震災を越えて ― それでも富岡で、水稲に挑戦し続ける

渡邊伸さん(58)を訪ねて案内されたのは、様々な機械が配置されたガレージだった。機械はまだ新しく、ぴかぴかと光っている。全てコメの栽培・出荷のために使用される農機だ。よく見ると「原子力被災12市町村農業者支援事業」(注)と書かれたシールが貼られ、国の補助金を得て購入されたものだと分かる。
ここは福島県富岡町。昨年4月に避難指示が解除されたが、1年半経ったいまでも帰還率はわずか5パーセントに満たない。渡邊さんは、そんな富岡町でいち早く水稲栽培を再開した数少ない4農家・組合のうちの1人だ。7年ぶりの作付け開始から2年目となるいま、何を思うのか取材した。(取材・執筆=溪美智、写真=松本雛)
<トップの写真は、自身の田んぼの前に立つ渡邊伸さん。手折ったアワを持ち、少し照れながらポーズを取ってくださった。>

 

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農機に貼られた、原子力被災12市町村農業者支援事業のシール(2018年9月11日撮影)

故郷から避難し、戻るまで
「なんでこんなんなってんの、自分は何のためにここにいんのかな、ってそのぐらいの放心状態」。7年前、2011年3月11日の心境をそう振り返る。家族で車に乗り込み、いつもなら30分で着く中学校まで3~4時間かけて避難した。食事もとれないなか、携帯で福島第一原発の水素爆発(3月12日)のニュースを眺めていたのを覚えている。いちど秩父に住む親戚の元に身を寄せたのち、再び福島県に戻ったが、第一原発から20キロ圏内の生まれ故郷には戻れない。いわき市の仮設住宅で3年ほど過ごした。
渡邊さんはもともと兼業農家で、副業として建設現場の工事監督の資格を持っていた。震災後、以前関わっていた会社から「戻らないか」と声をかけられ、再び工事監督として働き始める。ところが働いていても、やはり農地のことが心配になってしまい、仕事に集中できなかったという。
「やっぱり農家ってのはなんていうのかなあ……当たり前になっちゃってんのね。生まれながらにして農家で、当たり前に農作業を見て触って、生きてきてるから。宿命みたいなもんがあんのかなあ。」
初めて農作業をしたのは小学4年生の時。機械が好きで、農機に触れるのが楽しかった。今はだれも住んでいない田んぼの前の生家も、昔は人が集まるにぎやかな場所だった。
「ことあるごとに親戚がみんなうちに来て、そうするとやっぱ楽しいわな。おじちゃん来た~、つって喜んで、いとこ同士で大騒ぎしてさ……そんな感じでずっと育ってきてるってのもあるよね。」
50年間の喜びが詰まった農地を、簡単に捨てることなどできなかった。

再開、山積みの問題を乗り越えて
再開までの道のりを尋ねると、手作りの資料を見せてくださった。草だらけになった家の前、山積みの石、イノシシ。2年間で直面してきた問題の数々が写真に切り取られている。山積みの石は、手作業で圃場から取り除いた。国の除染作業で表面の土をはぎ取ったため、以前は出てこなかった深部の大きな石がたくさん出てきてしまったのだ。人がいない間に数を増やしたイノシシも大きな問題だった。電気柵を設置して対策を取った。どこもかしこも草が生え放題だったし、家やガレージのあちこちも修理が必要だった。網膜剥離まで患って、あの時は大変だったね、とJA職員の大森さんと笑いあう。
最近のおもな仕事は、圃場から草を取り除き、稲作ができる状態に戻す作業だ。まだまだ草を刈り続けなければ農地として使い物にならない。たくさんの問題を乗り越えてきたが、今でもやるべきことは残っている。
ガレージの横には立派な一軒家が建っているが、誰も戻ってきていない。現在渡邊さんが家族と暮らすのは、車で1時間ほど離れたいわき市の小名浜だ。82歳と83歳になり、病院通いが増えた両親を連れて人がいなくなった富岡に帰るのは難しい。「だからね、簡単に『住めるから戻って~』って話、よく聞くじゃないですか。やっぱりそうはいかないよね。」

なんでって考えるよりも
農業と聞けば、風評被害や高齢化、後継ぎ不足の問題が頭に浮かぶ。渡邊さんはこれらの問題をどう捉えているのか伺うと、前向きな回答が返ってきた。
作ったお米は全量全袋調査をしており、バーコードを読み取れば調査結果のデータも分かる。それでも風評被害はまだあるのだろうが、あまり気にしなくなったという。
「今来てくれてるJAの大森さん、県の職員の東さんをはじめ、本当に色んな人が協力してくれてる。気にかけてもらってるっていうのはありがたい話ですよ。そういう意味で言うと、風評被害がどうだこうだっていうよりは、この地域の農業をどう発展させるか、そっちのほうが大事なんじゃないのかな、と思うようになってきた」。
高齢化も確かに進んでいる。知っている農家で1番若い人は39歳で、若い人は本当にいない。しかし渡邊さんの口調は明るかった。
「自分ができることを自信もってやることが大事だと思う。私たちがいきいきしている姿を見たら、やろうかなっていう気になるかもしれないじゃない。だから風評被害があって、台風があって、後継ぎ問題、引っ越しの問題とかいろんな問題があってさ、でもなんでそんな苦労しなくちゃなんねえのって考えるよりも、やっていこうってポジティブにね、がんばろーって」。

収穫を待つ、渡邊さんの田んぼ
収穫を待つ、渡邊さんの田んぼ(2018年9月11日撮影)

 

お話を聞き終えて外へ出ると、雨上がりの山を背景に、少し色づいた田んぼはとても綺麗だった。今年作付けしたのは、2.4ヘクタール。震災以前の10ヘクタールと比べればまだ小さいが、その中でたくさんの試みが進行している。一角では、効率を上げるために直接種を蒔く直蒔きという手法に挑戦していたり、他の一角では大きく育つ「モンスターライス(仮称)」の実験が行われていたり。最後に来年の目標を尋ねると、「問題が解決されているかを確認しながら、東さんと仲良くやることかな」と笑顔で答えた。

 

 

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(注)平成29年度原子力被災12市町村農業者支援事業実施要綱-福島県(2018/10/10参照)
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/251593.pdf

福島県原子力被災12市町村農業者支援事業について-福島県ホームページ(2018/10/10参照)
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/36021a/fukushimaken-genshiryoku-hisai12sityoson-nogyosyashienjigyo-hozyokin2.html