震災を越えて ― 農業再開までの苦悩と希望

 福島県は稲作が有名だが実は畑作も盛んだ。アスパラガスやトマト、生しいたけなど1年を通して様々な作物が収穫される。震災以前は浜通り地方でも多く野菜を栽培されていた。しかし震災を契機に避難を余儀なくされ、農業を放棄せざるを得なくなった農家は数知れない。震災から7年が経ち避難指示が解除されても、戻ってくる農家は少ない。一方、再び農業に挑戦しようとする人もいる。今回は2人の農家の方にお会いし、農業の再開を決めたきっかけや、栽培にこぎつけるまでの苦悩など、様々なお話を伺った。(取材・執筆=田中創太 撮影=松本雛)<トップ写真は渡辺董綱さんが育てた玉ねぎ>

 

玉ねぎ栽培、一からの試行錯誤

玉ねぎの苗について優しく説明してくれた渡辺さん(2018年9月11日撮影)
玉ねぎの苗について優しく説明してくれた渡辺董綱さん(2018年9月11日撮影)

「穴が408個あって、ここに種を植えるんだ」。プランターを手に優しく説明してくれたのは、富岡町に住む玉ねぎ農家の渡辺董綱さん(65)だ。現在は今年(2018年)9月に植えた種を発芽させ育苗している。

渡辺さんが玉ねぎ農家を始めたのは実は昨年9月のことだった。震災前は玉ねぎ農家ではなく、120羽のカモを飼い、合鴨農法で稲を育てる稲作農家だった。当時は「自分のお米が一番美味しい」と自負していた。

しかし、東日本大震災によって状況は一変する。渡辺さんの住む富岡町は、震災に伴う福島第一原子力発電所の事故の影響を強く受けた地域の1つだった。震災後は町全体が居住制限区域となり、渡辺さんも二本松市に避難することを余儀なくされた。約6年間の避難生活を続け、2017年4月に富岡町が避難解除されると、自宅を建て直し同11月に戻ってきた。

美味しいお米を作っていたにもかかわらず、帰還後に水稲から玉ねぎに変えたのにはいくつか理由がある。1つは稲作に欠かせない水路が使えないことにある。避難していた間に野生のイノシシが土で埋めてしまったのだ。さらに富岡町は居住制限区域解除後の帰還率が5%程度しかなく、ほとんどの農地は放棄され営農されていない。共同で水路を管理する農家がなく、渡辺さん1人ではとても無理だった。水路が使えない以上、稲を育てることはかなわない。

もう1つは玉ねぎの性質に関係するものだ。実は玉ねぎにはセシウムがつきづらいという性質がある。震災から7年半経っても、県外では福島県産の農作物に対する風評被害は未だに根強い。そこで県や農協が、セシウムが吸着しづらい玉ねぎやニンニクの栽培を推奨し、風評被害の払拭を目標に、安心して食べられる野菜として積極的に売り出しているのだという。「みんな福島の野菜は放射能がって心配するけど、玉ねぎは安心なんだ」。渡辺さんは自信をもって話す。

玉ねぎ栽培は始めてまだ2年目で試行錯誤が続くが、渡辺さんからネガティブな顔は見られなかった。発芽したばかりの苗を見つめ、「今年は2町分栽培する」と意気込む。

これからのことを尋ねると、「玉ねぎしかない」と答えた。震災を越えてなお農業を続ける渡辺さんの、覚悟を感じる一言だった。

実証栽培に見出した希望

2人目は楢葉町で花き(かき:観賞用に栽培する植物)を育てる塩井淑樹さん(67)だ。塩井さんは高校卒業後、すぐに農業に従事したが、その後しばらくして辞め、それからはずっと会社勤めをしていた。しかし、「もう1度農業をしたい」と決心。会社を依願退職すると、ほうれん草やトマトの栽培を始めた。震災は農業に復帰して3年目、やっと軌道に乗ってきた矢先の出来事だった。

塩井さん
花き農家の塩井淑樹さん。震災当時のことを詳しく語ってくれた(2018年9月11日撮影)

震災後はいわき市や二本松市など避難場所を転々とした。避難生活中は希望を失い、「何のために生きているのだろう」と思うことも多かったという。しばらくしていわき市の仮設住宅に移ってからも、先の見えない生活は続いた。慣れない環境で、知らないうちにストレスがたまる。近隣の仮設住宅から自殺者が出たこともあった。

そんな絶望の中、花き栽培を始めるきっかけとなる出来事があった。当時、福島県が復興事業の一環としていた、花き実証栽培のオファーだ。「半端なまま終われない。もう1度農業をしたい」。そう思った塩井さんはオファーを受けることにした。「明日が見えないことが最も辛かった。実証栽培のオファーのおかげでなんとか先が見えた」

そこからは壊れたビニールハウスを建て直し、なんとか栽培にこぎつけた。しかし、始めて1年目はまだ警戒区域解除前だった。通いながらの栽培だったため手入れがあまりできず、満足の花は育たなかった。それでも花が咲いたときは感動し、安堵し、そしてその時、来年もう1回育てようと決意したという。

楢葉町で花き栽培をしているのは、塩井さんを含め3人だけだ。警戒区域解除されて戻ってきても、農業を再開する人は少ない。「震災をきっかけにして農業を捨ててしまった人が多い。もっと増えてほしいけどね」。

現在はトルコキキョウやスターチスなど5種類の花きを育てている。来年は花木(かぼく:観賞用の樹木)にも挑戦するつもりだ。「農家は終わりのない仕事。収穫してもすぐ次がある。365日働くこの仕事を、もう1回やっていきたい」。

 

 

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(注)「避難指示区域の状況」ふくしま復興ステーション(2018/11/22閲覧)

http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list271-840.html