注目している。思い返してみるとその違和感は高校受験のころからあった。彼女の出身校である早稲田実業学校高等部の入試には男女別で募集枠があり、女子の定員の方が少ない。そのため相対的に女子の合格難易度が高くなっていた。そこで生まれたのが、男女が同じフィールドで競争させてもらえない状況に対する疑問であった。調べてみると医学部入試の女子差別や東工大の女子枠など似た事例はいくつも見つかった。「今どうなっているのかだけではなく、なぜそうなったのか理由を知ることが大事」と話す。そしてそれぞれの当事者はどう感じているのかを知り、それに真剣に向き合いたいと語った。
「自分が感じた疑問にはしっかりと向き合いたい」。そう語る彼女はゼミで自らの持つ疑問に対する取り組み方、取材や記事作成の手法を学びたいと考えている。感じた疑問について自ら取材して自分の言葉を記事という形にしたいのだという。昔からぼんやりと抱いていた編集や出版社への興味が、ゼミに入り現実的な目標になってきた。しかしそれでもまだ「周りの期待に応えられる、自分に向いている仕事がしたい」と将来を模索している最中だ。家族や昔からの友人に堂々と話せる道を選ぶことを大切にしているという木村さんはどんな道を選ぶのだろうか。【取材・執筆=松田大輝】
4. 生きづらさに寄り添いたい
「私一人の力は小さくとも、きっと誰かの支えになるはず」。そうまっすぐに語るのは早稲田大学政治経済学部二年生の岩味夏海さんだ。知的好奇心が旺盛な彼女は、日韓関係やジェンダー、ジャーナリズムに関心を持っている。瀬川ゼミを選んだのは「学んだことを人に発信することに魅力を感じたからだ。
岩味さんは、とくに同性婚について発信したいと考えている。同性婚の法制化について関心を抱いたきっかけは、友人にカミングアウトされたことだった。「身の回りにも(セクシャルマイノリティが)いたのかと強い衝撃を受けた。別世界の人々のように考えていたセクシャルマイノリティのことが、一気に身近な存在になった。同性同士での結婚を望む友人を見て、友人の力になりたいと感じるようになった。「(同性同士でも異性同士でも)何ら変わらないはずなのに、異性同士の結婚しか認められないのはおかしい」と真剣な表情で語った。 卒業制作は、同性婚に関するルポルタージュを計画している。当事者だけでなく異性愛者にもインタビューをすることで、認識のギャップを埋めたいという。今日では、いろいろなメディアでLGBTQの困難が取り上げられるようになった。それでも、興味を持つかどうかは個人次第だ。世の中を変えるには、当事者だけでなく「自分には関係ない」と思っている人々の力が必要だ。「私の記事で少しでも関心を持つ人が増えたら嬉しい」。岩味さんはそう語った。
原動力となっているのは「生きづらさを感じる人の力になりたい」という強い思いだ。実は彼女自身、中学生のころに生きづらさを感じたことがあったという。人と関わることや発信することに苦手意識を感じ、“普通”にできないことをもどかしく思っていた。「やるしかないという思いで毎日必死に生きていた」と中学時代を振り返る。そんな経験が困難を抱えた人に寄り添う優しさにつながっている。「一人一人の生きづらさが減れば、もっと良い社会になるはず」。そう語る岩味さんの表情は晴れやかだった。【取材・執筆=川村梨乃】
5. 「他人のために」という喜び
林紗梨さんは、献身的な活動によって自身の転換点となる行動を起こそうとしている。彼女は100人もの会員が在籍するボランティアサークル「 WHABITAT」に所属している。春には20人ほどでベトナムへサブリーダーとして自費で向かい、現地で家を建設するお手伝いをするそうだ。「大学で何か新しく始めるなら人のためになることがしたい」と語る。
日本でも過去に様々なボランティアを経験してきたという林さんは、過疎地域の経済政策に興味がある。例えば、過去に高知県の大川村という世界で最も人口が少ない自治体を訪れ、そこでの政策やその効果、そして現地での受け取られ方などを目の当たりにしてきた。大川村では全国から小学生中学生集めて暮らしてもらう「山村留学生制度」と、川を中心とした街づくりを行う「かわまちづくり」が行われている。ところが、前者は快く受け入れられているものの、後者は現地の川そのものへのイメージがよくないため定着していないそうだ。「こういった複雑な現状を文字にして伝え、そして変えていきたい」と強く感じたという。
「ボランティア先の人のニーズを最優先でやれるように心がけている」とも述べる。自ら行動することで様々なものを実際に体験してきた林さんだからこそ紡ぐことのできる言葉には説得力があった。
一方で、フットサルサークルに所属していたり、K-POPが好きであったりと活発で私生活も充実している一面も持つ。週刊少年ジャンプを毎週購入するほどの漫画好きで最近のブームは「僕のヒーローアカデミア」だそうだ。少し前に注目された「タコピーの原罪」や最近話題の「チェンソーマン」などしっかりとチェックしており、その本気度がうかがえる。
「ボランティア先の人に喜んでもらえたときが一番うれしい」と話す。彼女の道の先には様々の人の喜びがあふれている。【取材・執筆=大日結貴】
6. リアルを描く文章を目指す
「実際の様子を客観的に伝えて、正しい理解を広めることが大切だと思う」。インタビューの合間、山下りなさんはふとそう言った。彼女が関心を持っている「感動ポルノ」についての話の途中だった。
山下さんは早稲田大学政治経済学部の二年生だ。学業の傍ら、早稲田祭の運営スタッフとしても活動している。メディアが抱えている問題に関心があり、瀬川ゼミに所属した。ゼミではジャーナリズムについて勉強している。ジャーナリズムに関心を持ったのは、大学に入ってからだった。授業の中でメディアに触れる機会が増え、ある時、「フェイクニュース」の存在を知った。それを入り口に、現在のメディアが抱えている複数の問題が見えてきた。
現在、マスメディアによる障がい者の取り上げ方に疑問を持っている。いわゆる「感動ポルノ」に関わる問題だ。これは2014年にステラ・ヤングがTEDトークで使用した言葉で、 障がい者をモノ扱いすることへの問題提起に使われる。テレビで、努力する障がい者の姿が紹介される。その姿が、番組の感動を引き立てるための道具として用いられていると思える瞬間がある。山下さんもそこに違和感を持っている。社会的に弱い立場の人を「かわいそう」「頑張っている」の言葉で一括りにし、感動のための材料として利用するように見える番組に、彼女はすっきりとしない印象を受けてきた。加えて、こうした状況が起きている背景にも疑問を持っている。「視聴者を感動させたい、その思いが問題だと言いたいわけではないんです。収益化という目的が後ろにあるからこそ、私はもやもやを感じているのかも」。
このような問題に関して、正確な情報を発信することが自分にできることだと山下さんは考える。事実に即した情報を伝え、健常者に障がい者のリアルを知ってもらいたい。だからこそゼミで、客観的・理論的に文章を書く力をつけることを目指す。所属する瀬川ゼミは、取材と記事の執筆といった実践的な内容が特徴だ。自分の手を動かしながら、正しい理解を促せる文章を追求していく。【取材・執筆=菊池侑大】
7.「環境に恵まれてきた」家族と秋田へ寄せる想い
「自分の人生の中心には野球がある」と話す佐藤起樹さんは、秋田から上京し早稲田大学政治経済学部に通っている。幼いころから通っていた野球観戦には、大学生になった今も足を運んでいる。
佐藤さんは、小学1年生に野球を始めた。きっかけは、高校で野球部の監督をしていた父親の影響だった。父親から野球を教わり、知れば知るほど夢中になった。幼いころの夢は、プロ野球選手だったという。小学5年生になると、人生の転機が訪れる。肘に手術を3回行うほど大きなケガをしたのだ。このケガは佐藤さんを1年野球から遠ざけた。その期間に、野球をできることに対する喜びと自分の限界を知ったという。その後ケガは治り高校まで野球を続けたが、野球選手という夢は抱かなくなっていた。新たな夢を抱くきっかけを作ったのは3歳年上の姉だった。東京に出て早稲田大学に通う姉に憧れて同じ道を選んだ。「東京で自分の能力を活かして働く」ことが将来像になっていた。しかし、この夢も東京での暮らしの中で揺らいでしまう。
離れることで気づいた秋田への想いがある。佐藤さんは、生まれ育った秋田の将来を案じている。特に秋田の高齢化問題について、何か自分ができることはないかと考えているそうだ。そのため、秋田に戻り県の行政に携わりたいという想いも少なからずあるのだ。「秋田を想う気持ちは、自分の行動原理になり得る」と語った。それでも東京に残るという道を消さないのは、彼の家族への想いからだ。佐藤さんは、家族のために「めちゃくちゃ稼ぎたい」と笑顔でこぼした。また、「両親は早稲田大学を出て東京で活躍する自分に期待してくれている」ためその期待に応えたいという。
佐藤さんは「自分は環境に恵まれてきた」と語る。温かい家族と地元の地に恵まれ、どちらも大切に思っている。自分を育ててくれた両親と秋田への感謝を忘れることなく、恩を返すことを当然のことのように話していた。彼は、「正々堂々、将来子供に誇れる人生」を送りたいと真剣な眼差しで話し、「東京に残ったら将来子供が通学であんな満員電車に乗らなきゃいけないのか」と苦笑いを浮かべた。自分自身が築く家族のことも案じている様子だ。彼は、今抱える「将来秋田に帰るか、東京に残るか」という大きな悩みに残りの学生生活を経て、どのような決断を下すのだろうか。【取材・執筆=木村心音】
8. 学園祭で培われた原動力
「引き受けたからにはちゃんとやらなきゃ」。そう言い切ったのは現在早稲田大学政治経済学部に所属する八木橋萌々子さんである。彼女はその強い責任感を学園祭の運営に活かしていた。
八木橋さんは、現在早稲田祭運営スタッフ(以下運スタ)の一員として活動しており、中でも早稲田祭全体の予算を司る財務局に所属している。運スタは早稲田の三大サークルの一つとされ、600人を超えるメンバーが所属しているが、財務局のメンバーは20人に満たないという。全ての企画の予算を審議し最低限のコストで企画が行えるように議論するという、早稲田祭全体に関われる特性に惹かれて財務局への入局を決めた。そんな彼女は、早稲田祭の準備に週5日を費やしていた。ときには旅先や行き帰りの電車の中でまでオンラインで会議に参加するほどである。
多忙さを厭わない八木橋さんの原動力は、高校時代に培われた強い責任感にあった。
高校1年生のとき、「やりたいことをやろう」と、以前から憧れのあった学園祭の実行委員となった。そして中学の部活動で会計担当をしていた経験から、学園祭でもすぐに会計担当になることが決まった。しかし、中学時代はボールなどの物品購入といったお金しか管理していなかった彼女にとって、400万円を扱わなければならない学園祭は「一つひとつの会計にミスが起こらないかが本当に心配だった」と語る。そのため彼女は資料の保管や収支報告の管理などを欠かさずに行った。さらに学園祭本番を終えた後も、決算を通して学園祭と向き合っていた。人一倍学園祭と関わった彼女はその当時について、「何も得ていないつもりだったけど、この長い期間で責任感は芽生えたかもしれない」と振り返った。
そんな彼女は高校に引き続き大学でも財務局として2年間会計に向き合うことになる。任された仕事は淡々とこなし後輩のサポートまで行った。どんなに多忙でも仕事を放棄することはなかった。しかし、2年間の活動を通して現在の運スタの財政システムに不満を抱いていた。「運スタはお金に厳しすぎる。現在の財政システムだと、物品を購入する際に予算と1円でも違うとお金を1円もだせない。会社であるまいしもっとメンバーに寄り添うべきだ」と語った。来年は3年生となり運スタ内の発言権もより一層強くなる。八木橋さんの強い責任感は、運スタ変革の道へと既に向いていた。【取材・執筆=宗像秀斗】
9. チームを「支える」と「引っ張る」
渡辺光さんは現在、聖光学院中学校・高等学校で軟式野球部のコーチを務めている。選手に近い大学生コーチだからこそ寄り添った指導ができたり、OBだからこそ監督の指導を理解して選手に伝えたりすることができる。「選手と監督の間に入ることができる」。少しはにかみながら語る渡辺さんは、自身の選手としての経験を話してくれた。
野球を始めたきっかけは両親の勧めだった。小学校ではクラブチームに入り、野球が自分に合っていると感じていた。しかし、小学3年生でちょっとしたきっかけにより野球から離れることになってしまう。チームメイトが家に来てまで引き止めようとしてくれたことや、野球というチームスポーツを勝手に抜けてしまい迷惑をかけたことなどへの後悔が残っていた。そんな後悔から渡辺さんは中学校に上がってから軟式野球部に入った。キャプテンを務めた高校では2021年秋季神奈川県大会にて準優勝をおさめ、8年ぶりに関東大会出場を決めた。
「引っ張っていくタイプじゃない」。渡辺さんは自分から進んで、キャプテンになったわけではなかった。数多くいる部員たちは、様々な意見をはっきり述べるような個性の強い集まりだった。そして、その中でスタメンに入れるのは限られた9人という状況は、全員が同じようにモチベーションを保つのは難しかった。しかし、意見を聞きながらチームメイトの様子を見て、まとめていく。チームメイトがいることの大切さをわかっている渡辺さんだからこその視点から部をまとめていった。
その一方で、周りに合わせることばかり意識するのではなく「プレーで引っ張っていきたい」と渡辺さんは話す。野球を一度やめてしまった経験があったからこそ、自分が野球をすることへの意識は強い。「自分がやった上で、見せつけてついてきてもらう」意識を大切にした。ピッチャーとして、自分が投げないと始まらない。いつも周りを、チームメイトを見ているからこそ、ちょっとした部員の変化に気づきながら、合わせてプレーを始めることができた。
渡辺さんは大学でも軟式野球部に入部した。そこでは連盟委員という他の試合のスコアボードなど運営を担う「裏方の」役職についている。来年度には大学3年生となり、選手としても、連盟委員としてもチームの主軸となって、これから部員を支えながら引っ張っていく。【取材・執筆=八木橋萌々子】
10. 責任感をやりがいに
2022年11月、宗像秀斗さんは運営スタッフとして2度目の早稲田祭を迎えた。そして、今回の早稲田祭への意気込みは前回とは比べ物にならないほどのものだった。それは3年ぶりのアーティストライブの開催を目指す、早稲田アリーナ企画チームのチーフを任されたからにほかならない。1年間かけての激務の中で宗像さんを突き動かしていたのは「早稲田文化を広め、コロナウイルスの流行によってなかなか日の目を浴びられずにいる団体を輝かせたい」という思いだった。
宗像さんが早稲田祭に携わることになった背景には、文化祭実行委員長を務めた聖光学院高校時代の経験が影響している。聖光学院の文化祭は他校と比べより外部向けのもので、宗像さんは、校舎が漫画のモデルとなった縁から『ドラゴン桜』の原画展を実施するなど様々な大規模な企画を用意した。そして2日間で2万人以上の動員に成功した。大学に近いオープンな校風と、その過程で多くの大人との関わりを持ったことが良い経験となった。
一方で、大学の文化祭は高校とは異なる点も多く、その規模感の違いや学校の知名度の差を強く感じた。ゲストを呼ぶ際の大学側の規制は厳しく、その中で演者のブッキングや大学の承認、財務調整を同時並行で行う必要があった。しかし、チーフである宗像さんは「(コロナ禍で)表に出られていなかったライブ運営サークルを多くの人へ見せ、そしてアーティストライブを必ず復活させる」という強い思いを胸に、アーティスト、大学、ステージ業者といった各所へと駆け回り、各々の声に丁寧に耳を傾けることで意見の乖離を縮めた。そして、CreepyNutsをはじめとした総勢4組のアーティストライブを無事開催に至らしめた。これらの経験を通じて普段の生活から物怖じすることなく責任感を持った行動が取れるようになったという。
文化祭での成長はアルバイトにも活かされている。宗像さんは現在、テレビ局の生放送番組でADを補佐する業務を行っている。段取りの間違いや、準備の怠りが放送事故につながりかねない多くの責任が伴う仕事である。この仕事に対しては、プレッシャーよりもむしろやりがいを感じている。そして、「仕事を終えた時の達成感が気持ちいい」と生き生きとした表情で語ってくれた。早稲田祭での大仕事をやり遂げた自信は、常に彼の生活の中の軸となっている。【取材・執筆=渡辺光】
11. 自分の「好き」を追い求めたい
「高校までボランティア経験がなかったからこそ、昔の僕みたいな人たちへ宣伝したい」。早稲田大学政治経済学部2年の菊池侑大さんは、少し照れながら話した。早稲田大学に入学後、早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(通称WAVOC)に所属し、ボランティア活動の企画・運営を行っている。
WAVOCでは、普段サークル活動で使用される会議室の管理や職員のメール対応を行っている。その一方で、ボランティアの企画を一から立ち上げて実施することができるのが大きな特徴である。「スタッフ一人一人が様々なことを考える必要があって、大変ではあるんですけど面白いです」。
早稲田大学の学生や職員から集めた絵本を、大学近隣の教育施設に寄贈する企画「本のWA!」は、菊池さんが運営したプロジェクトである。2022年は34冊もの本を戸山幼稚園に寄贈することができた。プロジェクトの達成と同時に、企画を通して絵本の収集が大変であり、プロジェクト全体の課題を感じたと言う。「企画の認知度を上げて実際に持ってきてもらうのは本当に難しいなと思いましたね」と菊池さんは話した。
WAVOCで活動を続けていくうちに、自身が広報活動に関心を持っていることに気づく。小さい頃の夢は自動車のデザイン設計を行うカーデザイナーであり、絵を描くことが好きだった。文系へ進んだ現在も、モノをデザインすることが好きだという気持ちは変わらない。WAVOCでは、宣伝用のポスターや20周年記念誌の表紙作成にも携わった。一人黙々とデザイン、構想を練り、職員さんからアドバイスを受けることを繰り返す作業ではあったが、苦痛は感じることなくむしろ夢中になっていた。「考え方を明確にして募集するのが面白い。だからポスターを作るのが好き」。
大学に通う中で広報活動に関心を持つことに気づいた菊池さんだが、意外なことに将来の夢はアナウンサーだという。将来やりたいことについて自分自身の好きなことと得意なことを分析した結果だと語る。WAVOCでの責任感がある仕事経験と人前でプレッシャーがかかる中難しい仕事に挑戦してみたいというチャレンジ精神が夢の支えになった。「自分の言葉に自分で責任を持っているところが格好いい。そんな仕事が好きだしやりやすい。だからアナウンサーになってみたいかな」と将来像を話した。【取材・執筆=大久保南】
12.「みんな違って、みんな同じ」
人生のモットーをこう語るのは、早稲田大学政治経済学部国際政治経済学科2年の松田大輝さんだ。この言葉は彼の早稲田祭2021、2022の運営スタッフとしての活動にも大きな影響を与えている。
このモットーの原体験となる出来事は12歳まで遡る。京都の小学校を卒業し、東京の中高一貫校へ入学したときのことだ。親の転勤に伴う移住は当時の松田少年に大きな影響を与えた。「関東と関西のノリの違いに最初は戸惑いを覚えた」と振り返る。しかし、一人一人にフォーカスを当て、会話していくうちにこう考えるようになった。「結局みんな日本人だ」。日本人という大きな共通点を持つ自分たちにとって、土地柄は大きな問題ではないことに気づく。同時に、自分のスタンスを変える必要がないと思うようになり、一気に人間関係が楽になった。
その後、高校では学園祭の実行委員として活動する。この経験を活かし、大学では早稲田祭の運営スタッフとして活動することに決めた。責任感を持って入った仕事だが、高校時代との規模の違いから、苦戦することも多かった。松田さんの仕事はイベントを行うサークル のマネジメントだ。サークルの希望と運営の実情の板挟みになることも多く、大きな葛藤を抱えることも多かった。それでも、自分のやるべきことは変わらない、と一つ一つの問題に対して実直に取り組むことで、仕事を進めていくことができた。
運営スタッフとして、各サークルに対する考え方や、それまでの部活動や生徒会活動の経験など、十人十色の仲間と共に2年間の活動を行ったことは大きな財産となった。それぞれの気持ちをぶつけ合い、根本の方針から議論を重ねていった。中学生のときは周りとの共通点に助けられたが、大学にいる人々の多様性も、考え方が変わる一つのきっかけになった。
松田さんが瀬川ゼミで取材したいのは、コロナ禍で取り沙汰されることが増えたエッセンシャルワーカーと呼ばれる職業の待遇問題だ。需要が多く社会に必要不可欠な職業であるのに待遇の低さで成り手が減少していく現状に疑問をもった。なぜ必要なところに必要な支援が行き届かないのか。「現場で働く方々だけではなく、行政や施設の管理者などの立場の人に取材することで全貌を明らかにしたい」と語った。【取材・文=佐藤起樹】
13. 人の「立場」に寄り添うということ
「人それぞれの立場を全て理解するのは難しいことだけど、本当に大事なことだと思う」。川村梨乃さんは熱く語った。相手の立場を理解した上で行動することが彼女のポリシーのようだ。
川村さんは、現在、早稲田大学政治経済学部政治学科の2年生であり、瀬川至朗ゼミの8期生となった。「相手の立場を理解する」という姿勢は、子ども時代のある経験が原点になっているという。
小学生の頃、戦争のことについて調べる宿題が出た際、彼女は広島に住んでいる祖父に話を聞いた。祖父は「原爆」による被害を経験していた。「原爆」という日本の戦争を象徴するような言葉に興味があった彼女は、軽い気持ちで根掘り葉掘り質問をぶつけてしまった。
「どれくらいの被害だったの?」
「おじいちゃんの家族は無事だったの?」
祖父はすべての質問に詳しく答えてくれた。しかし、当時のことを苦しそうに思い返す祖父の表情は今でも忘れられないという。なぜ祖父の立場を考えることができなかったのか、もっと覚悟を持って質問するべき内容だったのではないか、などと今でも後悔が止まらないそうだ。
もう自分のせいで誰かに悲しい思いをさせないよう、川村さんは常に相手が置かれた立場を考えるようになった。相手の立場を考えることで、視野も広がった。学費を稼ぎながら大学に通う友人の立場や、節約しながら一人暮らしをしている友人の立場を知ることで、自分のこれまでの生活が当たり前ではないことにも気づくことができたそうだ。「上から目線になってしまうかもしれないけど、相手の立場を知ったうえで向き合い、寄り添っていけるようにしたい」。照れながらもこう話してくれた彼女からは固い決意、そして人を思いやる気持ちを感じることができた。
ゼミでの活動を通して、相手の立場を理解し、寄り添いながらインタビューできるようになりたいそうだ。発信する情報はただの事実ではなく、誰かが味わってきた感情でもあることを忘れずにいたいという。「人の「立場」に寄り添うということ」、これは川村さんがこれから記事を書くにあたって、決して揺らぐことのない軸となるだろう。【取材・文=山口皓太郎】
14. 好きなことにのめりこむ
「書くことが好き」。そう語るのは早稲田大学政治学科2年の大日結貴さんだ。彼は「早稲田大学書道会」(書道会)と「早稲田スポーツ新聞会」(早スポ)に所属している。
大日さんは埼玉県で生まれ、親の転勤に合わせて小学校卒業までは関西で生活をしていた。その後聖光学院中学校へ入学することになり神奈川県へ引っ越し、現在は横浜市で日々を過ごす。幼いころ書道を習っていたことや新聞をよく読んでいたことが高じ、彼は文章を書くことが好きになる。高校時代は広報委員長を務め、ひと月に一回の新聞発行を基本として活動した。良い新聞を書けるようになるために様々なことに取り組んだ。記事の正しい書き方を勉強したり、新聞を作成する際に使うソフトを購入したり、顧問の教師に校閲をしてもらったりして文章力に磨きをかけた。取材対象は生徒だけではなく校長先生にも取材をしたという。それまでの大日さんにとって新聞は読むものだった。しかし書いてみると奥が深い。配置はどうするか、わかりやすい表現はないかなど、より良い記事を目指すと考えが尽きなかった。広報委員を務めたことで改めて新聞が好きになったと振り返る。
高校時代にバドミントン部に所属していたこと、広報委員の活動がきっかけとなり、彼は早稲田スポーツ新聞会(早スポ)の記者となった。現在はバドミントン部と日本拳法部のチーフを担当している。「日本拳法は一試合あたりの時間が短く決められていることと、団体戦だと出場人数が多い点がバドミントンと違っていて面白い。記事を書くのは大変だけどその分やりがいがある」と笑って話す。早スポの記者として取材をして回る傍ら、書道会にも所属し展覧会へ向けて作品を書いている。「することは多いけど、好きなことだから」とはにかんだ。
大日さんは目を輝かせて記事の作成や書道に関する事柄を語った。来年度はテニス部とオリンピックパラリンピック委員 の担当をすることになっている。日本を背負うことになる選手たちの姿を広く伝えるために臥薪嘗胆の思いで記事を書く。【取材・文=手塚佑翔】