「インタープリター」として活躍する
豊かな生態系
高尾山 山頂からの情報発信
高尾山駅に停車したケーブルカーを降り、周囲を見渡す。すると無数の樹々が朝露に濡れた葉を携え、悠々と天に伸びている情景が真っ先に目に飛び込んできた。霧を纏った森林は被写体として幻想的である。 高尾山は約1500種類の植物を有し、都内ながらも豊かな生態系を築く日本遺産[ⅰ](2020年登録)として君臨する。今回私は高尾山山頂にて自然・歴史情報の発信を担う自然施設「高尾ビジターセンター」を訪れた。常駐するインタープリター(自然解説員)の石川雄馬さんに、高尾山の自然環境に関する取り組みについて話を聞いた。(取材・執筆・写真=山下りな)
自然と人を繋ぐ役割
石川さんは高尾ビジターセンターに常時駐在するインタープリター(=自然解説員)だ。訪れる観光客の方々に、高尾山の自然情報をガイド・展示・ワークショップの開催などを通じて発信している。
「元々は市役所に勤務していました。けれど、大好きな生き物に関わる仕事がしたいという夢を諦めきれなくて」。
元々農学部で生態系や動植物について学んでいた石川さんは、自身の知識をより生かせる環境に身を置きたいと考え、高尾ビジターセンターの門を叩いた。
石川さんによると、インタープリターの役割は「自然と人との架け橋」として、訪れる人に自然界のつながりを伝えていくことだという。高尾山の多様な生態系は、哺乳類・昆虫・野草・草花、全てのものが互いに関わり合うことで保たれているとのことだ。
「たとえばススキは乾燥し開けた土地で育ち、バッタはススキの葉を食べます。そのバッタを求めてカマキリや野鳥が集まってきます。どれかが欠けてしまえば、全体のバランスが崩れてしまう。つまり自然環境の連鎖を保持していくことは、豊かな生態系を守っていく上で欠かせないのです。このことを訪れる人に伝えるというのを、一番意識していますね」。
自然界におけるつながりの輪を発信することで、来訪者と自然をも「つなげる」ことの意義とは何なのか。石川さんは真剣な面持ちで語った。
「僕たちの活動を通じて、一人でも多くの人に自然を身近に体感して欲しい。そして最終的には、自然を守ることの重要性を知ってもらいたいです」。
ゴミ問題で苦境に立たされた暗黒時代
「ゴミが山に多く捨てられていた頃は、今よりカラスが多かったそうです」。
1967年、高尾山の麓に高尾駅が開設してからというもの、アクセスの良さから高尾山への客足は急激に伸びたという。そして観光客の増加に比例し、山に捨てられるゴミの量も増加の一途を辿ったそうだ。当時山に設置されていたゴミ箱は山盛りになり、さらにゴミ箱に空きがないとなると山の森林・草地にゴミが投棄されていった。
このようなゴミ問題は高尾山の景観のみならず、野生動物が誤って食べてしまうなど、自然環境にも悪影響を及ぼした。
組織が立ち上がったのは1967年のことだった。「明治の森高尾国定公園懇話会」が結成され、ゴミ問題の対策が協議されたのである。
「1970年頃から、この組織に所属していた薬王院やお茶屋さんたちが掃除を始めたり、山頂の麓にゴミを埋め立てたりもしていたそうなんですが。やはりそれではキリがなかったようで」。
掃除はゴミ投棄を廃絶することには繋がらず、埋め立てられる土地も次第に無くなっていった。この時点では、根本的な問題解決を成し遂げることはできなかったのだ。
そこで1981年に東京都建設局が声を上げ発足されたのが「ゴミ持ち帰り運動」であり、山内の全てのゴミ箱を撤廃するという大胆な試みを実施した。
「そこから約30年の月日が流れ、今では山からほとんどのゴミが無くなりました。山道を歩いても落ちているゴミは滅多に見かけませんし、カラスの数も野生の数まで落ち着いています」。
しかし、発足当初はゴミ箱が撤廃されたことに対する反発も多く、運動が受け入れられるまでかなりの時間を要したという。では、ゴミ持ち帰り運動が功を奏したポイントはどこにあったのか。その当時、石川さんは高尾ビジターセンターにはいなかった。しかし、真っ直ぐな眼差しでこう答えてくれた。
「思いを懸命に伝えたというのが大きかったんじゃないかと思います。というのも、あらゆるクレームの多くは窓口である高尾ビジターセンターに来ていたようで。『なんでゴミ箱なくしたんだよ』って。そこで当時のセンターの職員の方々が、ゴミ箱をなくすことの意義を説明していったそうです。つまりその積み重ねの集大成として、ごみのない綺麗な山道を実現することができたんだと思います。対話を通じたアプローチを重視するという点では、今の僕らの活動にも通じるものがありますね」。
自然を未来へ継承していく
今も昔も変わらず、高尾ビジターセンターでは来訪者との対話を介したつながりを中核に置いた自然発信が行われている。そしてその態度は、高尾山の自然環境を後世まで守り抜きたいという意志に強く結びついていた。
「高尾ビジターセンターは現在9人で運営していて、人手が限られています。そのため僕らだけで山一帯全てを整備することは不可能です。だからこそ、重要になってくるのが訪れる人と接する対話の場なんです」。
山の環境をできる限り多くの手で支えていく。それを促す仲介役となるのが、インタープリターとしての使命だ。
「来てくださった人の心に残るように。何らかの形で行動を起こしてもらえるように。そんな思いを大切にしながら、日々働いています」。
山頂で目の当たりにした高尾山ビジターセンターの真の姿。
それは単に自然情報を発信する観光案内所としての姿ではなく、人と自然の「つながり」を生み出す、思いの発信所としての姿であった。
注
[ⅰ]日本遺産 ポータルサイト『霊気満山 高尾山 〜人々の祈りが紡ぐ桑都物語〜』
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story088/
[ⅱ]明治の森高尾国定公園 高尾ビジターセンター 公式H P
https://www.ces-net.jp/takaovc/
[ⅲ]TCA東京ECO動物海洋専門学校 公式HP インタープリター(自然解説員になるには?)
https://www.tcaeco.ac.jp/contents/column/20200915_206/
[Ⅳ]明治の森高尾国定公園 東京都環境局 公式HP
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/naturepark/know/park/introduction/toritu/meiji/index.html
[Ⅴ]京王電鉄 公式HP